その34 ロダンの失墜

(34)




 ――バタフらぁい

 

 ヒラヒラと動いた羽がピタリと止まる。止まるとそれは形を変え、やがて銃になって向けられた。

 それは誰に?

「燕さん」

 ロダンは銃を向けたまま、彼へ問いかける。

「知ってます?ミッシングチルドレンという言葉を」

 問われた彼は動かない。だが、僅かに憤怒の表情を象る眉間の皺が動く。僅かに眉間が動いたのを確認したロダンは、じっと力を籠めて語り出す。

「――つまり、行方不明。そう子供の行方不明ミッシングチルドレンの事です。警視庁によると、なんと子供の不明届は年間数千人近くだそうです。では一体その原因は何か?

 それには沢山あります。精神的疾病、家庭環境、そして――異性関係、僕も改めてこの数字を見て初めて、先進国である日本の子供とはいえ、これほどの危険をはらんでいる社会に生きているとは知りやしやせんでした」

 ロダンは口調をやや役者風にしておどけた様に言うが、しかしその眼差しは真剣だ。それはそうした事件に対する非難と侮蔑が含まれていることを否定できない。

「では、不明の子供達はどこに?いったいどうして社会へ戻って来ないのでしょう?」

 ロダンの銃は燕に向けて構えられたまま、ピタリと動かない。

「仮説として――僕はこうした子供が戻って来ない心理状況をピーターパンがいる楽園、『ピーターパンの楽園ピーターズ・パライゾン』と勝手に命名しました。

「――『ピーターパンの楽園ピーターズ・パライゾン』やと?」

 今度は憤怒の燕の唇が動いて言葉を吐き出した。

 ロダンが頷く。

「ええ、僕は妖精なんかが棲んでるネバーランドとは言わず『ピーターパンの楽園ピーターズ・パライゾン』――つまりピーターパンが楽しむ楽園という意味です。つまりですね、子供が帰らないというのは、そこに子供達のリーダーとして、そう、とても楽しくて優しくて、現実の子供が抱えている不安を消し去り、いつまでも子供たちの味方がいる状況…、そうなれば子供達はいつまでも親を欲しがらず寂しがらず、ずっとずっとピーターパンに依存して生きていける。それはピーターパンが望んでいる世界なのでは?だから僕にはそんな心理状況というのは『ピーターパンの楽園ピーターズ・パライゾン』なんです。

 まぁこれはあくまで不明原因についての僕の勝手な解釈ですし、全ての不明原因を示している訳ではないです。一つの仮定ですけど、今回そんな仮説の上で見立てをしてみたんです。

 …だけどですよ。アッシはちょっと考えました。もしも、それができるとしてもそうした『楽園』がいつまでもそうあり続ける為には、現実的に金銭などの支援が必要です。それには、その『楽園』をとても尊重し、かつ大事にする大人が居なければならない。つまり『ピーターパンの楽園ピーターズ・パライゾン』を『天国パライソ』だと感ずべき人達が居なくては…、そう神が与えたもうた国の如くです。では、どんな人々がそう感ずべきか。そこまでくれば後は簡単でやんす。それは――子供をこよなく愛すことを隠して生きる…人間社会の道徳規範からの追放者達。そしてそんな彼らと仲介すべき存在が居れば、『ピーターパンの楽園ピーターズ・パライゾン』はずっと楽園のままで、そしてピーターパンもまたずっと、ずっとピーターパンのまま」

 ロダンの声が低く響く。そして銃が僅かに上下に動いた。それは銃のトリガーが引かれた動き。

 つまり銃弾が放たれた動き。

 ロダンが放った銃弾は言葉を乗せて燕に撃ち込まれた。

「だとしたら燕さん、こうなるといかがですか?あなたがピーターパンで、そしてイカれた大名達は追放者、そして仲介者が…」

 動いた燕の唇が横に動いた。それはにっとした貌になると、風船が突如爆破したように彼は大きな笑い声をあげた。いかにも愉快だと言わんばかりに。

「あっはっは!!おもろい、おもろいわ!!」

 そこで急に真顔になって低く言う。

「…だがな」

 燕は立ち上がる。もうそこには自分は居るべきではないという風に。

「それは仮説や?仮説はあくまで仮説。決して真実ではないし、だからこそ真実には届かない」

 言うと燕は背をロダンへ向けた。

「コーヒーごちそうさん。まぁあんたがこの卍楼で起きた事件について何を言いたのかは良く分かった。だが、もうこれで結構。見事な想像力湧き出る事件の見立てやったで。ほな、ワイはこれから仕事や。アンタも早よ、帰りや。もう卍楼に用は無いやろうから、これでバイバイ、さよなら」

 燕は言葉を置き去りにするようにコンビニを出た。そんな彼の後を、ロダンが駆ける様に追いかけてくる。

 そして卍楼の入り口でロダンは燕に追いついた。

「ちょっと、燕さん」

 声を掛けられ、止まって燕が振り返る。

「何や?」

「いや、僕はまだ自分の本当の依頼があるので、また卍楼に来ますよ」

 するとじっと何かを考えて、燕はロダンを掬い上げるように見た。

「そういや、あんたは西願寺家の依頼がどうのこうの言ってたな」

「ええ、そうです。燕さん、今ここで戻られると僕は見立てた事件で、分からないことがある」

 燕は首を傾げるとロダンへ言う。

「なら一つだけ。ラストに聞こうか。この事件に関して」

 すると燕はくすりと笑った。

「それは何や?あいつらが転んで死んだ原因か?それについて何かトリックでも有るっちゅうんか?だけどな、それはワイには分からんで。探偵とちゃうんやから」

「いや、僕が分からないのはあなたについてです」

 ロダンは燕に対して直球を投げ込んだ。

「ワイ?」

「ええ、どうしてあなたはミナミのスコーピオンでナンバーワンホストだったのに、其処をわざわざ辞めてまで、此処に来たのか」

 ロダンが燕と間合いを詰める。

「一月数百万も売り上げていたあなたがです。あなたの素性なんて、夜の街でこれ程目立つのですから、夜のミナミの歓楽街で聞けば、あなたが隠していても素性というのは直ぐに分かります」

 燕は背を猫背のようにして軽く曲げて、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。それは何気ない所作だが、ロダンには自分が捻じ込むように投げ込んだ直球を腹部に受けて、耐えている様に見えた。

「それがラス一でいいんやな?」

「そうです」

「なるほど…なら答えちゃる」

 言うと燕はロダンの方へ全身を反らして向けた。その瞬間、腹部からボールが落ちた様にロダンは錯覚した。

「それは『復讐』や」

「えっ?」

「まぁ、それでいいやろ。月並みでドラマ的な平凡な答えかもしれへんが、ええやないか。まぁもしかしたらアンタが西願寺家から依頼されて探しているものとワイが同じかもしれへんな、あはは」

 すると今度は燕がロダンへ間合いを詰めた。

「そしてこれでワイの素性が分かったわけや。しかしやで、ロダン。これでワイがピーターパンではないということも分かったはずや。何故ならそんなに稼いでいたら、あんたが言うようにわざわざ仲介人を立てる必要はない。ちゃうか?」

「…た、確かに」

 ロダンは足元を透かされたようによろめく。

「あはは、あまりにヘナちょこな事件の見立てやったな」

「ちょっ…、と!!」

 言いながら怯むロダンへ、燕が背を向けた。

「終わりや。ほな、さよなら」

 そして今度こそ本当の終わりだと言わんばかりに手を挙げた。しかしロダンは彼の背に食い下がる。

「なら最後にです!僕から仲介者と見込んだある人物へ、この事件についてトリックも含め、事件の全体を見立てた手紙を送ったんです。それで恐らくこの事件は終わるはず!!」

「なら結構やんけ。仲介者?あんたの勝手な事件の見立てに選ばれた奴は気の毒やな。このご時世にメールじゃなく手紙なんて送られて、なんとも老人向けに古風なことや。ほな、もうここで終いにしよ。さいなら、四天王寺ロダン」

 燕はもうロダンに執着を見せることなく、卍楼へ向かって歩き出し、一度も振り返ることなく、雑踏の中へ消えて行った。

 一人残されたロダンの視界に夕暮れに染まり出した空が見えた。

 もうあと少しすれば夜が始まるだろう。

 ロダンは、ふぅと息を吐いた。それから自然な自分の癖とも言うべき仕草で頭を掻いた。だが、それが自分の地毛ではなくカツラだったことに気付くと、どこか可笑し気に笑って、彼もまた雑踏の中へ消えて行った燕に対して背を向けて歩き出したのだが、彼は数歩進んで卍楼へ振り返った。

 見れば雑踏の向こうに卍楼の灯りが灯り出している。 灯り出した卍楼を見て、ロダンは何処か満足そうに頷くと再び歩き出した。

 …だが、である。

 彼は満足そうな表情を直ぐに崩して困った顔つきになった。そして髪をボリボリと掻くと首をぴしゃりと叩いて(しまったな…)と思った。

 今度は焦るように卍楼を振り返る。

 しかしながらそこには当然、去った燕の姿は影形も見えない。

(あっちゃーー)

 ロダンはがっくりと肩を落としてとぼとぼ歩き出すと、スマホを取り出し電話を掛けた。そして発信音が鳴って、相手が出る迄の数秒、彼は思った。

(燕さんに聞きたいことがあったんや…、『薔薇』って聞いたことないかって)

 すると電話向こうで声がした。

 それは彼が良く知る西園寺亮介の声だった。


――お疲れ、コバやん。それでさ、分かった――祖母ちゃんが言ってた『薔薇』って?

 


 




 

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