File2:Side Detective
足早にアパートの階段をおりるエリックの後を追うように、ジョンとボゴールも続く。成人男性の体重がかかった木造の階段は、ぎいぎいと悲鳴をあげる。ボゴールの「こんなに軋んで大丈夫かね? 崩れることはないのですか」という疑問に、ジョンが「意外と大丈夫ですよ。最初は廃墟かと思いますよね」と安心させるように優しく声をかけている。エリックは背後からのやり取りを静かに聞いていた。
アパートの入り口に出ると、そこにはボゴールが乗ってきたらしい馬車が一台停まっている。黒い箱型の乗り物を支えるようにして、金属製の大きい車輪が四つ付いている。黒い革生地に金の刺繍が施された豪奢な輓具をつけた馬が二頭、大人しく主人を待っていた。艶やかな黒い毛は陽光を浴びて輝いている。体格もしっかりしていて、血筋が良い馬であること、丁寧に世話をされているだろうことが察せられた。いかにも上級階級の人間が使用する馬車だ。
そして、御者台に一人の男が静かに下を向いて待っていた。
「さすがはボゴールさんが所有している馬車ですね。見物客もこれだけ集まるわけだ」
エリックがため息まじりに言ったように、馬車の周りには何事かと集まって来た人々で囲まれていた。見慣れない豪華な馬車に人々は好奇心の目を向けている。
「これが貴方の家紋で?」
エリックが指で示したのは、黒い客室部分に金で象られた、葡萄の実と葉が絡み合った盃の模様である。ボゴールは丸々とした顔を上下に動かす。
「ええ、領主様より賜ったものです」
「素敵な家紋ですね」
淡々と話すエリックの様子に、ボゴールは社交辞令と受け取ったのか、黙って頷くと御者の男に目配せをした。男は合図を受け取ると、すぐさま御者台から降り立ち、客室の扉を開ける。
「どうぞ」
ボゴールに促されるまま、エリック、ジョン、最後にボゴールが乗った。全員が乗り込むと、御者の男は扉を閉め、御者台へと戻る。周りを囲むようにして見物している市民達に道を開けるよう怒鳴った。大きな馬が二頭もいる馬車に轢かれてしまうのはごめんだというように、野次馬たちは蜘蛛の子を散らすように方々へ逃げていく。
人の波が引いていくと鞭を入れられた馬がゆっくりと進みだす。舗装された道を馬の蹄が軽やかな音を立てる。
左右に大きく、時折上下に揺れながら馬車は進む。客室の窓から見える景色は、見慣れた市民街からだんだんと大きな邸宅が立ち並んだ景色へと変わって行く。普段、馬車には乗らない——ずっと家に籠っている——エリックは、尻が痛くなりそうだと思いながらボゴールに話し掛けた。
「ここはもう一桁区画ですか」
「ええ、そうです。私の家は三番街にあります」
ルヴィアイの地には、商人や職人、一般市民などが住む『主要区』と聖職者が住む『教区』に分かれている。エリックが住んでいるのは『主要区』であり、番地の数字が若いほど富裕層や領主の血縁者が住む高級住宅街になる。エリックが住んでいる十五番街は中間層が多く住む場所である。領主の息子であるジョンが住む城は一番地だ。
エリックが途中で会話をする事に飽きてしまったため、彼の代わりにジョンがボゴールと世間話をすること数分。馬車がゆっくりと止まった。
「着きました。ここが我が家です」
狭い客室から早く出たいエリックは、誰よりも先に降り立つ。目の前には大きな邸宅が来客の訪問を待っていた。
乳白色の煉瓦で建てられた屋敷は、エリックの住むアパートが五つくらいは簡単におさまりそうなほどの広さを誇っていた。豪商の家は派手な造りだと思っていた彼の予想とは反対に、建物の装飾は最低限で済まされており、広い以外はいたって普通の家にも見える。ジョンの家のように、富や名声を外へアピールするようなデザインではない。
「意外と見た目は質素だな。豪商はもっとふんだんに金を使ったり、貴重な建築材料を使ったりして、己の富をアピールするかと思ったが」
失礼な発言ともとれるが、エリックは気にすることなく言う。謎解き以外は興味を持たない彼は、人の感情にも頓着しない。たとえ依頼主であるボゴールの機嫌を損ねても、彼は何とも感じないのだ。しかし、さすがは豪商ボゴール。若者の生意気な発言を受け止め、柔和な笑みを浮かべる。
「私の妻が南方の出身でして。そこは、このような装飾の少ない建築文化なのです。出来るだけ妻の故郷に近しい環境を用意したくて、この家を建てました」
ボゴールはエリックの隣に立ち、彼と同じように屋敷を見上げる。優しい眼差しを向けながら。少しの間、立ち止まるとボゴールはエリックとジョンを中へと案内してくれた。
大きな玄関の扉は両開きのもので、使用人が二人がかりで開けなければ動かないほど。濃い茶色の木で出来た扉が開き、エリック達を受け入れる。
玄関の間には様々な珍しい動物のはく製が飾られていたり、著名な画家が描いた絵が壁に数点飾られていたりする。一際エリックの視線を留めたのは、人の手形を象った銅の板のような置物であった。人数分の板が横並びで飾られている。
大きくて骨ばった男性と思われる手と、細くて長い女性の手、その隣には女性のものよりも小さい手形があった。手形の下にはそれぞれ名前が書かれており、順番に『ジャン』、『マチルダ』、『クラリス』となっている。
じっと見つめるエリックに気付いたボゴールが銅板について説明する。
「あぁ、それは私の家族の手形です。左端が私のもので、その隣が妻。右端が娘のものです」
「家族仲がいいんですね」
微笑ましそうにジョンが話しかける。ボゴールは少し照れくさそうに、そうですと肯定していた。
「奥様とお嬢様は?」
エリックが振り返って問うと、ボゴールが一瞬寂しそうな顔を浮かべる。エリックが違和感を覚えると同時に、すぐ笑みに戻した。
「妻は数年前に流行り病で他界しております。娘は二階の自室にいます」
「そうですか」
「……ここは“聞きにくいことを聞いてしまって申し訳ない”って謝らなきゃ」
ぼそりとジョンがエリックに耳打ちするが、彼は返事をすることなく玄関の間を熱心に隅々まで見ていた。
「ここで話もなんですから客室へどうぞ。その後、お食事でもいかがでしょう」
「ええ、頂戴します」
「エリック、少しは遠慮ってものを覚えないと」
「金持ちがいつもしている食事が出来るなら図々しくても食べるさ。俺なんか毎日硬いパンとスープ、時々コーヒーで飢えをしのいでいるんだぞ。君らのような富裕層が食べる肉なんか、俺達庶民は一生食えないかもしれないんだぜ」
エリックの言葉にジョンは困ったように眉を下げる。
「きみは多額の報酬が支払われても、すぐに革靴を買っているからだろう。計画的に使えば肉は食べられる」
「新作はいつまでもそこにあるわけじゃない、ジョン。ましてや期間限定ものとは一期一会なんだぞ」
「そうしてきみはいつも貯金が底をついて、わたしに助けを求めているじゃないか。靴を何足も買っても、舞踏会に出るわけじゃないだろ? 足は二本なんだからたくさん買っても履ききれないじゃないか。わたしが何回きみの家賃を立て替えていると思っているの」
ジョンの指摘にエリックはきょとんとした顔で彼を見つめ返す。
「えっと君に助けを求めたのは、先月に限った話だな」
「先月も先々月も……というか毎月だよ!」
二人のやり取りを見ていたボゴールは、声を抑えながら笑っていた。
「随分と仲がよろしいんですな」
「幼馴染なので」
「わたしとしては腐れ縁に近いです」
探偵と領主の子息という身分が全く違う二人だが、幼少期から面識があるのは事実である。エリックとジョンで自分達の関係についての認識の齟齬があるようだが。
客間に案内されたエリックとジョンは、ボゴールに勧められるまま椅子に座った。ベルベッドで仕立てられた椅子は、雲に乗っているかのような柔らかさだ。馬車で痛めた尻も優しく包み込んでくれる。
「では詳細を聞きましょう。ムッシュ、ナリルの涙は祝賀会で披露するんですよね?」
「はい」
「怪盗ファントムが予告状を出しても、ですか?」
エリックの指摘にボゴールは苦い顔を浮かべる。
「貴方がおっしゃりたいことは分かります。ナリルの涙の展示を中止するべきなのは重々承知なのですが、毎年宝石を楽しみに遠方からやって来るお客様もいますし、何より亡き妻が愛した石でして。娘の誕生日に金庫から出すことで共に祝っているような気になるのです」
馬鹿げているとは思いますが、とボゴールは続けた。
「決して自慢したいからではありません。ナリルの涙は、生前マチルダがずっと身に着けておりました。彼女の魂が石に宿っているような気がしてならないのです」
周りから見れば自慢したいだけに見えると思いますがね、と困ったようにボゴールは笑った。エリックは顎先を指で撫でながら次の質問に移る。
「ナリルの涙を披露している間はどのような警備体制で?」
「普段から屋敷にいる護衛の者を中心に、今回新しく雇った護衛と治安部の方に警備をお願いしております」
すると、ジョンが恐ろしい想像をしてしまったというように目を見開きながらボゴールに問いかける。
「新しく雇った護衛の中に怪盗ファントムが混じっている可能性は無いのですか?」
ジョンの指摘は的を射ていた。初代怪盗ファントムは素性不明の盗賊で、盗むときに必要があれば変装もしていたとオーガスト・デポネから聞いた事がある。その変装の技術も見事なもので誰も気付かなかったという。二代目怪盗ファントムが初代を意識しているのであれば、変装という手段は常に考えておかなければならない。
「おそらく可能性は低いと思います。今回、募集するにあたって護衛業専門のギルドを介して雇ったので。みな身元がはっきりしておりますし、裏付けも取れています」
ギルドは同じ業界にいる職人などが集まって作った組合である。仕事の受注、紹介を始め依頼主との交渉も変わって行うこともあるため、彼らにとっては強い味方だ。ほとんどの職人がギルドに加盟しているのだが、ギルドも顧客からの信頼を守るために、身元がはっきりしていて犯罪歴がない者だけを登録しているのだ。そのため、ボゴールのように職人などへ依頼する時は、ほとんどの人間がギルドを介している。また、通常のギルドには入れない者だけを集めた闇ギルドも存在する。
「護衛には怪盗ファントムは存在しない、か」
エリックは物思いにふける。やがて顔をあげると毅然とした態度で言い放つ。
「祝賀会の会場になる部屋を見せてください」
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