File7:Side Phantom
彼女は寝台から起き上がると窓を開けた。夜の冷え切った空気がアデルの頬を優しく撫でていく。ふわりふわりと光りながら飛ぶブルーベラ蜂を眺めながら、彼女は思考の海に沈んでいた。
(おそらく警吏はレーボルク家から賄賂をもらって違反を黙認している。彼らを動かすには賄賂を用意しなければならない。では衛兵は? 衛兵を動かすには領主へ嘆願書を書かねばならない。無許可での酒造は領主にとっても喜ばしいものではないわ。嘆願書を書けば領主は動いてくれるかしら)
アデルは、ランタンに火を灯して机上へと置く。引き出しから便箋と筆、墨を取り出して机に広げた。筆を手に取り、先端に墨をつけようとした。
「いや……領主が何の影響力も持たない私達の言葉に耳を傾けるとは思えない。たとえ違反だとしても、戯言だと流れされてしまう可能性がある。私は確実にジェシーを助けたい。誰かに頼るのは私のやり方じゃないわ」
ではどうする? と内なる自分が問いかける。
「かなりのお金が必要ね。衛兵を直接動かせるほどのお金が。でも、普通に稼いでも明日生きていけるかくらいの賃金しかもらえない。まともなやり方では用意できないわ」
孤児院を巻き込むの? もう一人の自分が責める。
「巻き込みたくはないけど、私一人では成しえない。明日、みんなに話そう。反対されれば嘆願書を書くことにしよう」
自分に言い聞かせるようにしてアデルは呟く。そして、今日郵便配達員からもらった紙を取り出して一枚の紙を手に取った。
翌日、アデルは他のメンバーを食堂へと呼び出した。ティナ、ローラン、スパロウは険しい表情を浮かべつつも、アデルへ信頼する視線を向ける。
「みんな集まってくれてありがとう。昨日の事だけれどいいかしら?」
「ああ」
声に出したのはローランだった。ティナとスパロウは黙って頷く。
「私が考えたジェシーを助ける方法は三つあるわ。一つは賄賂を用意して警吏を動かす方法。これはレーボルク家から警吏に渡している賄賂よりも多い額を準備しなければならない。もう一つは領主へ嘆願書を書く方法。手紙を書けば終わりだけれど、実際に領主が動くかどうかの保証はない。何年も待たなければならない可能性もある」
「おれはジェシーを今すぐにでも助けてやりたい」
ローランが口を挟んだ。彼の強い口調にティナも大きく頷く。対してアデルは全て予想済みだというように、いつもの微笑を浮かべて話を続けた。
「ええ、私も。だから最後の方法は、少し時間はかかるけれど、他の二つよりも手早く出来るの。だけど無理に君達を巻き込むつもりはないから、その方法を取るのが嫌だったら遠慮なく言ってちょうだい」
アデルの含みのある言い方に全員が怪訝そうな表情を浮かべ、お互いの顔を見やる。
「最後はね、お金を集めて直接衛兵を動かす方法。民間で治安維持を行っている警吏と、領主直属の衛兵だったら後者の方が良いでしょう? 建前は寄付金ということにするの。寄付をするからお願いを聞いて欲しいって」
「問題はその金をどう工面するかだろ?」
「落ち着いて、ローラン。アデルの事なのだから考えがあるに決まっているじゃない。あんたって単細胞ね」
いらだった様子のローランにティナが窘める。ローランは彼女の吐いた毒を気にする様子はなかった。ティナが男性にだけ厳しいのは、いつものことなのである。
「ボゴール家のお宝を頂戴するのよ」
「はあ?」
「ルヴィアイでも有数の豪商ボゴール家には、価値の高い資産があるはず。それを頂戴して、返してほしければお金を用意しろと交渉する。たとえ闇市場でも売ってしまうと、足取りが掴めてしまう。ボゴールから直接金銭を受け取るの」
アデルの提案にローランは口をあんぐりと開け、絶句した。あまり感情を表情に出さないティナやスパロウまでもが動揺をしているほどだ。
「も、もし上手くいったとしても治安部の捜査課が捕まえに、く、来るでしょう?」
スパロウの言う事はもっともだ。ルヴィアイの地には、治安を守るための職が三つある。一つは警吏。これは民間の警備会社が雇った民間人である。主な仕事は酒場での乱闘騒ぎをおさめるなど、軽犯罪を取り締まる。しかし、賄賂を受け取って悪人をわざと見逃す者が多い。
もう一つは領主直属の衛兵。治安維持を主としているが、領主の屋敷やその近辺——富裕層が住むような場所——に絞られてしまう。アデルが考えたように、領主へ直接嘆願書を送れば衛兵を動かしてもらえるが、読んでもらえる可能性も、読んだうえで行動をしてもらえる可能性も高いとは言いきれない。
最後は治安部である。これは殺人事件や領主の不正といった大きな犯罪を取り締まる。指揮系統は国になる。各領地に配属されており、伝手があれば動いてもらえるという。
おそらくボゴール家ほどの裕福な家は、治安部との伝手があり、何かあれば人員を派遣してもらえるだろう。彼らは厳しい試験を乗り越えたエリート達であるため、治安部からは簡単には逃げられない。
「ええ、そうね。その時はおそらく領主も無関係ではいられないはず。レーボルク家の秘密を治安部に喋れば、さすがに領主も動かないわけにはいかない。捕まったとしてもジェシーを助ける道は作れるわ」
「で、でも無茶だと……思う」
スパロウは首を横に振る。胸の前で組んだ指を交差させながら、無茶だと繰り返す。
「宝はどうやって盗むつもりなんだ?」
黙っていたローランが問いかける。
「そうね……かなり大掛かりな作戦になるのよね。作戦を言ってしまえば、私が治安部に捕まった時、君達も共犯となってしまう。すべてを話す前に君達に聞きたいの。私は二代目怪盗ファントムとして宝を頂戴する。大事な君達を私は巻き込みたくはないけれど」
「二代目怪盗ファントムだぁ!?」
大きな声で驚いたローランは、思わず椅子から立ち上がってしまったようだ。がたんと大きな音を立てていきなり動いた彼に、後ろにいたスパロウがびくりと体を震わせる。
「ええ、ファントムほど上手くは出来ないし、理由が個人的なものだけど。盗みをやる時はファントムの名を継ぎたいの」
アデルの言葉に全員が黙り込む。時が止まったかのようにみんなじっとして動かない。やがて沈黙を破ったのは、ティナだった。
「あたしは協力するわ。じっとしていてもジェシーを助けられないし、捕まったとしてもあたしは孤児だから悲しむ家族もいない。まあ、孤児院の子ども達には悪いことしちゃうけど」
眼鏡を押し上げて彼女は言った。アデルが嬉しそうに微笑むと、ティナは頬を紅潮させる。
「ぼ、ぼくも……」
おずおずと手を挙げたスパロウ。普段の彼なら逃げているだろう。勇気を振り絞ってくれたことに、アデルは感謝するように彼へ微笑んだ。
ティナとスパロウの視線がローランへ向けられる。少し居心地が悪そうにしていたが、やがて観念したかのように頭を手でぐしゃぐしゃとすると、ぼさぼさになった髪のまま彼は答えた。
「あ~、しょうがねえ。おれも参加するよ。ティナの言う通り、ここのやつらには悪いことしちまうけど、だからってジェシーを見殺しには出来ねえ。たとえ間違った道で救うことになったとしても、だ」
それに、と言い加える。
「おれ達はずっとアデルについて行くつもりだったからな」
「ありがとう、みんな」
アデルは微笑んだ。
「では二代目怪盗ファントムとしての初仕事、作戦を伝えるわ。私ね、郵便配達員から広告をもらってきたの」
彼女は言うと、手にしていた紙を掲げる。書かれているのは、ボゴール家使用人募集の文字。
「今回、ボゴール家が使用人を募集しているの。しかもただの使用人じゃない。娘の侍女を探しているそうよ」
三人はアデルの近くへと寄って行き、広告を読む。
「この使用人募集に応募する。ティナ、君にお願いしたいわ」
「あ、あたし? でも令嬢の侍女なんて良家の娘じゃないと務まらないよ」
「そうね、ここを見てちょうだい。“面接希望者は当日身分を保証できるものを持参すること”って書いてあるでしょう? ここでティナが良家の娘だということを見せることが出来れば問題ない。いいかしら、身分証は偽造するの。偽造する身分証はスパロウ、君に作ってもらうわ」
「ぼ、ぼく?」
「ええ、君は手先がとても器用だから。実際の身分証がどんなものか見てから作ってちょうだい。見本にする身分証は、ローランと主要区へ行って小さいギルドに“ギルド法を順守しているか確認して回っている”と言って、見せてもらいなさいな。ああ、そうそう、怪しまれるからその時は警吏のバッジをつけておいてね」
するとスパロウが困惑したように眉を下げた。
「警吏のバッジってどうやって手に入れるの?」
「詰所で寝ている警吏から借りればいいんだよ」
彼の疑問に答えたのはローランだった。スパロウは、ああ、そっかと納得したようで何度も頷いていた。
「もし面接に落ちたらどうするの?」
「その時は別の方法を考えるわ。でも、ティナは落ちないと思う。アガット姉さんから貴族の礼節は学んだでしょう? ボゴール家の侍女に応募する家はね、小貴族かボゴールほどではないけれど、まあまあ裕福な家だわ。位の高い貴族令嬢は来ないと思う」
アガットというのは、元侯爵令嬢だった女性だ。過去に何があったのかは知らないが、現在は同じ教区にあるプラム修道院の修道女となっている。面倒見がいい女性で、アデルとティナ、ローラン、スパロウに貴族の礼節を教えてくれたのだった。
「君の振る舞いは侯爵令嬢並みよ、自信を持って」
アデルの噓偽りない真っ直ぐな言葉にティナは頷きを返した。
「じゃあ早速、準備に取り掛かりましょう」
「あ、そうだ。せっかくなら円陣を組もうぜ」
ローランの提案にティナが叱る。
「遊びじゃないし、茶化していいことでもないから。空気読みなよ、単細胞」
「分かってるよ。でも、秘密を共有して悪行に手を染めるなら一致団結は必要不可欠だぜ」
「ふふ、やりましょうか」
アデルの言葉に渋々ティナは円陣を組むことにしたようだ。全員の顔が中心に集まる。ローランが口を開く。
「ジェシー救出のため、二代目怪盗ファントム始動するぞ!」
ローランの言葉に控えめな「おー!」という声がばらばらに続いたのだった。
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