第58話 一転攻勢、吉か凶か
ゴドウィンの氷結によって地面に叩きつけられた賢猿。その顔は意外感と怒りが半々に混ざりあった顔に、即座に一発氷弾がぶち込まれた。
「ギッ!?」
「もう一発。【
更に生成される冷気の塊。放たれたその冷ややかな一撃は、猿がなんとか首を振って避けられた。
ゴドウィンは軽く舌打ちしてバックステップ。転瞬、ゴドウィンが居た場所を猛烈な衝撃波が駆け抜けた。
「だから読めてるんだよ。テメェのことは死にたくなるほど知ってるんだ」
そう俯いて呟くゴドウィンの顔は悲痛さと瞋恚がありありと汲み取れる。『彼女』のトラウマを、無念を思い出しているのだろう。屹然と前を睨み、ゴドウィンは魔力を膨れ上がらせた。
「あいつの痛みは、悲しみはこんなちっぽけじゃねえ。お前が消える前に、同じ苦しみを味わってもらうぜ」
賢猿の黒い身体を濡らす湿気が、ゴドウィンの武器として牙を剥く。背中は先程凍らせたので、今度は魔力が前面に覆いかぶさる。賢猿にとっては、一度放たれた魔力に対してできることなどない。そのまま為すすべなく、甲高い音とともに凍り付いた。
再び、あの日のように賢猿を戒める氷。賢猿は黒くなった身体を震わせて氷を破砕しようとするが、厳重に氷の密度は前よりも濃くなっていて、堅牢だ。
「対策してないと思ったか?……今だ、姉貴!」
「勿論よ。【
異形の鷹から、骨の弾丸の雨が降り注ぐ。魔力によって自らの身体を削って生み出す、弾幕だ。一発一発の威力は低くとも、ランキング16位の魔力量は桁違いだ。生み出される量も、必然常識から逸脱したほどの量になる。凍り付いた身体には当たらなくとも、剥き出しの賢猿の顔に殺到する。
「キィィッ!」
歯を食いしばるような表情を浮かべた賢猿。やはり知能が高く、これが牽制であるということを理解しているようだ。その眼光は攻撃しているマルルではなくしっかりとゴドウィンを見据えている。
その眼光に答えるように、ゴドウィンも鈍い眼光を返しつつ、魔力を手繰っていく。全ての魔力を注ぎ込めば氷弾は顔を抉り飛ばせるが、それでは一瞬で片がついてしまうだろう。ミーナの腕を、未来を破壊したこの猿には、徹底的なまでの絶望を味わわせたい一心だ。ならば、同じ苦しみを味わわせてやろう。
「【
氷を生み出す。そして魔力でその形をグニャグニャと歪めて、一つの道具を生み出す。それは凍てつく刃を光らせる、氷の剣だ。柄をがっしり握って、構える。わざとおちゃらけた、誰かのような口調で言い聞かせる。
「その賢い頭が知ってるか。凍ったものっていうのはなぁ、脆くなるんだぜ?」
賢猿が固まっているポーズはちょうど腕を伸ばして攻撃しようとしているソレだ。お誂え向きだ、と口の端を歪めて、剣を振り上げる。その氷の刃は綺麗に煌めき、賢猿は無表情だ。一定以上の怒りは、逆に理性を鎮めるというそれかもしれない。
「ミーナの、敵だ」
「─────!」
そして、冷たい刃を被った怒りの一撃が、賢猿の腕に直撃する。氷が破砕される音が響いて、賢猿の左腕に深々と氷の剣が突き刺さる。だが、それだけだった。一刀両断とは行かず、肉に中途半端に刺さるだけ。
猿は一瞬の溜めの後、またも叫びを上げた。
「ギィィィィィィィィィッッッッッッ!!!」
痛みと屈辱と、その二つが合わさることによって生まれた音の暴虐が、全員の耳を劈く。耳を塞いでいても、だ。そして、鳴り止んだ隙を見てなんとか前を向くと、そこには、全身を彫像がごとく固めていた氷を全て破壊し、自由の身となった“
「チッ、失うまでは行かなかったか。失敗だな」
「アンタ……いくら〈ヴータリティット〉とはいえこんなむごいことしていいと思ってるの?」
「むごい?俺はただ、復讐を遂げようとしているだけだ。お前らにどうこう言われる筋合いなどない」
カレハの突っかかりも虚しく、ゴドウィンのどこか遠い瞳は賢猿を捉えていた。ゴドウィンが先に大きなダメージを与えられた、ということがカレハにとってはかなり悔しいのだろう。その顔を不快気に軽くしかめつつ、アウルの方に近づいた。
「どうするの?左手を貰われたわけだけど」
「いや、むしろ好都合じゃないか?左手をゴドウィンに取られたことで必然ゴドウィンに攻撃が集中するはずだ。氷を生成すると言ってもその速度には限界がある、あの〈ヴータリティット〉のパワーなら氷の壁ごとぶち抜くはずだ」
「つまりどういうこと?」
「ゴドウィンに狙いが定まっている内に、奴の足腰を叩くんだ。そうしたら、動けなくなっていくだろう?奴の自慢のパワーも動かなければそれなりの脅威でしかないからな」
(それに、奴はゴドウィンによって何度も氷漬けにされている。氷漬け……つまりは体温の低下だ。この階にいる以上ある程度の耐性はあるだろうが、限度っていうものはきっとある。事実、奴の動きはどんどんと精彩を欠いているのが俺には視える)
このままゴドウィンと猿がぶつかって、猿が消耗してくれるのが一番の筋書きだ。倒されそうになれば、ユウセイの魔法で掻っ攫うこともできるだろう。
賢猿が、静かに動き出した。その静かさは、叫び声とは打って変わっているせいで不気味さを醸し出している。その方向はやはり予想通りゴドウィンの方で、アウルは刻まれている笑みが更に深くなった。
「ハッ、俺に倒させてくれるってことかァ?」
ゴドウィンが再三魔力を高める。もう使える水分は残っていないかと思うが、ここは鍾乳洞だ。水は腐る程ある。弾切れなどないに等しいのだ。上のマルルは腕を組んで、完全にゴドウィンに譲る形だ。
“
─────────ゴドウィンが掴まれた。
「は?」
賢猿の右腕が、伸びたのだ。まるで、誰かに引っ張られたかのように。警戒感も置き去りにするほどの速度で伸びて、ゴドウィンを掴んだ。ただそれだけのことなのだが、無知ということがそれに対する行動を阻害させた。無知は罪というが、弱点でもあるのだ。
ゴドウィンの身体に浮遊感が、遅れて風を切る感覚が襲いかかった。どうやら、伸ばした腕を、振り回しているらしい。段々と視界が速度を上げて、内臓が遠心力で掻き回されていく。
そして、ゴドウィンは鍾乳洞の床へと叩きつけられた。ドガッッ!!という音が、アウルたちに痛みの壮絶さを否が応でも想像させた。
そして、賢猿はその据わった瞳で、エーゲン・ラフトの面々を睥睨した。
「────キ」
「……悪かったぜ。お前のことを、少々舐めていたようだ!」
即座に伸ばされる腕を、紙一重で避けるアウルなのだった。
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