その35 佐竹と角谷

(35)




 大阪難波にある新聞社Mの本社ビルは綺麗である。この場合『綺麗』とは新しくモダンであると言う意味で2021年に完成した。

 建物は二十階建ての白塗りで周囲を阪神高速がビルに沿うように緩やかにカーブしている。その為か、阪神高速に乗って関西空港や大阪南部へと行く人達はその姿を車窓から見ることができ、時間帯によっては白壁に反射する陽を避ける為に車内で手をかざさなければならず、少なからずそれは時を経ず話題になり、返って大阪の新しいランドマークになった。

 そんなビルの一階は大きな吹き抜けになっており、壁にはアールデコ調の大きな時計と現代美術家の作品が並びあって、エントランスとしての格調さを演出している。

 そして一階にはカフェが併設されており、社員はそのカフェで来客と応対し、また込み入った内容でなければ簡単な打ち合わせや商談の場所として利用している。だからM社の地域社会部記者である佐竹亮がそこで一人の男を座らせて向かい合っていても、誰も不思議がる人はいなかった。

 例え、それが刑事だとしても。



馬蹄橋ばていきょう以来かな…) 

 佐竹はカップを口に運び、ちらりと、面前に腰掛ける男を見た。

 恰幅のいい肩幅の広い身体がスーツの上着の下で腕を組んでいる。だがその身体がスーツで窮屈そうに見えるのは、柔道の有段者として普段から鍛えられた身体所以であるというのを佐竹は承知しているが、しかしそれが以前にも増して窮屈に見えるのは、余程、鍛錬をしているのだろう。

(…と、なると二年程か、この人に会うのも)

 そう思いながら、睨むように手紙を見ている男の眉間の皺に刻まれた思いを察すると、佐竹は内心くすりと笑いそうになった。

(それも…彼、四天王寺ロダン君の手紙でこうして再び会う事になった。奇妙だと言えば、奇妙な縁だ)

 そう、佐竹は受け取ったのだ――四天王寺ロダンからの手紙を。

 そして読み終えるや、彼は電話を掛けた。面前に座る大阪府警の刑事、角谷譲二へ。

 やがて刑事は読み終えた手紙から視線を外し、何とも言えない苦々しい顔つきになって佐竹へ言った。

「こいつは以前の馬蹄橋事件の三文小説よりは良く掛けてる」

「でしょうね?だって事件の報告書ですから、これはあの時の小説じゃない」

 言うなり佐竹は笑った。

 勿論、自分はこの手紙を受け取る迄、この手紙の中身を知らないし、何がロダンの周辺で起きているかは察することすらできない。

 何故なら自分が知っている彼の知識としては、馬蹄橋事件以降、山口の彦島迄旅に出たという事、――それも失恋旅行という、ごく個人的な事柄であるという事だけだったからだ。そして付け加えるならば、自分は一度も、この手紙を寄越した四天王寺ロダンとは会ったことが無い。

 そんな追伸の彼自身が旅から大阪へ戻ってきていることは勿論知らず、そしてこともあろうに何かしらの事件に関わっていることは、自分は露程も知らぬことであり、全てはこの手紙で初めて知った。

 つまり、彼はどうやら――

「俺の担当事件にあいつはまた関わってるという訳か。それもつい最近起きた『卍楼』のな」

 そこで佐竹はほぉという顔つきになった。

「事件ですか『卍楼』という?」

 そう聞けば佐竹は自然と体が動く。

 手がペンを握り、メモを開いた。新聞社に勤めている記者であれば当然ともいえる習慣だ。

 その動きを見て角谷はしまったなという顔つきになったが、角刈りの髪を撫でると、まぁと言いながら、佐竹に顔を寄せた。

「せや、ちょっとした事件や、他殺か自殺かもわからない…それで、捜査もこれからって時に、…コイツや」

 言うと手紙をポンポンと指で叩く。

 佐竹は食い入る様に角谷を見る。

「これで、他殺、自殺は――自殺という事になるが、然しながら…」

「然しながら?」

 佐竹が角谷の言葉を追う。だが、じろりと角谷は佐竹を見返す。

「佐竹、いや…サタやん。お前、手紙読んだやろ?」

「ええ、まぁ」

「なら…分かるな。少年少女の児童誘拐の事が書かれてる。まるで卍楼の事件から芋づる式に何かが出てきそうや」

 言うと角谷は手紙を奪い、席を立つ。その姿を慌てて追うように佐竹が声を掛けた。

「あ、いや、ちょっと!!それは僕の」

「僕のちゃうわ。お前、コピーもう取ってるやろ。だからこれは俺が貰う」

 言うと角谷は背を向けてビルのドアへ向かった。その背を追うように佐竹は角谷へ言った。

「角谷さん、一体。あなたが関与している卍楼の事件というのは何です?それぐらいは教えてくださいよ。それ、渡すんだから」

 言われて角谷が立ち止まる。

 するとゆっくり振り返り、詰め寄る佐竹へ口を開いた。

「卍楼ってあるやろ?十三に。…そこでなぁ、昨日、人が一人死んだんや」

「十三?」

 佐竹が眉間に皺寄せる。

 フン、と角谷が鼻を鳴らした。

「卍楼に『提灯横丁』ってのがあってな。そこの奥におでん屋『ななし』って店がある。ほんでそこの親父、通称――太閤秀吉がおでんの入った漬け棚へ顔ぶっこんで溺死してたんや」

「……」

 佐竹は目を丸くする。

「全く奇妙な事件やと思って他殺か自殺か、その線をはっきりさせなあかん思って捜査に入ったところ…」

 言ってから角谷が手紙を取り出した。ポイと佐竹へ見せる。

「…こいつや。のっけからやから、こっちは出鼻を挫かれた…っちゅう訳や」

 言うと角谷は背を向けスタスタと歩き出した。それから背を向けたまま手を佐竹へ振った。

「おーきに。サタやん、連絡呉れて。いや…四天王寺ロダンかな、まぁ君から彼へそう言うというといてな。ほな、また」

 佐竹は去り行く角谷刑事の恰幅の良い姿を見て一瞬呆けてしまったが、直ぐに我に返ると自分の職場に戻る為に、急いでエレベーターへ乗り込んだ。

 それは必要な物をバッグへ詰め込み、事件現場である卍楼へ急行する為だった。

 いや、それは現場なのか、それともまだ見ぬ四天王寺ロダンへ会うためか、その心の真偽はわからないが、彼は急ぎ事務所へと駆け込むとバッグに必要な物を詰め込み、再びエレベータへ乗り込んだ。

 階を下るフロアランプを見ながらエレベーターの中で佐竹は思う。

(僕は彼を知らないが、しかし彼は僕を知っていてこうして手紙を寄越してくれた…それは何故だろうか…)

 思うと不意に親しみを含んだ微笑が口元に浮かんだ。

 そして到着したと同時に扉が開くと佐竹は何とも言えない期待を込めつつ、急ぎ足でメトロへと向かった。




 

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