File9:Side Detective

 応接室の壁際には白いクロスがひかれた長机がずらりと並んでいて、大皿に入った肉や野菜、果物などが置かれていた。

 エリックは、普段食べられないご馳走を目の前にどれから食べようかと思案する。数人の使用人が酒の入った瓶とグラスを手に持ち、参加者に注いで回っていた。


「やあ、ムッシュ。俺にも一杯くれないか?」

 エリックは葡萄酒を配っていた使用人がこちらに近付いてきたタイミングで話し掛けた。使用人は丁寧な動作で空いたグラスに濃い赤色の葡萄酒を注いでいく。

「いい色をしている。ボゴールさんが作ったお酒だな?」

「さようでございます」

 彼はグラスを受け取ると、鼻を近付け香りを嗅いだ。濃厚な葡萄の香りと少しだけツンとするような匂いがした。


 一口飲んでみると葡萄を丸ごと食べているかのような、深い味わいだ。アルコールの刺激も少なく、すっきりとした味わいで飲みやすい。お酒というのを忘れて何杯も飲んでしまいそうなほどである。

(なるほど、酒造業で財を成した実力は本物なのだな……)

 エリックが葡萄酒の美味しさに感動していると、

「この葡萄酒は、北方の葡萄農家と契約して直接仕入れたものを原料としているらしいよ」

 飲み慣れているらしいジョンが隣で解説してくれる。独自の仕入れルートを持てるのは、大きな力を持った商人だけだ。


 すると、他の種類のお酒を持った使用人がエリックに近付いてきた。

「こんばんは、蜂蜜酒はいかがですか?」

「いただこう」

 蜂蜜酒はボゴールの代表となるお酒である。領主へ納品しているのも蜂蜜酒だ。グラスに注がれている蜂蜜酒は、琥珀色で少しとろりとしている。近付いて嗅がなくても、ふわりと花の香りが漂ってきた。

「うまい!」

 グラスを傾け、蜂蜜酒を口に入れるとその美味しさに思わず声が出てしまった。祝賀会に参加している人々や使用人が、素直なエリックの反応に微笑みを浮かべている。


「お父さまが作ったお酒、美味しいでしょう?」

 少し擦れた特徴的な声が投げかけられた。振り返ると、美しい顔に微笑みを浮かべたクラリスが立っていた。彼女を守る騎士のように葡萄酒色の髪と瞳を持つ侍女が少し後ろに控えている。


「ええ、さすがですね」

 ジョンが柔和な笑みを浮かべる。クラリスは口に手を当ててクスクスと笑う。

「そういえば、探偵さんのお名前をお伺いしておりませんでしたね」

 彼女は少し灰色がかった瞳をエリックに向ける。エリックは胸元に手を当て、仰々しく頭を下げた。

「そうでしたね。俺はルヴィアイ十五番街で私立探偵をしております、エリックと申します。以後、お見知りおきを」

「エリックさまですね。お父さまから話は聞いておりますわ、何でも凄い方のお弟子さまなんだとか」


 クラリスが言うのはデポネのことだ。弟子のエリックも曲者ではあるが、デポネは彼をも超える変人である。謎を解くことを生きがいとしていて、他人と関わることを大の苦手としていた。依頼人のことは謎を解く前は興味を持って接するが、謎を解いてしまえば用済みなので態度が一変するのだ。名探偵オーガスト・デポネは二重人格だという噂が流れるほどだったらしい。


「師匠は謎解きだけは凄かったですね。それ以外は散々でしたけど」

「きみが言えた口じゃないだろう」

 隣で呆れたようにジョンが言う。

「ふふっ。ところで、オーガスト・デポネ氏は大の人間嫌いだと言われておりますのに、一体どういう経緯でお弟子さまになったのですか?」

「話せば長くなりますが、俺が勝手に師匠のあとを付いていって強引に弟子入りしたんです。ちょうどその頃にジョンと知り合いましてね。彼とはそこからずっと交流が続いています」


 クラリスはエリックの話を聞きながらも、彼とジョンの飲み物が無くなる前に使用人へ合図をして用意をさせる。細かい気配りをそっと出来るあたりも優秀なのだろうと感じた。

「お二人は幼馴染の関係なのですね」

「幼馴染というか腐れ縁というか」

 ジョンの困惑した表情にクラリスはころころと笑った。

「わたくしには幼馴染と呼べる存在がおりませんので、お二人が羨ましいですわ」

 ふと後ろで控える侍女の瞳が揺れた気がしたのは、エリックの気のせいだろうか。


「俺からもクラリス様に幾つかご質問をしてもよろしいですか?」

 エリックの赤い瞳がぎらりと光る。獲物を見定めている肉食獣のように。


「ええ、もちろんですわ。わたくしに答えられることは何でもどうぞ」

「クラリス様は若くしてギルドを設立したそうですね。ええと、名前は何でしたっけ。あぁ、そうそう。バッカスの

 するとクラリスは今までの柔和な笑みを消し、挑発的な笑みに切り替える。その灰色がかった瞳はどこか楽しげに揺れていた。

「バッカスの盃ですわ、探偵さん」

 エリックはそうでした、と舌を出しておどけてみせる。


「では、怪盗ファントムは本当に来ると思いますか?」

 クラリスは少し考えると、瑞々しい唇を笑みの形にする。

「案外、もう来ている・・・・のかもしれませんわ」

「ほう、そうだとしたら大変面白い。やはり予告状通りに盗んでいくのでしょうね。あの貴重なナリルの涙をどうやって盗むのだろう?」

「探偵さんは“ナリルの涙”がターゲットだとお考えなのですね」

 クラリスの言葉にエリックは口角を上げる。犬のように尖った歯がちらりと唇の隙間から覗き出る。


「クラリス様は“ナリルの涙”はターゲットではないと?」

「可能性の一つとして申したまでですわ。何を盗むのかは怪盗ファントムしか分かりませんので、答えを複数挙げて警戒した方が安心いたしません?」

 クラリスは口元に手を当てクスクスと笑った。少し擦れた、特徴的な声で。


(なかなか尻尾を出さないな。彼女が怪盗ファントムかと睨んだのだが、本物なら手強いな)

 エリックが彼女を怪しいと思った理由は二つかある。一つは婚約者のいる年頃の娘なのに、自分からエリック達に話し掛けたこと。

 エリックは上流階級ではないので社交界に参加することはなかったが、今まで受けてきた依頼主の中には貴族や富裕層も多くいた。

 そして、ジョンからも教えてもらったのは、年頃の娘は自分から話し掛けないのがマナーなのだそうだ。

 いくら主催者の娘だとしても、挨拶をする時は父親に同伴するのが一般的である。彼女は良家の娘としてマナーを知らなかったとは考えられにくい。しかし、動作や溢れる気品は高位の貴族令嬢に見える。

 ちぐはぐしたものを彼女から感じ取れるのが、エリックには引っ掛かっていた。


 もう一つはジョンと会った時に言っていたこと。クラリスは『まあ、お久しぶりですわ。以前にお会いした時はどのくらい前でしたでしょう?』と聞いていた。ジョンは五か月ぶりだと答えている。

(五か月って人にもよるだろうが、久しぶりの範囲に入るのか?)


 ジョンの兄との婚約が正式に決まった日に会っている。自分の想い人との婚約が決まった日というのは、とても大切な日なのではないか? そんな日に会っているのなら覚えているはずじゃないのか? どうして彼女は覚えていなかったのか。否、知らなかったのだろうか——?


(掴めそうで掴めない。隙がありそうで突けない。君が怪盗ファントムなら……良いな。その方が俺は楽しい)


 本当は怪盗ファントムが何を盗もうがエリックにはどうだっていい。彼にとって大事なのは謎の種をどうのように育てて刈り取ることだからである。


(師匠が初代と対峙した時もこんな気持ちだったのかな)

 エリックは思う。目の前の彼女をただじっと見つめて、思う。

(君の本当の姿はどれだ?)

 彼の口角があがる。爛々と光る赤い瞳はやっと見つけた獲物・・を前にする獣のように、獰猛に彼女へ向けられていた。

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