怪盗ファントムは探偵の夢をみるか?

十井 風

File1:Side Detective

「今夜二十二時頃、最も大切なお宝を頂戴いたします。二代目怪盗ファントム」


 ルヴィアイ主要区十五番街に立つ古びたアパートメントの一室。整理整頓された部屋の中には、楽しげに革靴を磨く青年の鼻歌が響いていた。手入れをされることで輝きを取り戻す革を愛おしそうに撫でると、彼は革靴を飾ってある棚にそっと置く。壊れ物を扱うかのような優しい動きだ。彼がいかにコレクションを愛しているかが分かる。


「エリック、新聞は読んだのか?」

 革靴を磨いていた青年に対して、恐ろしく顔が整った青年が声をかける。長い睫毛はふさふさとしていて、目を伏せるたびに羽ばたく。

「ああ、読み終えたよ」

 エリックは黒毛の前髪をかきあげ、炎のような赤い瞳を爛々と輝かせて目の前の人物に言った。

 彫刻かと見まがうような美しい青年は、新聞の広告欄の一部を指差してエリックに見せる。

「怪盗ファントムが予告状を出したようだな」

「二代目、だ。大事なところだぞ、ジョン」

 エリックは美しい青年の名を呼ぶ。


「あの怪盗ファントムに後継者がいたのか? 数十年前にぱったりと姿を消してから何も分からなかったのに」

 ジョンは注意深く新聞の広告欄を読んでいる。

 怪盗ファントムとは、本名不明で素顔も不明。何もかもが謎に包まれた大盗賊である。1800年代に暗躍していた人物で、エリックの師である名探偵オーガスト・デポネと何度も頭脳戦を繰り広げたと——師匠から——聞いている。

「二代目怪盗ファントムも初代と同じ富裕層から品を狙うようだ。初代への尊敬が感じられる。きっと美学を持った怪盗なんだろう。俺の退屈を取っ払ってくれそうな気がする」

 エリックがうっとりとして言うと、ジョンは顰め面になってため息をついた。何か言いたげだったが、常識よりも謎を求めるエリックをたしなめても仕方ないと諦めたのだろう。


 怪盗ファントムが狙うのは、貴族や大金持ちの商家などの富裕層からのみで、盗んだものを金に換えて貧しい人々に分け与えていた事から、貧困層からは英雄扱いをされていた。


「きみの先生は戻ってくると思う?」

 ジョンはエリックに問うた。艶やかな黒い髪を揺らして首を横に振ると、エリックは窓の外に目をやる。

「師匠は戻ってこないだろう。あの人が好きだったのは初代のファントムだから」

 ブルーベラ王国史上最高の探偵と評されるオーガスト・デポネは、国王から依頼を受けた事もあるほどの実力派私立探偵である。この世に彼にとって解けない謎は無く、全ての事件は簡単に解ける問題ととらえていたが、怪盗ファントムの出現でその認識も崩れる。

 初めて自身を悩ませた怪盗ファントムの事は“探偵”と“怪盗”という、敵対する立場にあっても、彼の事は優秀な人物だと評していた。それは怪盗ファントムが犯罪の世界から消えてしばらくした後、エリックが弟子になった頃もずっと言っていたことである。

 いつも「出会い方が異なれば良き友人になれただろう」と師匠は言っていた。怪盗ファントムが消えた今は、退屈な毎日を壊してくれる謎の種を探して世界を旅している。


 エリックは新聞の広告欄を思い出す。

 ——親愛なるボゴール氏。今夜二十二時頃、最も大切なお宝を頂戴いたします。二代目怪盗ファントム。

 ボゴールはルヴィアイでも有数の豪商だ。ジョンの生家でもあり、ルヴィアイの領主でもあるアイベリー侯爵から正式に酒造業を営む「ボゴール商会」として認定を受けている。この街で商売を営んでいる者は多いが、酒造業を営むには領主の許可がいるのだ。認定してもらうには厳しい審査を通る必要があり、ボゴール商会はアイベリー侯爵のお眼鏡にかなった実力ある商人である。

「このボゴール氏って人は、わたしの家でもよく使われている“蜂蜜酒”を作っているんだ。彼が納品してくれる酒は父がとても好きでね。濃厚なブルーベラ蜜の香りが素晴らしいんだよ」

 領主に品物を出せるくらいなので、ボゴール家の資産は相当あるだろう。二代目怪盗ファントムのお眼鏡にかなってしまったというわけだ。


「生まれは靴屋、今は私立探偵の俺には縁がない品だな」

 ジョンの発言に気が障ったわけではないが、エリックの態度が素っ気なく感じたのか幼馴染は慌てて否定する。

「わたしはきみの生まれを否定したかったわけじゃない。興味があるなら家にある酒を今度持ってこようか?」

 形の良い眉を不安げに下げるジョンの顔を見ながら、エリックは本当に絵画から出てきたような男だなと関係ないことを思っていた。さすがルヴィアイの宝石と呼ばれるだけのことはある。


「いや、俺は別に君の実家自慢を怒ったわけじゃない。俺が靴屋生まれなのは事実だし、縁がない品物だっていうのも本当のことじゃないか。全て事実を述べたまでだ。気分を害してくれるな、今から依頼人がやって来るだろうから」

「依頼人? なんだ、事前に予約でも受けていたのか。だったらわたしはお邪魔じゃないかな」

「予約は受けていないし、君はここに居てくれていい。注目の人物がもうすぐこの部屋にやって来る。ほら……3、2、1——」

 エリックのカウントダウン後すぐに扉が控えめに叩かれた。彼はすぐに扉を開ける。客が来るのを事前に分かっていたので動きはスムーズだ。扉を叩いた人物もすぐに開くとは思わなかったようで、目を丸くして突っ立っている。

「さあ、中へどうぞ。ムッシュ・ボゴール」


 やって来た人物は質の良い帽子を手に取って、驚きのあまり硬直した。

「な、なぜ私の名前が分かったんだね? まだ名乗ってすらいないのに」

「そりゃあ見れば分かりますよ。貴方の御召し物、すごく良い生地で作られている。ここまで高価なものを身に着ける事が出来る人間が、この平民ばかりの中番地——十番街から十九番街までのこと——にやって来ることはないでしょう。わざわざやって来たということは、俺に用事がある。そして、今朝の新聞記事が出された後のことだ。高確率で貴方はボゴールさんでしょう」


 ボゴールは少しの間沈黙していたが、やがてうんうんと頷くと少しだけほっとしたような顔を浮かべた。

「それならば話が早い。貴方に依頼をしに来ました。知っての通り、怪盗ファントムと名乗る者がわざわざ新聞の広告欄を使って私に盗みの予告をしてきたのです。今日は娘の誕生日を祝う祝賀会があります。おそらくそこで見せる宝を狙っているのでしょう」

 エリックはボゴールに椅子をすすめて、コーヒーを淹れる。ふわりと香ばしいコーヒーの匂いが部屋を漂った。


「宝とは?」

 淹れたてのコーヒーをボゴールとジョンに渡して、自らも手にカップを持ちながら椅子に座った。

「ナリルの涙ですよ」

「ああ、聞いたことがあります。ボゴールさんが所有している稀有な宝石だって」

 ボゴールの言葉にジョンが反応する。

「そんなに有名なのか? ムッシュ、そのナリルの涙っていうのは?」

「海の女神ナリルが流した涙と呼ばれるほど、美しく大きなサファイアなのです。昔の宝石職人が涙のような形に成型しましてね。暫くは行方不明になっていましたが、10年ほど前に私が手に入れました」

 エリックはコーヒーを一口含む。


「いつも屋敷に飾ってあるのですか?」

 エリックの質問にボゴールは青ざめて首を横に振った。

「とんでもない! あんな貴重なもの、屋敷に飾れば盗賊に襲われるでしょう。私しか知らない場所に金庫を置いてその中に保管してあります。どこにあるか、どうやって開けるかは私しか知りません」

「なるほど。治安部に連絡は?」

「ええ、今朝すぐに連絡しました。屋敷内に捜査課と治安維持課が来てくれています」

 エリックは頷いた。カップを机の上に置くと、手を組み、ボゴールに向かって不敵な笑みを浮かべる。

「依頼はナリルの涙の保護ですね?」

「ええ」

「では、一つだけお願いがあります。治安部の奴らに俺の捜査を邪魔しないよう言っておいてください」


 エリックの言葉にジョンが割って入る。

「きみはまたそんな事を言って……治安部と協力した方がすぐに犯人を捕まえられるかもしれないじゃないか」

「ジョンは分かってないな。俺達は何年幼馴染をしているんだ。治安部の奴らは俺の謎解きの楽しみを奪う不届き者だ。怪盗が生み出した謎の種を解析するには探偵の作法がある。謎解きの美学も理解しないような人間に、二代目とはいえ、師匠が褒めたファントムと俺の戦いを邪魔されたくないね」


 エリックは息継ぎもせずに言ってのけると、入り口近くに掛けてあったジャケットを手に取り、振り返った。

「とりあえず、ボゴールさんの家へ行きましょうか。祝賀会の会場は屋敷で行うんですよね?」

「そうです」

 風のように颯爽と出て行ったエリックに、ジョンとボゴールは顔を見合わせた。

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