File10:Side Detective

「祝賀会に参加の皆様、お楽しみのところ中断してしまい申し訳ありません」

 応接室の中央でボゴールが思い思いに楽しんでいる人々に話し掛けた。壁にはめ込まれた大きな時計の長針が二十一時を指す。

「私の妻はある一粒の宝石を心から愛しておりました。澄みきった深い青のサファイア、ナリルの涙です。海の女神が流した涙とも呼ばれるその石は、今や我が妻マチルダの形見になりました」

 ボゴールが会場にいる人々全てに視線を向けるように、ゆっくりとその場で回りながら話を続ける。


「私は妻が亡くなってから彼女が愛したもう一つの宝、クラリスが生まれた時間にナリルの涙を皆様の前にお出しさせていただく事にしました。そうすれば彼女も一緒に娘の誕生日を祝えると思ったからです」

 彼の話に涙を流す招待客もいた。あちらこちらで鼻をすする音がする。エリックはクラリスに視線をやった。傍にはあの侍女もいる。クラリスが被る帽子で彼女の表情は窺えない。


 ボゴールは小サロンの扉へと歩いていく。彼が動くにつれて人の波は自然と掻き分けられ、道が出来る。招待客の隙間から護衛の男が数人近付いてきて、ボゴールの周辺を取り囲む。小サロンの扉の前に着くと、ボゴールは上着についている胸元のポケットから鍵を取り出して、扉を開ける。その間に護衛は隙間がないように取り囲んでいた。

 ボゴールだけが小サロンに入っていく。扉は開けられたままだったが、入り口の左右と正面に男が数人立ちはだかる。


(このタイミングではファントムも手は出すまい)

 エリックは思いながらナリルの涙が出てくるのを待った。少しすると、透明の硝子の箱に入った青い宝石がボゴールと共に出てくる。宝石を見た招待客が口々に感嘆の声をあげた。


「こちらが我が妻マチルダが愛した“ナリルの涙”です」

 それは見事な宝石であった。真っ青な色あいは、自然で出来た色とは思えないほど澄んだ青色をしていてムラがない。石の大きさも見事なもので、エリックの手の半分くらいはある。燭台や天井照明の光を受けて石は輝きを返していた。


(なるほど、ラルムと呼ばれるわけだ)

 宝石はその名の通り涙の形に成型されていた。美しい見た目は本当に女神が流した涙のようである。ここからナリルの涙がお披露目される三十分間は緊張が走る。

 護衛の男はナリルの涙から一定の距離を空けて円形に取り囲む。中央には宝石とボゴールがいた。招待客は護衛の男達の隙間からナリルの涙を見ていく。


「なんと美しい宝石なの」

「さすがは豪商ボゴール。素晴らしい宝をお持ちだ」

 人々はボゴールと宝石への称賛の声を上げている。そんな彼らをどこか冷めた目つきで見ていたエリックは、クラリスの姿を探した。彼女は同じ位置に立っていた。微動だにしない彼女はまるで置物のように見える。

 一同が宝石に目を奪われている間にも、エリックはじっとクラリスを監視していたが、彼女が怪しい動きをすることはなかった。


 そして三十分が過ぎてナリルの涙は厳重に小サロンへと格納されていく。特に怪しい動きはなく、無事にお披露目が終わったようだ。

「何だかんだ大丈夫だったみたいだね。怪しい動きをする人もいなかったようだし」

 こっそりとジョンがエリックに耳打ちをする。エリックは瞬きもせず、淡々と返した。

「確認するまでは分からないぜ。なんせ予告状を出しているんだからな」

「悪戯の可能性は無いの?」

「否定は出来ないが、俺は本当に予告状通り盗んでいって欲しいと思うな」

「探偵が言うセリフじゃないよ」

 ジョンが大きくため息をつく。彼の言う事は分からなくはないが、エリックとしては正義感から探偵をやっているわけではないのだ。全ては謎を解く快楽のためである。謎を解きたいから探偵になったのだ。


 *


「皆様、本日はお集りいただき誠にありがとうございます。宴の終わりが近付いて参りました。皆様の馬車を屋敷の前に待機させておりますので、気を付けてお帰りくださいませ」

 ボゴールが一礼をすると大きな拍手があがった。そして、使用人が応接室の両開きの扉を開くと、そろそろと招待客達は出ていく。全ての招待客が出ていき、応接室に誰も居なくなるとエリックとジョンはすぐにボゴールの元へ向かった。


「ボゴールさん」

「ああ、お二人とも。無事に祝賀会を終えることが出来ましたよ」

 ほっとした様子のボゴールに、エリックは鋭い目つきで言い放つ。

「ここでナリルの涙が取り替えられていないか確認してください」

「えっと、ここで……ですか?」

 戸惑う様子のボゴールに有無を言わさぬ圧でエリックは頷く。


「ここで確認している間にファントムが盗む可能性は?」

 ボゴールは心配していることはその点なのだろう。辺りをきょろきょろと見回し、警戒した様子でエリックに問いかける。

「無いでしょう。護衛と治安部があちらこちらに居ますし、予告状の犯行時刻はもう過ぎています」

 エリックは時計を指差すと、釣られるようにしてボゴールとジョンが顔を向ける。時計の針は二十三時前にあった。予告状の時刻は二十二時。


「分かりました」

 ボゴールは頷くと小サロンの扉を開けて中に入っていく。エリックとジョンは正面に立ちはだかるようにして待つ。

「治安部の人が凄い形相で見ているよ」

 ジョンが居心地悪そうにエリックに話し掛けた。視線をやってみると、敵を見るような目で治安部がこちらを睨みつけている。視線はジョンではなく、エリックに集まっているのだが。


「あいつらにしたら私立探偵の俺は邪魔者だし、俺がファントムの可能性もあるからな」

 ファントムの名を出すと、治安部の方からぴりついた空気が流れてくる。面倒くさいな、と思いながらエリックは小サロンから出てきたボゴールに聞いてみた。

「ナリルの涙は無事でしたか?」

 エリックの問いに、心の底から安心したような表情でボゴールは頷いた。


「ええ、本物でしたよ。今回は質の悪い悪戯だったのでしょう」

 エリックは遮るかのように発言する。

「そうとは限りませんぜ」

「一体どういう意味ですか?」

 分からないと言うようにボゴールは眉をひそめる。隣にいるジョンも不思議そうにエリックの顔を覗き込んできた。しかし、彼が答えるよりも早く事態は動き出す。


「ご主人様!」

 慌てた様子でやって来たのは、エリックを鋭い目つきで睨みつけていたクラリスの侍女だった。葡萄色の髪を揺らしながら慌てて走って来る。彼女の靴が床を叩く音が響く。

「ティナじゃないか、どうしたんだ?」

 ボゴールは侍女の名を優しく呼んだ。ティナと呼ばれた侍女は息をきらしながら、青ざめた顔で話す。


「お、お嬢様が……」

「クラリスがどうしたんだ? 何かあったのか?」

 娘に何かあったのだと察したボゴールは、ティナに先を言うよう促す。

「お嬢様がどこにも居ません!」

「何だと!?」

 ティナの言葉に治安部はすぐに応接室を出て行き、クラリスの捜索を始める。ボゴールは唇を紫に、顔面を青ざめさせながら必死に護衛の男達に指示を出す。そして、崩れ落ちるように床に倒れてしまった。


「ボゴールさん!」

 ジョンとティナが慌てふためいた様子でボゴールに近付く。

「気絶しているんだろう」

 エリックはボゴールを見下ろしながら淡々と話す。近くに控えていた男の使用人達がボゴールを抱え上げ、応接室を出ていく。


 その様子を見ていたエリックは独り言ちる。

「怪盗ファントムが盗んでいったのは、ナリルの涙ではなく、クラリスの方だった」

 ジョンがエリックに駆け寄って肩を掴む。

「どうしよう!? クラリス嬢はどこにいったんだろう。無事なのかな?」

 青ざめるジョンと対照的に顔色一つ変えないでエリックは言う。

「無事だよ。今頃、丁重におもてなしでもされているだろう」

「どうして言い切れるんだ?」

「怪盗ファントムがナリルの涙を盗まずにクラリスを盗んでいった、ということは彼女を交渉の材料にするはずさ。ボゴールさんが答えを渋った時、彼女本人に懇願でもさせれば、あの親父さんなら動くだろう。ファントムも殺すより生かす方に利があるのは分かっているはずさ。それに初代ファントムは決して人を殺めなかったし、傷付けなかったさ」


 でも、とジョンは続ける。

「それは初代の話で二代目がそうとは限らないじゃないか」

「だから言っただろう? 生かしておく方が交渉の幅が広がるって。とりあえず、今の俺達に出来ることはない。証拠を探すにしても陽が落ちているから暗すぎて見えない。明日から調査を始める」

「楽観的じゃないか?」

 ジョンの言葉にエリックは笑みを浮かべる。

「違うな。俺はファントムを信用しているんだ」

 妖しい微笑みを浮かべて目配せしてみせると、エリックはゲストルームへと戻っていった。

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