第55話 因縁の正体:1
「はっ……はっ……」
かすれた、情けない息が零れ落ちる。いつもの自分の自信満々な声からは全く想像できないような吐息に、いっそ自分で笑いたくなってくる。後ろから聞こえてくる高笑いのような鳴き声に、クソッタレと心のなかで毒を吐いた。後悔をしながら走るという、割と器用なことができているのは彼女のおかげだ。そしてその後悔が生まれたのも彼女のおかげだ。どういうことかといえば……。
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ゴドウィン・コロラドは、恵まれた人生を送ってきた。強い魔法に、スキルも及第点。学習力も高く、鍛えるストイックさも持ち合わせていた。だから、自身が『最強』と冠されるカムフトーム魔塔学院でも強者になれるということは疑っていなかった。勿論、願いを叶えることも。だが、それは大きな思い違いだった。
「まずッ!」
「避けて!」
なんとか地面を転がって、狼型〈ヴータリティット〉の爪を避ける。まさかその体勢から避けられるとは思っていなかったのか、地面に爪を突き刺したまま一瞬固まる狼。その隙だらけの腹に魔法で生み出しておいた氷を突き刺して、抉る。グジュという嫌な感覚とともに、奴の身体が震えた。即座に、光の粒となって消え去るのを見届けて、ため息を吐いた。
「こんなんで苦労してんのか、俺……」
「仕方ないよ、こんな階なんだし」
横を見る。前かがみになっている彼女は、ミーナ・アリル。深い赤色のショートカットを揺らす、黄眼の快活な少女だ。この塔に入ってから偶然出会って、なし崩しにパーティを組んだのだ。彼女がこんな階と言っているこの階は、カムフトーム15階層。ちょうど、『下階』と通称されている階層帯の、最上位階である。周りは薄暗く、天井を見れば月明かりのような淡い光が階層を照らしている。よく見れば、岩や木が点在する平原だということが分かるだろう。
ゴドウィンは頭痛がするかのように頭を抑えながら、立ち上がった。実際にはないのだが、ストレスと不安で本当に頭が割れそうだ。
「ポイントは…………、まあそうだよな」
「いーじゃん、一歩ずつで」
「お前はずいぶんと気楽なんだな。一年過ごして、わからなかったのか?」
不機嫌さを全く隠さない声でゴドウィンが皮肉る。ミーナはそんなゴドウィンの感情をあえて無視して、てくてくと前に歩いていった。
振り向くことなく、彼女は言葉を続ける。その声色は、明るかった。
「焦んないでよ、ゴドウィン。一年過ごしたってことは、まだ二年有るってことなんだから」
「……俺は、お前みたいに前を向きたい。だけど、自信がないんだよ」
「なんで自信がないの?君くらいなら……」
「俺くらいだからだよ!俺はここで分かったんだ。今までの自分が甘かったということを痛いほど感じさせられた!俺は弱い!心も、力もだ!」
何故かこのときは、無性に言いたいことを我慢することができなかった。ポロポロと零れ落ちる本音に、ゴドウィンは羞恥と怒りと寂寥がないまぜになった感情で満たされていく。ミーナは未だに前を、ゴドウィンのほうを向かないまま、その言葉を黙って聞いていた。
「確かに、君は今は弱いよ」
「そうだろ?」
「でも、この先は違う。気付けるだけで、それが成長なんだよ。自分が弱いと自覚しないで死ぬ人だっているでしょ?」
「……」
「それにさ、弱いから願いが叶えられない、なんてことはないよ。弱くても強くても、願いを叶える機会は平等に訪れるんだから。生きてれば、いつかその瞬間は必ず来るよ」
いつの間にか彼女は振り返って、その黄色い瞳でゴドウィンを包みこんでいた。その視線は慈愛に満ちていて、見つめられるだけでゴドウィンの不安は掻き消えて、小っ恥ずかしさが生まれていく。
彼女はゴドウィンへ手を差し伸べる。ゴドウィンはその手をしっかり握って、前へと進み始めた。
たどたどしくも、言葉を紡ぐ。
「……とりあえず、1階に戻るか」
「待ちなよ。一旦9階層に行かない?」
「9階層?別にいいが、なんで……」
「
ミーナ曰く、ここに来る前に1階の掲示板で、9階層についての
ゴドウィンはひとつ頷いて、納得と了承の意を同時に示した。
「どんな内容なんだ?9階層ってことは……石の採掘とかか?」
「まさにそれだよ、ゴドウィンくん」
ビシッと指を差され、思わず苦笑してしまう。
と、そうこうしている内に15階層の転移陣まで来た。魔力を軽く流しつつ、9階層へと念じる。それだけで視界が暫し白濁して、転移する。
ひんやりとした冷気と独特の静けさが、肌をくすぐってくる。
「鍾乳石の採掘、ねぇ……」
「なにか懸念点でもあるの?」
「いや、わざわざ石をここで取るなんて用途が分からなくてさ」
鍾乳石のみがOKな理由は多分魔法や魔術によるものだろう。でも、鍾乳洞はここだけでは無いはずだ。わざわざこの塔で、この階で取る理由が分からないのだ。
その旨を告げると、彼女は笑い飛ばした。
「考えすぎでしょ。たまたまこの王都の近くに鍾乳洞が無かったとかそういう理由じゃない?」
「ま、そんなもんか」
さすがに警戒のし過ぎだろう、先程まで不安でいっぱいだったのだし。
彼女は手近な鍾乳石をコンコンと小突いて、首を振る。
「素手じゃ行けないか」
「……お前、素手で石を壊そうと思ってたのか?」
彼女に疑わしげな冷視線を送ると、ミーナは指を突き合せて気まずそうに視線を逸らした。
流石に、鍾乳石を素手は無理がある。鍾乳石というのは、ポタポタと垂れる雫によって少しづつ成長していく、積層的な石だ。普通の石に比べても、硬い。
見たところ彼女はなにか取るもの……鶴嘴やハンマーといった破壊に適するツールは持っていない。
「お前何も持たずにどうやって取るつもりだったんだ……」
「だって、こんなに硬いとは思ってなかったんだもん!」
ため息。前々から馬鹿だとは思っていたが、ここまでに無知だとは。
追加でもうひとつため息を落とした後、ゴドウィンは遅れてミーナについて行った。
その先に地獄が待ち受けているとも知らずに。
「ねぇ、ゴドウィン──────」
彼女が振り返った刹那、階層全てを激震が襲ったのだった。
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