その39 拝啓、――殿下 ④

(39)




 フフフ、

 アヒヒ、

 殿下、不思議です。

 どうも殿下の脚本の見立てをすればする程、心の奥底から魔笛が聞こえて来て、頭が変になってしまいます。

 それもこれも殿下の素晴らしき魔術力があるからでしょうか。

 この下僕は今、どこか江戸川乱歩のエログロの如き世界へ落ち始めています。如何ともしがたいこの高揚感、これこそが殿下の脚本から漂う魔香を嗅いだ下僕の高揚と察して下さい。脳が痺れ落ちてゆく、この感覚。まさに堕落とはこういうことかもしれませんね。

 さて、殿下、そんな脳に刺激を与えて目覚めさせてくれるものは、トリックです。甘美な『死』を誘う仕掛けトリック。この歯車を動かしているアイデアを探ることこそ、正に刺激と言えるのですが、残念ですがこのトリックは複雑でもない。

 フフフ、

 アハハ、

 そうなんです。ではそれを説明します。

 まず、この下僕は提灯横丁の入り口で人が転び死ぬ――、この場所について幾つか写真を撮ったのですが、面白いことに一つの提灯の下が蓋のように開く構造である事が分かりました。

 とても奇妙じゃないですか。

 ええ、勿論、スマホでしっかり撮りましたから、指で拡大すると見事に分かります。

 ですがそれだけじゃない。

 人が同じ場所で転ぶというのはとても不思議です。一度や二度なら偶然ですが、それが複数回も起きればそれは『必然』です。そこでこの奇妙な提灯です。

 分かりすぎる程の答えの暗示であり、此処こそが暗殺者の誘い込む『死神』の住処なのです。

 下僕は此処でバスケのダンクを決めるみたいに跳躍しました。それは跳躍してある物質をこの提灯の内部へ流しこむ為です。流し込んだ物質といのは、謂わば化学物質で『摩擦力を小さくする』物質です。

 これは何も特殊ではなく、大型の資材店でも手に入ります。まぁ石鹸のような界面活性剤、いやこれは油を分離ですね、そう例えばテフロンのようなものとか…まぁ何でもいいですね。

 此処に速度を上げて突っ込んでくれば来るほど、それに比例して摩擦力を小さくできる物質ならば。

 ですが、下僕は此処で転びたくない。だから微量な化学塗料を同時に含ませました。

 子供の玩具塗料である特殊なフィルムを透かして見れば色が見える塗料フィルム。まぁそれをしっかりとサングラスに貼り付けて、全力で掛けても、その場所で塗料を含んだ物質を踏まないようにして跳躍するためです。

 ただ、下僕の助手は転びましたがね。

 アハハ、

 アハハですね。

 さて、この提灯。

 蓋を開閉する為のワイヤーが伸びてました。

 何処まででしょう?

 それを案内人について行きながら見て行くと、なんと一軒のおでん屋に辿り着いたのです。そう、それだけでない。暖簾を潜れば、天井にワイヤーを括り付けるには格好の滑車がある。

 となれば、下僕でも推理するのは簡単です。

 その滑車迄伸びたワイヤーを引けば、提灯の蓋が開き、中の物質が路面に零れ落ちる。

 殿下、何なら下僕が立証しましょうか。とても簡単ですよ。50メートルものワイヤーを滑車という助けで引くことなんて造作もない。それにこんな仕掛けは良く舞台演劇の現場装置には或る物です。


 さて、しかし摩擦を減らしたとしても量が少なくては、人は零れ落ちた液体の上で容易に滑らない。ならばどうすべきか?

 演劇にはいくつかの心理効果が含まれます。それは心理的脅迫によって観客を驚かすためだったり、劇の印象を強く与えたりする効果です。

 突然、訪れた暗闇。

 しかし、それが急にぱっと明るくなった時、多くの人だかりの中に自分が消したくなるほどの何かを見たら、いや、恐るべき復讐者の貌を見つけたら、人はどうなるか?

 それも多くの人だかりに中に死霊の如く突如浮かび上がれば…。

 それには雑なように見えて綿密なタイミングが必要です。

 何故、九時半なのか。

 それは卍楼自体のルールです。

 この酷暑の中、卍楼はクーラーの温度を上げ過ぎないように、ある時間までは決めていた。

 何故ならブレーカーが弱いからです。まぁ昔から使っているアンペアのブレーカですからね。早く新しいのに交換してくれればいいのでしょうが、夜のお店が並ぶ繁華街じゃ、その工事の為に店を閉めるなんて容易じゃない。

 ですからそういうルールを決め、そしてその時間というのが九時半であり、店がそのルールを守っているか誰かを見回りのさせていたんですが、しかしある時だけ、こっそりとクーラーを下げている店があった。つまりその日というのは大名達が来る日。

 そしてそれをできる店というのは誰もが口を出せないような貫禄ある人物の店じゃなきゃいけない、というのはどうでしょう、殿下。

 アハハです。


 さて、ですが。

 殿下、お店に亡くなった三人は元々一人では来ていませんでしたね。だって誰かが卍楼へ誘わなきゃいけないですから、此処へ。

 じゃぁそれが誰かですが。

 それこそが浅野でしょう。

 彼は亡くなった三人を地獄へ誘う手引き者でした。そのように彼を手なずけれたのは『恋』の相手でしょうね。

 彼は復讐劇における自分の役目を受ける代わりに、手引きの結果に見合うものを、…勿論、相手から頂いたのかもしれませんが、それがどのような物か…まぁ想像に余りありますが。


 さて、あの箸置きですが…、あれについても心理効果なのではないかと考えています。残念ですが、これは下僕としては突き止められていない事柄です。

 蝶、――パピオン。

 恐らく隠喩なのでしょう、異常精神集団サイコパシストにおけるある人物の…。


 だけれでも殿下、この箸置き以上に謎があります。何故、停電が起きて三人とも場所を間違えることなく、何故、おでん屋『ななし』へ行けたのでしょうか?

 下僕は考えるのです。

 この停電こそ、裏の意味がある。

 つまりですね、この停電を利用して大名達は殿下を殺害しようと甘言を誰かにそそのかされたのではないでしょうか?

 それこそが、彼らの助かる道でしょうし、懺悔、いや、見境を失くした豚の餌の如く食い散らかした魂への『畏怖』なのではないかと。殺害に協力者がいれば、それは行えることです。暗闇に乗じて殺害、まさに鬼畜らしいし、暗殺としても相応しい。

 あれ、ひょっとしたら…箸置きはその合図でしょうか。つまり殿下が居るという合図。

 だとすれば、誰がこの筋書きを考えたか、いやもしかしたら書き換えたのか…。

 そう思うと、身震いが止まりません。


 さて、もう大方、殿下の復讐劇の見立てをしたつもりです。ですが、美少年ジュリアン、――彼の存在がどのような人物なのか、それは分かりませんし、下僕が何かすべきことではありません。

 それは僕なんかが行うべきではなく警察が行うべきことでしょうから。

 では、殿下。

 下僕はこの劇の緞帳の下がりから消えまする。

 見立てはいかがで御座いましたでしょうか?

 もし、間違いならば嗤い下さればよし、しかしながら大筋の見立てがよしであれば、憐れんで拍手をくださいまし。

 そして、後はこの復讐劇に相応しいフィナーレを、殿下、お飾りください。

 下僕は緞帳の袖で殿下の最期を見ております。

 では、さようなら。

 素晴らしき劇をありがとうございました。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る