その17 「乱」と「嘘」
(17)
LED白色灯が、二人の顔を照らしている。だが、浅野の顔は深い翳が見えた。それは科学の灯りでさえも拭えない翳――、それは心が浮き出させた翳かもしれない。
百眼はその翳のある淵へ、何かを伸ばして差し出す。
差し出されたのは三本の細い棒。
じっと浅野が差し出された棒を見る。
「何や、手相とかとちゃうんか」
百眼は首を縦に振る。
「ええ、占いで一番なのはこれです。分かり易い」
「何が分かり易いん?」
「簡単なんです。この棒先、僕の手の中で隠れてるでしょ?つまり、僕の手の中に浅野さんの運は握られているんです。
その棒をあなたが取り出す。運は僕の手の中から離れて、浅野さんの面前に来て、その手に握られる。そしてこの三本には吉凶、ともう一つ…」
そこまで言うとしびれを切らしたのか、浅野が素早く手を伸ばすと、強引に一本を引き抜いた。
「つまり、運が書かれているやろ。ほら、見てみぃ。これ何や?」
浅野の面前で見えた棒先。
そこに書かれているのは、――何か。
百眼は、それを見て、僅かに驚きを浮かべた。その驚きに浅野は気持ちが急く。それが声に出た。
「
百眼は浅野の手から棒を引き戻すと、作務衣の内側へ仕舞った。それから、深い溜息を吐くと言った。
「――『乱』でした、浅野さん、あなたのご運は」
「えっ、『乱』だって?」
言いながら目を丸くする浅野。
「ええ、どうも浅野さんの運は吉凶を外し、第三の
「乱れるっちゅうことか?」
「そうですね。僕の占いの師匠が言うには、この『乱』を引いたのは昔から沢山いるけど、一番有名なんは――、明智光秀やと」
「明智?」
確認する浅野に百眼が首を縦に振る。
「…そう、か」
すると浅野は急にぷっと笑い出した。そして何度も、何度も――そうか、そうかと言うと首をゆっくりと斜めに傾けた。
「伊達さん…加藤さん、有馬さんも…皆『運』が無かったんやな。まぁ僕もかと思ったけど、どうやら僕は
僕が確認したかった一つは自分の『運』。そうか、運は『乱』――乱れるだけや。そうとも…そうさ、よし君に話そう、僕が知ってることを。だってそう心に決めてから君に占ってもらったんや。話したところで『乱』なら、生死に関係ない」
言うと浅野は百眼を指差した。
「何でも、君はめっちゃよく当たる易者やもんな」
百眼はこの瞬間、即座に否定しようとした。目前の浅野の顔はまるで翳が蛇の如く纏わりついた物の怪に見えたからだ。それが百眼を身震いさせた。
――やばい。僕は、――とんでもないことをした。
嘘をついてしまったと言う正直さを責める生来の生真面目さが、百眼を蛇に睨まれた蛙にさせた。
そうとも、三本の棒先には何も書かれていない。結果は自分が言った当てずっぽうだ。
先程の浅野の声が不気味だから、少し雰囲気を和らげたくて、ちょっと気分で乗っただけなのに、…何かとんでもないことに巻き込まれそうだ。
聞かなければ良かったと思う事が世の中にはある。それを聞かなければ、人は何も知ることなく、
――唯、運任せに。
(これは不味い!!)
身震いと言う一瞬の躊躇を突いて、浅野が蛙を飲み込む蛇の如く口を開いた。
「さっき、君に話を切られた続きだけどね…」
(あかん!!嘘をついた責任を背負わらされる!!)
その刹那――、突如、四方世界が暗闇に変わった。
驚きの声で店内がざわつく。それは全く間に波の様に広がった。先程の喧騒とは違う、危急に面した人々の喧騒があちこちで起きた。そう、突如、降り下りた暗闇の原因。
(停電!?)
突如、身を包んだ暗闇の中、蛇に睨まれた蛙は、反射的に身を屈めて足元に置いてある自分のバッグに手を入れた。
その時、暗闇の中で声が聞こえた。その声は紛れもない浅野の声。そして彼は誰かに向かって「待て!」と叫ぶや、突如開かれた木戸の音と共に暗闇の外へ出た。
百眼はバッグの中で何かを掴んだ。それは易台に置かれたLEDランタン。
手早く灯りをつけると百眼は開いた木戸から外に出る。そして周囲を照らすが、浅野の姿は無かった。
スマホを見れば時刻が浮かび上がる。確認するのは時刻。
それは、九時半丁度。
百眼は再び店に顔を入れた。そしてランタンの灯りに照らされた店員へ言った。
「また、戻るからその時勘定するね」
するとランタンを手にして路地へと歩き出す。
路地には停電で驚いた客が溢れ返っている。しかし百眼は落ち着いて、以前の時の様に慌てず、そして草履を脱いで足袋姿になって胸騒ぎのまま駆けださなかった。
何故なら百眼には浅野が暗闇の中、何処へ向かったか、おおよその見当がついていたからである。
つまり、彼は非常に冷静だった。
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