第56話 因縁の正体:2

ビリビリと大気が揺れて、地に着いた足すらも覚束無くなる。

突然襲いかかった振動に、ゴドウィンもミーナも驚きを隠せない。いや、ゴドウィンは今まで生まれてきてからの戦いの勘によって何とか構えることだけは成功していた。


「ッ!何だァ!?」

「ゴドウィン、あれ……」


彼女は信じられないものを見たかのように指を震わせながらある方向を指した。ミーナが細い指先で指し示したそこ。衝撃の爆心地だったのか、土埃が大きく立ちこめるそこには。

シルエットがいた。醜悪に人間をねじ曲げて伸ばせばこうなるだろう、といった細長く大きい体躯。

ゴドウィンもミーナもその姿に怖気が止まらない。ゴドウィンも平然としているように見えるが、よく見れば手が震えているのがわかるだろう。それだけ異様で、強い威圧感をその影が放ち続けているのだ。


「──────」

「来るぞッ!」


警戒感も顕にしているゴドウィンが警告を放つとほぼ同時。ゴドウィンの身体が宙に踊った。何も分からぬゴドウィンの身体を痛みが走り抜けて、脳が警鐘をガンガンと鳴らす。


「……ハッ……」


無意識にミーナの方に手を伸ばしていた。声を出そうにも、砂漠で何時間も過ごしていたかのようにかすれた息しか出てこない。


「ウッキッキ……」


眼を必死に動かして見れば、そこには影の正体が居た。それは不気味な雰囲気を纏う巨大な猿だ。その丸い瞳は完全にゴドウィンをロックオンしているように追いかけてくる。ふと、その眼を細めて口を歪めた。どうやら笑っている……いや、嗤っているようだ。

その猿の姿が掻き消える。そして、ゴドウィンのすぐそばで烈風が発生した。突如現れた暴威に、空中にいるゴドウィンは為すすべなく横に飛ばされた。荒々しく地面に叩きつけられて、意識が飛んでいくのをなんとか引き止めた。


「ウキャキャキャキャァ!」

「ゴホゴホッ………クソ、ミーナは無事か?」


身体中から溢れ出る痛みを堪えて咳をしながら、なんとか立ち上がる。奴はゴドウィンを二度吹き飛ばして満足したのか、哄笑を高らかに上げている。悔しさと痛みに歯ぎしりしながら、視線を周りに巡らせる。ミーナの姿はない。彼女は普段の頭は残念と言っても良いのだが、戦いに関して言えば一線級に賢くなる。ゴドウィンに狙いが定まっている間に、どこかの石筍にでも隠れたのだろう。


「ミーナ!俺が凍らせる、その間に頼むぞ!」


ゴドウィンは位置もわからぬミーナに作戦を伝えるために声を張り上げる。その声に反応して、猿がこちらを向いた。流石に内容はわかっていないはずだ、と思いつつ、魔力を励起させた。それに反応するように眼が淡く輝く。


「【精氷弾クゲル・アイス】」


周りの水蒸気が、氷の塊となって現出する。魔力の現実改変性によって、猿を撃ち抜く弾丸を作り出した。即座に射出され、高速で猿の体表へと当たる。

だが、鈍い音とともにその氷は落下してしまった。その白い体毛に汚れなどついておらず、顔も平然としている。


「キィッ……」

「ま、これくらいは効かないか!【精氷弾クゲル・アイス】!」


試しにもう一発打つものの、やはり同じように大したダメージを与えることなく、落ちてしまう。口を苦笑に歪めながら、魔力を練り続ける。断続的に飛んでくる氷弾が煩わしいのか、猿型〈ヴータリティット〉の人間じみた太い眉が顰められた。そのままノッシノッシと、腕を使って器用に向かってくる。先程からの姿が掻き消える謎の攻撃はやってこないようだ。

これは好機とばかりに、ゴドウィンは氷の弾丸を作るときより遥かに大きく魔力を熾す。そして、地面を這わせるように薄く広げていく。ここは鍾乳洞だ。すなわち、水たまりがそこらにある。


「【精氷結化エシュターホン】」


水が、凍り付いた。階層の地面に広がる薄い水が全て、行動を阻害する氷へと変化した。

地面の水を凍てつかせただけ、ではある。しかしそれが強いのだ。足場が不安定になり、駆け抜けようとしても滑って転んだり、踏み抜いて鋭い氷が足を切り裂いたりなどする可能性がある。そして動きが止まれば、致命傷を叩き込める。いわばこの床に、罠を張り巡らせたのだ。


「ウキキ……」


〈ヴータリティット〉も発動された魔法に警戒しているのか、そのゆったりとした動きを止めて、動かずにいる。狙い通りだ。ゴドウィンはガッツポーズをしたくなる衝動を抑えて、走り出す。勿論、体内魔力の使いすぎにならないように気をつけながら、だ。

無論猿型〈ヴータリティット〉の方も黙ってみているわけがない。奴は手頃の石筍を毟り取る。その切っ先は鈍くても、あれが勢いよく当たりでもしたら間違いなくやられるだろう。

ゴドウィンは魔力を熾しつつ再び駆け出す。顔は未だに痛む身体に耐えるため引き締められているが、それでも不敵な笑みを浮かべた。当然、眼前に投げ槍のように石筍が飛来する。


「読めてる攻撃は反撃のチャンスなんだよ!【精氷結化エシュターホン】!」


飛んでくる石筍を横っ飛びに転がって回避する。そして転がったということは地面に接触するのだ。魔力が触れる地面へと這って、巨猿の身体に纏わりつく。

ゴドウィンの魔法は水を凍らせたり、その氷を操って弾丸のように射出する魔法だ。では、何故猿型〈ヴータリティット〉の身体に魔力を絡ませたのか。それは、この階、9階層が鍾乳洞であるということに眼をつけたからである。鍾乳洞は、湿気が高く、水がそこいらに溢れている。では、そんなところで動き回れば、身体はどうなるか。

答えは現実の現象として起こる。猿の真っ白な体毛は透明な輝きを強制的にまとわせられ、動きが停止する。


「キィッ!?」

「あんだけ動いてれば、身体は濡れてるよなぁ!」


身体が濡れていれば、ゴドウィンの魔法によって凍らせられる。そうして、氷結させたのだ。巨体であるがゆえに、凍りつけば動きを止められるのは至極真っ当。最初からこれを狙っていたのだ!


「今だ、ミーナ!」

「言われなくとも!」


猿の巨体を挟んだ向こう側から、声が聞こえた。どうやら、奴の後ろの石筍に潜んでいたらしい。ミーナはその身の丈にしては大きい、鎚杖メイスを構えている。そのまま、力強く地面を蹴り込んで飛び上がった。その華奢な身体に魔力が蠢くのが分かる、ただの突撃ではない。彼女は器用にも魔力を背中から放出して、風を生み出した。上に掲げられたメイスが、遠心力によって振り抜かれる。


「行くよ、必殺!“風纏撃ウィンデ・アングリフ”!」


これこそ、二人のパーティで黄金ムーヴとなっている組み合わせコンボ。ゴドウィンが止めて、ミーナが重鈍な必殺を決める。これによって、生き抜いてきたのだ。

だが。この時の二人は知る由もなかった。この猿が、“名前持ち”ということに。

この猿が、二人の実力を軽く凌駕する化け物だということに。


「!?」


凍りつき、動けないはずの猿型〈ヴータリティット〉。その姿が、掻き消えていたのだった。

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