File5:Side Phantom

 全員がアデルに呼び出されたのは、彼女が自室にこもってから十分ほど経ってからの事だった。彼女の部屋にティナ、ローラン、スパロウが入り、書き物机に広げられた手紙とアルファベットの羅列が書かれた紙を見る。

 アデルは自身を囲むようにして集まった面々を見て、全員揃ったわねと頷くと暗号の説明に入った。


「何通りか試して解読出来たわ。ジェシーはアルファベットを三つずつずらして作ったようなの」

「ど、どういうこと?」

 アデルの簡単な説明では理解できないというように、おどおどとしながらスパロウが質問をする。他人と関わるのを大の苦手とするスパロウは、付き合いの長いアデル達とでさえも、あまり会話をしようとしない。そんな彼が自主的に質問をするとは、よほどジェシーが心配なのだろう。

 スパロウの心境を気付いたのか、いないのか、アデルは美しい笑みを浮かべながらアルファベットの羅列が書かれた紙を見るよう指差す。


「暗号を解読するには、暗号文と対になるアルファベットが必要なの」

 つまり、と続ける。

「Aの対はAから三文字ずらしたDという事になる。APPLEならシーザー暗号にすると、DSSOHになる」

 アデルは通常のアルファベット順と三文字ずらして書いたアルファベットの列を、該当の文字を指差しながら説明する。

「ジェシーが書いたKHOSだけれど、解読用のアルファベットに当てはめると、Kは“H”、Hは“E”、Oは“L”、そしてSは“P”に変換される」

「……HELP。助けてってこと?」

 ティナが感情をそぎ落とされたような無表情で解を出す。アデルは頷く。


「そう。ジェシーは私達に助けを求めている。暗号まで使って里親に知られないように私達に知らせたいこと」

 アデルが言いたいとする事が分かった面々は、唇をかみ、歯を食いしばる。ローランが握る拳がぶるぶると震えていることにアデルが気付く。

「ティナ、ローラン。君達にお願いがあるの。ジェシーが引き取られていったレーボルク家に様子を見に行ってくれないかしら。表からの情報収集はティナが行ってちょうだい。裏からはローランがお願い」

「あ、あの、表と裏の情報収集って……何?」

 スパロウがゆっくりと手を挙げながらアデルに問う。指名されたティナとローランは、薄々気付いているようだったが、誰もスパロウの質問を馬鹿にしなかった。

「レーボルク家に正面から“ジェシーはどうしていますか”と聞いても“元気にしているよ”と返ってくるわ。悪事に手を染めていたなら尚更、正攻法で様子を調べても尻尾は出さないでしょう。でも、裏からこそこそと嗅ぎまわっていれば勘付かれる可能性が高い。悪いことをしている奴らは鼻が利くからね」


 細い指を立ててアデルは片目を瞑ってみせた。

「そこで、ティナが正攻法でレーボルク家に様子を聞いている間に、ローランがレーボルク家の隠そうとする事実を調べるというわけ。正面から聞いてくる相手に対応している間、注意はおろそかになるでしょう。手の回る小賢しい悪党でなければ、ね。表の情報収集というのは、裏の情報収集が行われやすいようにする陽動なの」

 アデルの説明にスパロウは理解したようで、こくこくと頷くとティナとローランに視線をやった。何も言わなかったが彼なりのエールなのかもしれない。そんなことを思いながらアデルはティナ達と向き合った。


「よろしく頼んでもいいかしら?」

 彼女が聡明な青い瞳を向けると、ティナは頬を紅潮させ、ローランは力強い視線を返す。

「もちろんよ」

「必ず何かを掴んで帰って来る」

 彼らの言葉にアデルが頷いて返すと、二人はすぐに主要区へと発っていく。残されたスパロウに、他の子ども達の世話を頼むと、アデルは自室で一人になった。誰も居なくなったことを確認すると、書き物机の引き出しから木で作られた箱を取りだす。そっと蓋を開けると、中に入っていた真っ赤な宝石が輝く首飾りを手に取る。


 血のような強い赤色をした辰砂を囲むように、繊細な意匠を施された金が嵌められている。アデルはじっと惹き込まれるように石を見つめると、首飾りを握り締め、胸の前に掲げた。

「……ラザール先生、どうかジェシーをお守りください」

 今は亡きエデルミナ孤児院の院長。アデル達を育ててくれた恩師の形見に触れていれば、自分の心にラザールが寄り添ってくれているような気がする。彼の跡を継いで院長になったアデルはまだ若く、みんなの前では冷静な態度を取っているが不安からは逃げられなかった。

 どうか、どうか。あの優しい子がただ笑っていられますように。

 アデルは願った。今の自分にはそれだけしか出来ないと分かっていたから。


 ティナとローランが帰って来たのは、ジェシーの手紙を解読した日から三日後のことだった。アデルが自室で収支の帳簿をつけていると、スパロウが扉を叩いて知らせてくれた。

「ア、アデル姉ちゃん。ティナ姉ちゃんと兄ちゃんが、か、帰って来たよ」

 スパロウの報告にアデルは弾けるように自室から出て、彼らが待っているという食堂へと向かう。階段を数段飛ばしておりてみると、長机に向かい合わせで座るティナとローランが見えた。二人とも暗い顔をしていて、彼らが持って帰ってきた情報は喜ばしいものではないと察する。


 アデルは二人に蜂蜜を混ぜた水を出してやると、前の院長であるラザールがよく座っていた椅子に腰かけた。食堂の全体を見渡すことが出来るこの場所は、彼が好んで座っていた場所である。美味しそうに食事をする子ども達の顔を幸せそうに眺めていたのが印象的であった。だが、今は険しい顔を浮かべたアデルが座っている。


「二人ともお疲れ様」

 彼女はまずティナとローランをねぎらった。どんな情報であれ、近くはない教区と主要区を往復してきてくれたのだ。それもかなり急いでくれたらしい。二人の着ている服はところどころほつれが目立つ。おそらく森を駆け抜ける時に、木々で服を引っかけたのだろう。それでも構わず孤児院へと戻ってきた二人は、どんな内容であれ大きな収穫があったに違いないとアデルは思った。


「ジェシーは無事だったかしら」

 あまり期待をせずに問うと、ティナとローランは言いにくそうに顔を見合わせていた。やがてティナが言葉を選びながらアデルにぽつりぽつりと話してくれた。

「結論から言うとジェシーは生きている。だけど“子ども”として過ごせてはいないみたい」

「どういうこと?」

 アデルの疑問に今度はローランが答えた。

「強制労働をさせられていたんだ。あのレーボルク家は色んな領地にある孤児院から少人数ずつ子どもを引き取って、自分の工場で働かせている」

 ローランは握った拳を己の膝に叩きつけて言う。見ているだけだった自分は悔しくてたまらないのだろう、アデルは彼の心中が痛いほど分かった。


「レーボルク家の表向きは裕福な商家だ。だけど周りの住民はどんな仕事をしているかは知らなかったんだ。それもそう、奴らがやっているのは裏家業だからな」

「なるほど。自分達の敷地で工場を作り、表沙汰には出来ないものを作るには、孤児院から引き取った子ども達を労働力にする方が、都合が良い。幼いうちから教育すれば、自分達の優秀な駒になるもの。小さいうちは閉じ込めておける。逃げ出す心配もない、安心安価な労働力として扱っているのね。子ども達の意思を無視した強制的な労働をさせて出た利益を大人が貪るというわけかしら」


 ローランはその通りと言わんばかりに深く頷いた。

「それで、レーボルク家は何を作っていたの?」

「酒だよ」

 えっ、と言葉を発したのはスパロウだった。酒造業を行えるのは、領主から認可を得た商家のみである。隠れて酒造をしているということは、レーボルク家は非認可で行っているということ。明るみに出た場合、多額の罰金と営業停止、最悪の場合は領地追放となる。


「あたし達、レーボルク家の情報を掴んだあと、すぐに主要区の警吏へ報告をしたの」

 ティナが声を震わせ話す。

「警吏は……なんて言ったの?」

 おおよそ予想はついていたが、アデルは敢えてティナに問う。

「誰が無償で孤児を助けるか、助けて欲しけりゃ金を寄こせ、って」

 彼女は言われたままの言葉を話しているのだろう。アデルはまるで自分がその場にいたかのように想像が出来た。


「くそっ、警吏っていうのは弱者を守るための存在じゃないのかよ……!」

 ローランが歯を食いしばりながら言葉を吐く。

「警吏はおそらくレーボルク家から見返りをもらっているのでしょう。何も持たない私達が助けを求めても、動かない方が彼らにとって利益がある」

 淡々と話すアデルにスパロウがおずおずと問いかけた。


「じゃ、じゃあ、ジェシーはどうやって助けるの?」

「少し考えさせて」

 アデルは言いながら階段をあがっていく。難しい考え事をする時は、必ずと言っていいほど自室にこもる。そして、彼女が自室にこもっている時は、誰も邪魔をしてはいけないというのがエデルミナ孤児院での暗黙の了解であった。

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