その29 金曜日の昼下がり
(29)
月曜が過ぎて、前日の事が気になる火曜日が過ぎれば曇り空の晴れ間を覗くような気分で水曜日を歩き、やがて週末が見え始める木曜にやや気分が上がり、そして湧くような気持ちの金曜日が来る。
金星が夜空を過ぎれば土星の
では昼下がりの交差点を歩き、卍楼へ向かうロダンは今どんな気分だろう。
一週間の気持ちを区分けできるのは一般的な週休二日の規則正しい生活リズムのサラリーマンが持ち得る特権かもしれない。
そう思うと、そんな日常の車輪の輪から外れて生きるロダンは独自の車輪の上を歩いていると言えるが、果たしてどんな気持ちで一週間を区分けしているのだろうか。そして、…もしそんな彼の車輪が世間一般的日常の車輪と交差すれば、如何な
今日の彼は剥げた頭に作務衣を纏い、そして足袋を履いて草履の底を鳴らして歩いている。彼を知らぬ誰かが見れば、どこかの寺の関係者か、はたまた易者かと思うだろう。そんな風体で行き交う規則正しい普通人達の雑踏の中を、日常の規則正しい車輪から外れている彼は、行く。
丁度、渡り終えた交差点の信号が点滅して赤になった。交差点を渡ろうとする人々が規則正しく歩道で停止して青信号を待つ、そんな人々に触れぬように彼はすり抜けて、商店街に入ると、自身が商いをしていた店の跡地を素知らぬ素振りで歩き、やがて卍楼へと足を踏み入れた。
踏み入れた金曜日の昼下がりの卍楼には未だ、夜の灯は灯らない。見えたのは夜のはじまりの準備に勤しむ商い人達の姿。
いや――、どうもそれだけでは無かった。
ロダンは足を止めた。
止まって、勤しむひとりを見た。
彼の視線の先に見えたのは、一人の男――卍楼の『
紫のスーツ姿で手にゴミ取り様のトングとゴミ袋を持ちながら、側溝のゴミを拾っている。
その姿を見てあまりの微笑ましさにロダンは思わず笑顔になった。
夜の閻魔もお天道様の下では粛々とした清廉な仏教徒の如くだ。彼は地域の為――勿論『卍楼』に黙々と汗を流して貢献している。
ロダンは笑顔を崩さず、スタスタと彼の方へ歩いて行く。
そして、ロダンを立ち止まった。
汗を流して働く閻魔の気分を壊さないように、そっと自分の影法師を伸ばして、彼の影に触れた。
それに気付いた閻魔が顔を上げた。
彼は長かった茶髪を顎に掛かる程まで切り揃えていた。その髪が揺れて、耳が覗きピアスが見えた。そのピアスがゆっくりと上に動いて止まった。
「…よう、偽百眼。ワイに何か用か?」
彼は言うなりトングを肩に乗せた。目に凄みがある。だが、ロダンは動じない。けろりと言った。
「燕さん、ご無沙汰でしゅ。それと僕が偽百眼なんて…心外でしゅ。だって僕こそが本物なんでしゅから」
言うなり剥げ頭をポンと叩く。
それを見てペッと唾を燕が吐いた。
「よく言うたな、ワレ…」
ツカツカ革靴の底を鳴らして近づくと、むんずと胸倉を掴んだ。
「おい…誰のおかげで稼がせてもろうたと思ってるんや、えぇ?お前が西願寺の者やと分かったから、ワイが下間さんの顔立てて、色々、噂を流してやったと言うのに」
「あ、やっぱり、そうでしたか」
するとロダンは燕の手首をぎゅっと握る。と、同時に雷撃のような痛みが燕の脳天迄、走った。
「痛ぇ!」
声を出して手首を引くや、その痛みに何かを感じたのか、燕は驚きと痛みを織り交ぜた表情でロダンを見た。
「…この手首の痛み」
何かを察した燕の百眼へむけられた突き刺さる視線をロダンはちらりと外すと頭を掻いて凄くすまなさそうに言った。
「…いや、しゅいません。暴力は嫌いなんでしゅが、つい反射的に」
「反射的だと?という事は…この前も…」
燕の言葉が終わらない内にロダンが勢いよく言葉を被せる。
「燕しゃん、コーヒーでも奢らせてくだしゃい。だって僕、沢山稼がせてもらいましたし…それに」
「それに、何だ」
言い淀んだロダンの言葉を追う燕。
その燕を見て、ロダンは頭をぴしゃりと叩くと長躯を曲げて、顔を燕に寄せてから言った。
「卍楼の転倒事件の見立て、燕さん、聞きたくないですか?」
彼はどもることなく、燕に向かってきっぱりと言った。そして奥を指差す。
「良ければ卍楼を出た先の国道沿いのコンビニでコーヒーでも奢らせてください。だって燕さんのおかげで、…僕、懐が大変温かくなりましたから」
言うと、ロダンはにっと笑った。
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