File3:Side Detective

 祝賀会の会場となる応接室はかなりの広さがあった。声を発すれば響くほどの大きい部屋である。天井から吊り下げられているシャンデリアが四つ、部屋の奥の方には扉があり、その近くに椅子が数脚、机が置かれている。他の客人が座れるよう大人数用の椅子も用意されていた。


 エリックは奥にある扉を指差してボゴールに聞く。

「あの奥には何があるんですか?」

「あちらは小サロンがあります。当日、ナリルの涙を展示する時間帯になるまではあの部屋で保管する予定です。鍵をかけて護衛を扉の前に立たせ、誰も入れないようにしますよ」

 ボゴールは小サロンの扉へ歩いて行き、中を見せてくれた。部屋は今いる応接室よりもかなり小さく、エリック達が入れば少し窮屈さを感じる。


 窓はあるが、小型の犬が通れるかくらいで人は通る事は出来ない大きさだ。エリックは小サロンに置かれている長椅子を避けて、窓へ歩いて行く。開けてみると爽やかな風が入り込む。外から来た風はエリックに気高い花の香りを運んで来た。

「小サロンの裏には庭があります」

 ボゴールの説明にジョンもエリックに並んで同じように窓を覗き込む。


「庭から回り込んでもここには入れそうにないね」

 ジョンの言葉にボゴールは続けるように言う。

「当日は閉めて施錠しますので窓からの侵入は不可能かと思います」

「この幅では人間は通るのは難しそうだしな」

 エリックの言葉にジョンは頷く。二人が並んで窓を見ていた時も、窓枠が小さいので半分ほどしか見えなかったのだ。


「小サロンに運ぶのはボゴールさんがするのですか?」

 エリックの質問にボゴールは頷いた。

「ええ、保管場所と開錠方法は私しか知りませんので、私が保管場所へナリルの涙を取りに行きます。ここからは遠いので、保管場所悟られないようなところで護衛と合流します。この部屋を開けるのも閉めるのも私だけ。使用人にも鍵は渡しません」

「展示というのは祝賀会が始まってからすぐに行われるのですか?」

「いいえ、二十一時に展示を開始します。そこから三十分間、その後祝賀会がお開きという流れです」

「怪盗ファントムが狙うとしたらその三十分間?」


 ジョンはエリックに聞いた。彼は淡々と否定する。

「無理だろう。祝賀会にはおそらくたくさんの人が参加する。大衆の目は警備の目でもある。その他にも護衛や治安部の奴らが待機してナリルの涙を注視しているんだから、取ろうとすればすぐに見つかる」

「じゃあ怪盗ファントムはどうやって盗むつもりなのだろう」

 ジョンのつぶやきにボゴールも頷く。二人は顔を顰めて考え込む。

「予告状を出したということは相当自信があるんだろう」

エリックは彼らを気にすることなく、淡々と部屋の中を確認していった。


「ええと、この後はどこを見られますか? 特に無ければ客室を用意させておりますので、お部屋でお休みになられてはいかがでしょうか」

「心遣い感謝します」

 エリックは素直に感謝を述べる。ボゴールは嬉しそうに頷くと、小サロンを出た。ジョンの家に遊びに行った時もそうだが、みんな客人を手厚くもてなしてくれる。庶民なら恐れ多いと恐縮してしまうだろうが、エリックは全くそのような気持ちを感じることなく、客間で寝たいと考えていた。


 大きな応接室を出ると、すぐに階段が見える。深い茶色の木で作られた階段の上に、落ち着いた色の赤い絨毯がよく似合う。階段をあがって踊り場に出ると、そこには美しい女性と天使のような少女の絵が飾られていた。蜂蜜色の髪色と少し灰色がかった銅色の瞳が二人ともよく似ている。

「この絵は?」

「私の妻と娘の絵です。娘がパトロンになった画家に描かせたものです」

 エリックは食い入るように絵を見る。まるで生きている姿をそのまま絵に閉じ込めたかのような、繊細な筆さばきに複雑な色の表現が美しい。


「クラリスは芸術に長けておりまして。あの子がパトロンになった画家は必ず売れるので、“クラリスにパトロンになってもらうことは新人画家の登竜門”なんて絵描きの間では言われているそうなんです。私は絵の良し悪しなんて分かりませんから、母に似たのだと思います」

「あぁ、兄上も言っていましたね。クラリス嬢の目は確かだ、って」

 ボゴールの娘自慢にジョンが割って入る。


「グウィン様が? 未来の旦那様に褒められているとは、娘が知れば喜ぶことでしょう」

 ボゴールの言葉にエリックはぴくりと反応した。

「何、未来の旦那様?」

 彼の怪訝そうな表情にボゴールとジョンは顔を見合わせてから、二人とも頷く。

「あれ、きみに言っていなかったっけ。クラリス嬢は兄上の婚約者なんだよ」

「えっ、そうなの?」

「左様です。娘がアイベリー城へ行儀見習いに行かせていただいた際に、グウィン様に見初めていただき、婚約をさせていただきました」


 エリックは少し考えた後、形の良い眉を困ったように下げているジョンに向かって言う。

「そうか、君にはお兄さんが居たのか」

「……今知るところはそこじゃないよ。兄上にはきみも何度も会っているよ」

「えっ、そうなの?」

 ジョンは心の底から驚いた表情を浮かべるエリックを見て、大きなため息をつく。

 二人のやり取りを見ていたボゴールは、苦笑いを浮かべるだけで特に会話に入ってくることはなかった。


 階段をあがりきると広い廊下があり、両開きの扉が三か所、片開きの扉が五か所ある。両開きの扉がボゴールとクラリス、亡き妻マチルダの部屋で、片開きの扉の部屋が来客用なのだろう。

「お部屋に案内する前に娘から挨拶させてもよろしいですかな?」

「ええ、もちろんです」

 エリックが頷くと、ボゴールは両開きの扉の前に立ち片手で軽く叩いた。


「クラリス、いるかい? 父さんだ。今日の祝賀会に探偵の方も呼んだからお前も挨拶をしなさい」

 しかし、扉が開く事は無く中からくぐもった声が返ってくる。

「お父様、ごめんなさい。ちょっと疲れてしまって……休ませてもらってもいいかしら」

 声は少し擦れている。ボゴールは焦ったようにクラリスに話し掛けた。

「大丈夫かね、声が枯れているようだが。体調が悪いなら医者を呼ぼうか」

「いいえ。それには至りませんわ。声は少し歌い過ぎてしまったせいで、発声がしにくいだけなのです。熱などはありませんし、少し横になっていれば祝賀会にも出られますわ」

 探偵の方にご挨拶が出来なくて申し訳ございません、と丁寧にクラリスは謝る。エリックは全く気にしていないが、クラリスは挨拶が出来ないことについて何度も父に謝っていた。


「お前の体調が優先だからね。なにせ今日は誕生日なんだ。ゆっくりお休み、祝賀会で顔を見せておくれ」

「はい、お父様」

 ボゴールはエリック達に頭を下げる。そして客室へと向かいながらクラリスについて話し始めた。


「あの子は歌が本当に上手くて。鈴を転がしたような天使の歌声を持つんです。今は枯れてしまっていますが、調子の良い時は、それはもう美しい声なのです」

 エリックは“このムッシュはどうも娘自慢が多いな”と思いながら、興味無さそうに頷いて見せた。

「こちらが客室です。お二人それぞれ個室を用意しておりますので。何かあれば近くに控えております使用人へお声がけください。それでは、私は祝賀会の準備をしてまいりますので」

「ご丁寧にありがとうございます」

 ジョンが頭を下げる。ボゴールは気にするなというように手をひらひら振ると、恰幅の良い体を揺らしながら階段を降りていった。


「部屋は右と左、どちらがいい?」

 エリックが聞くとジョンは左の部屋を指差した。それじゃあ、またあとで、と声をかけるとエリックはすぐに自分の客室に入る。部屋は彼の住んでいるアパートより広い。一人で寝るには広い天蓋付きの寝台が一つ、書き物をするための机と椅子、休むための長椅子。使用人を呼ぶためのベル。

 どの調度品も質の良いもので作られた一級品であることが分かる。


 エリックは長椅子に体を寝かせると、瞼を閉じた。

(今夜二十二時頃、と怪盗ファントムは言っていたな。ナリルの涙が展示されるのは二十一時から三十分の間。予告状の時間帯より展示の方が終わるのは早い。ファントムが狙うのは本当にナリルの涙か? いや、展示が終わってから盗む可能性も否定できないな——)

 思考の海に沈んでいくエリックの意識は、いつの間にか真っ暗な深い場所へ沈んでいった。

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