第11話:向日葵の淡い薔薇色の部屋

 夏休みも終わりに近づいたある日の午後、小梅は初めて向日葵の家を訪れていた。玄関を入ると、柔らかな香りが小梅の鼻をくすぐる。それは向日葵の部屋から漂ってくるラベンダーの香りだった。


「どうぞ、小梅ちゃん。私の部屋はこっちよ」


 向日葵は優しく微笑みながら、小梅を2階の自室へと案内した。ドアを開けると、そこには小梅の想像をはるかに超える可愛らしい空間が広がっていた。


「わぁ……!」


 小梅は思わず声を上げた。淡いピンク色の壁紙に、レースのカーテン。ベッドには大小さまざまなぬいぐるみが並び、棚には可愛らしい小物が所狭しと並んでいる。部屋の隅には小さな観葉植物が置かれ、室内に爽やかな彩りを添えていた。


「すごい……! 向日葵ちゃんの部屋、可愛すぎ!」


 小梅は目を輝かせながら、部屋の中を駆け回るように見て回った。彼女は一つ一つの小物に感嘆の声を上げ、ぬいぐるみを手に取っては「かわいい~!」と歓声を上げる。その様子は、まるで宝物を見つけた子供のようだった。


 向日葵は小梅の反応を見て、優しく微笑んだ。小梅の無邪気な姿に、向日葵の胸は温かな感情で満たされていく。


(小梅ちゃん、本当に可愛いわ~……)


 向日葵は小梅の髪の毛が跳ねる様子や、目を輝かせて部屋を見回す姿に見とれていた。小梅の制服姿は、彼女の小柄な体型によく似合っていて、首元にはいつものシルバーのペンダントが揺れている。その姿は、向日葵の目には愛らしく映った。


 しかし、向日葵はふと我に返り、今日の本来の目的を思い出した。


「でも今日はお勉強会だから、ちゃんとお勉強もしないとね~?」


 向日葵の声に、小梅の動きが一瞬止まった。


「あ、うん……」


 小梅の声には、明らかな落胆が滲んでいた。勉強があまり得意ではない小梅にとって、この可愛らしい部屋での勉強会は、実は少し気が重い話だったのだ。


 しぶしぶとテーブルに向かう小梅。向日葵は優しく微笑みながら、小梅の隣に座った。向日葵の長い黒髪が、テーブルの上でさらさらと音を立てる。彼女は今日もナチュラルメイクで、柔らかな印象を与えていた。


「じゃあ、まずは数学から始めましょうか」


 向日葵は教科書を開き、ゆっくりと説明を始めた。彼女の声は柔らかく、テンポも丁度良い。難しい概念も、身近な例を用いて分かりやすく説明してくれる。


 最初は気乗りしなかった小梅だったが、向日葵の教え方があまりにも上手で、徐々に興味を持ち始めた。


「へぇ……こうやって考えれば、簡単に解けるんだ」


 小梅の目が少しずつ輝き始める。向日葵はそんな小梅の様子を見て、さらに丁寧に、かつ熱心に教え始めた。


 時間が経つにつれ、小梅は勉強の楽しさを感じ始めていた。問題が解けた時の喜びや、新しいことを理解できた時の達成感。今まで味わったことのない感覚に、小梅は夢中になっていった。


「すごい! 向日葵は教え方のプロだよ! もう先生だよ! 教授だよ!」


 小梅は興奮して叫んだ。その声には、純粋な喜びと感謝が溢れていた。


「もう、小梅ちゃんったらおおげさだよぅ~」


 向日葵は照れくさそうに笑った。しかし、その瞳には小梅への愛おしさが宿っていた。


 二人は勉強に夢中になるあまり、いつの間にか体が寄り添うように近づいていた。肩と肩が触れ合うほどの距離で、お互いの温もりを感じながら問題を解いている。


 ふと、その近さに気づいた小梅は、慌てて体を離した。


「ご、ごめん!」


 小梅の頬が、急に赤く染まる。向日葵は優しく微笑んで、小梅の肩に手を置いた。


「ううん、いいんだよ~。小梅ちゃんはもっとお姉さんに甘えていいんだよ~」


 向日葵の声は、いつもよりも柔らかく、優しかった。


「だ、だから同い歳だって言ってんじゃん!」


 小梅は顔を真っ赤にしながら抗議するが、その声には力強さがなかった。むしろ、向日葵の言葉に心地よさを感じているようだった。


 向日葵は、ふと何かを思い出したように言葉を続けた。


「あ、そうだ~。今日ね、お父さんもお母さんも留守なんだ~。だからお泊りしてく? 小梅ちゃん?」


「え……?」


 小梅の目が丸くなる。向日葵の突然の提案に、彼女の心臓が大きく跳ねた。


 向日葵の部屋で一晩を過ごす……その考えだけで、小梅の頭の中は真っ白になりそうだった。しかし同時に、どこか期待に胸を膨らませている自分がいることにも気づいていた。


 二人の間に、甘く切ない空気が流れる。それは友情とも、恋とも違う、何か特別な感情だった。小梅と向日葵は、その感情の正体がまだ分からないまま、お互いの目を見つめ合っていた。


 夏の終わりの午後、向日葵の淡い薔薇色の部屋で、二人の関係は新しい段階へと進もうとしていた。

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