File4:Side Phantom

 アイベリー城がある主要区からメグナコの森を挟んで位置する教区。鬱蒼とした深い森と隣接する教区には、聖職者と孤児院に住む子ども達が住んでいる。教区もアイベリー侯爵の領地に入るが、教区内のことは侯爵ではなく、ピオーネ教会の長である司祭カジミールが指揮をとっていた。


 教区の中にあるエデルミナ孤児院では、盛大に仲間たちから門出を祝われる少女がいた。

「ジェシー、おめでとう!」

 性別も年齢も様々な子ども達が、はにかみながら里親の手を握るまだ幼い少女にミレーの花びらをかけていた。エデルミナ孤児院から里親に引き取られる子どもへの祝いの儀式である。


「良かったわね、ジェシー。クリスマスまでに家族が出来て」

 白と銀が混じった美しい髪と北方民族プルーの血を感じさせる青い瞳を持つ女性が、ジェシーと呼ばれる少女に笑いかける。彼女は白銀の髪を耳にかけながら、ジェシーの目線に合わせるようにしゃがみこむ。アデルの少し擦れたような特徴的な声が耳に心地よい。

「アデルお姉ちゃん、ありがとう!」

 アデルと呼ばれた彼女は、ふっと笑みを浮かべてジェシーの里親へと視線をやる。


「この度は養子縁組をありがとうございました。この子は素直で器量も良く、頭も良い子です。きっと自慢の家族になってくれると思います」

 里親の男はアデルの目を見て頷いた。

「ここの子ども達を見ていて感じましたよ。きっとアデル院長がみんなのお手本になっているのでしょうね」

 彼の言葉に周りにいた子ども達が次々と話し掛けてくる。

「アデルお姉ちゃんは優しいんだよ! 頭もとっても良いの!」

「お化粧も上手なの! わたしももうちょっと大きくなったらアデルお姉ちゃんにお化粧してもらうの」


 わらわらと集まってくる子ども達に、ジェシーの里親がたじろいでしまう。収拾がつかなくなってしまう前に、アデルは手を叩いて子ども達の注意を引く。

「ほら、みんな離れて。ジェシーが新しいお家に行けなくなってしまうわ」

 はーい、と元気な返事をしてからアデルの後ろに行儀よく並ぶ。


「教区と主要区には深い森がありますので、ここに来られた時と同様にローランとスパロウという孤児院の職員が主要区までご案内いたします。彼らは既に門の前に待機していますので、そちらで合流してください」

「お気遣いありがとうございます。それじゃあ、行こうか」

 里親は優しくジェシーの手を握る。ジェシーも彼を見上げて幸せそうに頷いた。


「待って、待って……!」

 門の方角から眼鏡をかけた少女が走ってくる。葡萄酒色の髪はところどころ跳ねており、眼鏡の奥の薄い紫色の瞳は、間に合ったことへの安堵の色が浮かんでいた。顔には泥がついていて相当急いで森を抜けてきたのだということが分かる。

「ティナお姉ちゃん!」

 ティナと呼ばれた彼女は大事そうに抱えていた瓶をジェシーに渡す。瓶の中には、半透明の黄金色のとろりとした液体が入っていた。メグナコの森に住むブルーベラ蜂が集めた蜂蜜だ。高価な品物で、教区の人間は村の人間と交流があるため寄付をしてもらっているが、主要区では富裕層しか手に入れることが出来ないほどである。


「村の人に一つ分けてもらいに行っていたらギリギリになっちゃって……」

「ティナお姉ちゃん、ありがとう!」

 ジェシーはティナから瓶を受け取ると、大切そうに胸の前でぎゅっと瓶を抱き締める。

 アデルは彼女達の様子に微笑みを浮かべながら、ティナの肩を抱く。どきりとした表情を浮かべたティナは、少しだけ頬を赤く染める。


「それじゃあ、みんなでお見送りしましょうか」

 アデルの合図で孤児院のみんなはジェシーへと顔を向けた。そして、全員が笑顔を浮かべて見送りの言葉を言う。

「ジェシー、行ってらっしゃい!」


 *


 アデルは夜の風に頬を撫でられながら、空を見上げていた。教区の夜空には、花粉を集めるブルーベラ蜂が腹部を光らせながら飛んでいる。その光景はとても美しく、光の粒がふわふわと空を漂っているようだ。夜にしか咲かない花のミレーだけを餌とするブルーベラ蜂は、メグナコの森内部にある村人でしか扱えない。この光景は、決して主要区では見られない貴重なものなのだとアデルは知っていた。


「こんなところにいたのか」

 アデルに話し掛ける声がした。そちらの方へ顔を見やると、ランタンを持った青年がこちらを見上げていた。

「あら、ローラン。今日はお見送りご苦労様」

「ああ。ところで孤児院の屋根に登るのは危ないから止めておけ」

 ローランは言いながらアデルがいる屋根へと登ってくる。彼の手つきは慣れていて、軽やかな動きで屋根へと辿り着く。

「言いながらも君も来ているじゃない」

 アデルはくすくすと笑う。


「本当にここが好きなんだな」

 濃い灰色の髪とアデルと同じプルー族の証である青い瞳を持つローランは、彼女と同じようにブルーベラ蜂が飛びまわる空を見上げた。

「一番空に近いから、かしら。少し手を伸ばせば向こうに行けそうな気がするじゃない?」

「現実主義のあんたが言うと違和感がある」

「まあ。私だってロマンチックな事は大好きよ。合理的じゃないことを楽しむことが出来る分別は持っているわ」


 ローランはそうかとだけ返すと、空へ視線を戻す。

「平和だな」

「そうね。ずっと続いて欲しいわ」

「あんたはこの孤児院を守りたいんだよな」

 彼の言葉にアデルは頷いた。

「ええ。それが先生の望みですもの。でも、それは君だって同じ気持ちでしょう?」

「もちろんだ」


 アデルとローランの前に腹部の光を明滅させながら、一匹のブルーベラ蜂が飛んでくる。アデルが手を差し出すと蜂は止まり、ゆっくりと明滅する。そして蜂は羽を震わせ、アデルの手から飛び去って行く。

 この時の彼らは自らが愛する平穏が脅かされるとは、思いもしなかった——。


 ジェシーが里親に引き取られてから一週間後。一人の子どもがはしゃぎながら、郵便配達員から受け取ったらしい便箋を片手に孤児院に入ってきた。

「アデルお姉ちゃんたち! ジェシーから手紙が届いたよ」

「ありがとう」

 子どもはアデルに便箋を渡すと、すぐに玄関へと走って行き、振り向く。

「あとでお手紙の内容、教えてね!」

 笑顔で告げると玄関から外へ遊びに出て行った。


 便箋を受け取ったアデルの周りに、ティナ、ローラン、そして目が隠れそうなほど伸びた亜麻色の髪と、前髪の隙間から見える黄色い瞳とそばかすが印象的なスパロウが集まる。


「ジェシー、早速手紙書いてくれたんだ」

 ティナが嬉しそうに言う。アデルは微笑むと封をきった。中から出てきたのは、二枚の紙。一枚はアデル、ティナ、ローラン、スパロウらしい似顔絵が描かれている。そして、もう一枚には——。

「……KHOS?」

 ティナが首を傾げる。同じくスパロウも怪訝そうに手紙を見ていた。

「どういう意味だ? なんの言葉にもなっていない、ただのアルファベットの羅列じゃないか」


 ジェシーは読み書きが出来る。大人になって職に困らないように、アデル達が孤児院の子どもらに教えているのだ。ジェシーは幼いが、文章を作ることも、本を読むことだってできる。伝えたいことは紙に書いて知らせることが出来る彼女が意味不明の文字を書く。それは、“敢えて”そうしているからに違いなかった。

 だが、この単語が何を伝えたいのか見当もつかない。彼らは黙り込んでいるアデルを見る。全員の視線に気づいたのか、彼女は“KHOS”と書かれた紙を見せる。


「これはシーザー暗号だと思う」

「シーザー暗号?」

「文章の文字を他の文字に置き換えて暗号化する方法のこと。AからZまでの文字を二十六文字の中でシフトさせて作るの」

 アデルの説明を聞いたティナは、おずおずと聞き出す。

「シフトする文字は決まっているの?」

「文章を作る人が自由に決めても良いの。スライドさせる文字数に決まりはない。暗号を受け取る側がシフトされた後のアルファベットを知っていれば、簡単に解くことが出来る」

「だけどおれ達はそれを知らない」


 ローランの言葉にティナは心配そうにアデルを見る。

「総当たりでも解けるの。でも、少し時間を頂戴。ジェシーがわざわざ暗号化したということは、私達に伝えたいことが里親に知られたくないということ。厄介な問題が起きているのだわ」

 ぶつぶつとアデルは独り言を呟くと、もう周りが見えていない様子で自室へと向かって行った。そして、彼女の言う通り厄介な問題が起きてしまっているのだった。

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