その22 おでん屋の秀吉

(22)




「さぁ、さぁ、お二方。仲直りといきやしょうや!!」

 言うなり男は跳んだ。そしてバスケ選手がダンクを決めるように吊るされた提灯をパンと叩くと地面に着地して、背後を振り返る。

 叩かれた振動でワイヤーに吊るされた提灯が一斉に揺れ、その明かりの下でサングラス越しに「にっ」と笑う男。その男が見つめるお二方とは先程、喧戟をしてた当時者達――百眼と『閻魔』こと猿渡燕。

 男は頭から零れ落ちそうになっている毛量の豊かな縮れ毛のアフロヘアを掻き、それから天井から吊るされる提灯を見て、呟く。

「へぇ、此処が卍楼の中でも狭隘路地で有名な『提灯横丁』ですけぇ?」

 どこの時代の言葉かもわからない口調で周囲を見ると、男は何かを思い出した風な顔つきになって、首を叩いてぴしゃりと音を立てた。

「あ、今はどっちかというと――『事件』があった場所で有名なとこでしたねぇ」

 言うなり人差し指を立ててくるくる回してから手を伸ばして提灯に触れた。

 この男、中々の長身である。後を付いて来ている百眼も180センチを程ある身長だが、この男もそれ程の身丈がある。故に頭に伸びたアフロヘアとすらりと伸びた長身とが何処か、巨大なマッチ棒に見えなくもない。

 このマッチ棒の男――、彼は二人に向かって自分のことを指差して挨拶した。


 ――僕は『四天王寺ロダン』と言います。天王寺阿倍野界隈の劇団『シャボン玉爆弾』の劇団員です。実はちょいとお二人方の色んな噂を聴きやしてねぇ、ミナミから淀川渡ってやって来やしたんでさぁ。ご容姿を聞いていたんで、正にお二人だと思いまして声を掛けました。


 言うと二人の肩へ手を置いてニコリと笑い「ちょいと飲みに行きやしょう」と言って二人の前を歩き出した。

 その言葉と態度に鬼相面で百眼の襟首を握りしめていた燕も、また怯えあがっていた百眼も、突如『虚』を突かれ心の芯が抜かれてしまい、――不思議だが、歩き出した彼の後を惹きつかれるまま歩き出してしまった。

 だが、虚を突かれたとしても、一体何がそうさせたのか。

 百眼が乱れた作務衣を直しながら雪駄を鳴らしながら思ったこと、それは彼の一言かも知れない。

 それが盲目的に彼の後をついてこさせる理由だろう。

 それは…


 ――お二人方の色んな噂を聴きやしてねぇ


「…おい」

 後ろを歩いていた燕が男、――四天王寺ロダンへ言った。

「あんた。何と言うたっけ?四天王寺…」

 呼ばれた男が振り返る。

「あ、僕ですか?ロダンと言ってください。閻魔さん、いや…燕さんでしたっけ」

「燕でええ。閻魔は卍楼の謂れに過ぎん。それよりも、――あんた事件の事を知っているようやけど、あんまそれを彼方こちらで言うてくれるなよ。評判が色々立ったら、ここらの商いの邪魔になる」

 不機嫌に言われてロダンは頭を下げた。

「すいやせん」

 短く燕の機嫌を切ると、ロダンは言った。

「それでどこか良い店がありますか?僕等三人にとって釣り合いの取れる店です。閻魔さん」

「燕でええと言うてるやろ」

 苦笑混じる燕は鶏冠頭トサカヘアを撫でてから腕を伸ばす。

「なら、一番奥に小さなおでん屋がある。そこならコスパもええ」

 言われてロダンが奥を覗く。サングラス越しに夜の路地奥を覗いて、一体何が見えるというのか?そんな疑問を浮かべた百眼の頬へロダンの声が当たる。

「成程」

 言うとロダンは背を丸めて体を揺らして、提灯の灯りを見ながら歩いて行く。その姿はまるで江戸の町に現れた写楽の浮世絵人のようだ。

 二人もそんなロダンの後を付いて行く。

 やがて奥まで来ると赤提灯に『おでん』と筆書きされた所迄来た。ここで路地は終わりだ。

 ロダンはコの字になった路地を見渡す。おでん屋は『凹』の形をした建物で正面に暖簾があり、いわば客を左右から閉じ込める二階建て構造になっていた。

面白おもろい建物ですねぇ、此処」

 ロダンがサングラス越しにしみじみに眺める。その側を燕がするりと抜けて暖簾に手を掛ける。

「この建物はなぁ、西願寺の別院の一つで戦前は弥勒像があった回廊の一部や」

「回廊?」

 ロダンが目を丸くする。

「ああ、よく京都や奈良に行けば回廊があるやろ?それがあってな。戦争の空襲でここは焼け残った。それが今は仏像がなくなり、そして現代はおでん屋という事や」

「へぇ、そうなん?」

 ロダンの声は百眼へ向けられた。さも知ってるだろうとも言わんばかりに。

 それに答える百眼。

「いや、僕は知らんよ」

「知らんのかい、西願寺のボンボンのくせして」

 燕が言葉を捨てるようにして木戸を開けて暖簾を潜った。

 それとほぼ同時に燕が誰かに声を掛けた。

「おう、秀吉ひできちさんは居るかい?」

 二人も後に続き、そして中を見渡す。

 店内は古い昭和時代の食堂を思わせた。

 背もたれが無い丸椅子と長いテーブル。そこに置かれた箸と伝票。壁にはお品書きが、一品ごとに書かれている。それが凹上に置かれ、奥におでんが使っている鍋が見えた。そしてその鍋の奥からにこにこして爺さんが一人こちらを見て手招いている。

 その人物へ向かって燕が顎をしゃくり二人へ言った。

「あんたら、あの人が此処のおでん屋――『ななし』の親父、秀吉ひできちさん。そしてあだ名が…」

 そこまで言うと爺さんが燕の言葉を切るようにきりっとした顔つきで言った。

「西郷輝彦です」

 …、が思わずロダンと百眼の二人の顔に出た。

 そこへ、燕が突っ込む。

「アホかおっちゃん。いくら昔、新喜劇に出てたからいうても初見ではそのボケは受けんで」

「あかんか?やっぱ」

 はっはっはと爺さんが大笑いをする。

「あかん、あかん」

 手を振って言いながら燕が肩越しに二人へ言った。

「あんなぁ、ここの馴染みは皆言うんや。この人名前が『秀吉ひできち』やろ?だから――太閤さんてな」

 二人が顔を見合わせて、同時に言う。

「――『太閤』?」

「せや、卍楼の『太閤』さんや。中々の大物やで」 

 くくくと忍び笑い声をあげると燕が空いた席へ二人を連れてゆく。

 連れて歩きながら背後を振り返り秀吉へ言った。

「ほな、おでん適当にも持って来て。下々のワイらへ太閤さん直々に。あとビールも」

 言うとニヤリとして二人を見る。

 それがさも得意げに見えて、それに爺さんが応えるように声を上げる。


 ――おおきにぃ


 それを聞きながら席に着くと、ロダンはさも愉快気に二人へ笑顔を見せて言った。

「太閤かぁ。まさにここは渦巻く『卍』やなぁ」

 燕と百眼はその言葉を聞くと「ん?」と言う表情になったが、その意味を咀嚼する間もなくおでんとビールが運ばれて、手早くおしぼりや箸置きも置かれた。

 だが、ロダンはその置かれた箸置きに興味を示したのか手伸ばすと、それを明かりに翳した。

 サングラス越しに箸置きをじっと見つめるロダン。

 すると彼はますます愉快気になり、箸置きを翳したまま二人へ上得意に言った。

「此処はほんまに混濁混じる『卍』ですなぁ。アッシはまさにここ『卍楼』という地獄を旅するダンテのような気分でさぁ」

 その瞬間、さっと燕の視線が鋭くなった。その鋭さに箸置きを翳して見ているロダンが気付いたかどうか、それ程、彼は他者から見ても得意気の絶頂期に見えた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る