第6話:梳る乙女の朝
朝の光が校舎を柔らかく照らし、穏やかな風が廊下を抜けていく。篠崎小梅は、教室に向かう途中でふと自分の髪が乱れていることに気づいた。鏡を見ていないが、前髪がいつもより少し跳ねている感覚がする。小梅は不器用な手つきで何とか直そうと試みるが、どうしても思い通りにならない。そんな彼女の様子を、ふと後ろから見ていた橘向日葵が気づき、優しく声をかけた。
「小梅ちゃん、ちょっと待って……」
向日葵はゆったりとした動作で、小梅の前に立ち、彼女の髪を丁寧に整え始めた。向日葵の手は、大きくてふっくらとした温かさがあり、その手が小梅の髪に触れると、彼女は少しだけ肩をすくめたが、やがてその心地よさに身を委ねた。
向日葵は、小梅の髪を撫でるようにして、乱れた部分を整える。彼女の手先はとても器用で、まるで慣れた動作のように小梅の髪を扱っていた。向日葵が結んでくれた髪は、いつもとは違う形でまとまり、少し大人びた印象を与えていた。
「うん、これで大丈夫!」
向日葵が満足げに微笑むと、小梅は少し頬を赤らめながらも、恥ずかしそうにお礼を言った。
「ありがとう……」
小梅は向日葵の手を握り、ぎゅっと軽く押す。その小さな手は、向日葵の大きな手と比べてまるで子供のようだったが、向日葵にとってはその感触が何よりも愛おしかった。
そんな二人の様子を、教室の入り口で見ていたクラスメイトたちは、まるで息を合わせたかのように一斉に囃し立てた。
「それって、もう恋人同士じゃない~?」
その言葉に、小梅は驚いて目を見開き、すぐに首を横に振った。
「そ、そんなんじゃないよ! ただ、向日葵のほうが手先が器用だから……」
小梅は照れくさそうに言い訳をするが、その声は少し震えていた。向日葵もまた、小梅の言葉に同意するように微笑んだ。
「うん、そう。私の方が手先が器用だからやってあげただけだよ~」
二人はお互いに頷き合いながら、特に深く考えることもなく教室に入った。クラスメイトたちはまだニヤニヤとした表情で二人を見つめていたが、小梅と向日葵は気にせず、自分たちの席に向かった。
教室の中では、他の生徒たちが賑やかに話している。黒板には、今日の授業内容が書かれ、机の上にはすでに教科書やノートが整然と並べられている。小梅は自分の席に座り、向日葵もその隣に腰を下ろした。
「本当にありがとう、向日葵ちゃん……」
小梅は改めて感謝の言葉を口にし、少し照れくさそうに向日葵を見上げた。向日葵はその言葉に優しく微笑んで頷いたが、その瞳の奥には、ほんの少しの温かな感情が宿っていた。
「どういたしまして、小梅ちゃん」
二人の間には、いつものように穏やかな空気が流れていた。小梅にとって、向日葵と一緒にいる時間は特別で、心が安らぐ瞬間だ。しかし、それと同時に、彼女は自分が向日葵に依存しているのではないかという不安も抱えていた。
向日葵の存在は、彼女にとって大きな支えであり、時にその優しさに甘え過ぎている自分を感じることがある。だが、それを向日葵に伝えることはできない。小梅は自分の小ささに対するコンプレックスが強く、それを隠すためにいつも強がっている。しかし、向日葵の前では、その強がりが崩れてしまうことが多い。
向日葵もまた、小梅の気持ちに気づいていたが、あえてそれを指摘することはなかった。彼女は小梅が自分に甘えてくれることを嬉しく感じており、それが二人の関係を深めるものだと思っていた。向日葵にとって、小梅の存在は特別であり、彼女を守りたいという強い気持ちがあった。
二人は黙って授業の準備を進めながらも、その心の中ではお互いを想い合っていた。クラスメイトたちの囃し立てる言葉に対しては表面的に否定したが、その言葉が完全に間違っているとは言い切れないような気がしていた。
「ねえ、小梅ちゃん……今日、放課後はどうする?」
向日葵がふと口を開き、小梅に尋ねた。その声はいつもよりも柔らかく、優しい響きがあった。
小梅は向日葵の顔を見上げ、少し考えた後、にっこりと笑った。
「うーん、特に予定はないかな……向日葵ちゃんは?」
「私も、特に何も……一緒にカフェでも行こうか?」
向日葵の提案に、小梅は嬉しそうに頷いた。二人は放課後の予定を決めながら、これからの時間を楽しみにしていた。
その日の授業は、二人にとって特別なものではなかったが、教室の中で交わされるささやかな会話や、ふとした瞬間に感じるお互いの存在が、二人の心を温かくしていた。授業が終わる頃には、二人は自然とお互いに微笑み合い、手を取り合って教室を出た。
これから訪れる放課後の時間が、二人にとってどれだけ大切なものになるのか……それを予感しながら、二人はゆっくりと歩き始めた。
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