第32話 窮地はどこにも誰にでも
ところで一方。ほぼ同時に駆け出したテラエイナ・インダスの方はと言うとだ。
「ハハ、可愛い抵抗ですね、お嬢さん」
「うるさい人ですわね。紳士然としていても、おしゃべりが過ぎると嫌われますわよ」
ピシリ、と男の顔に浮かんだ笑顔が凍てつく。それに気づかないエイナは、滔々と貴族らしい振る舞いについて、お嬢様口調で高飛車に語る。指まで立てて、教師のような気分になっているのだろう。
「いいです、紳士淑女たるもの語るは少なく動きは優雅にするべきですわ」
「……そういうお嬢さんこそペラペラと喋ってないかい?」
「ハッ!嵌めましたわね!?」
……失礼、高飛車と言うかポンコツだろうか。彼も凍りついた笑顔の口元がヒクヒクと痙攣していて、素で笑っているようだ。
「嵌めてなんていない……よッ!」
「甘いですわ!そんなチャチな弩、届くと思って?」
男が否定の言葉ともども手にしている弩から矢を射出し、その鏃がエイナの柔肌を貫かんとする。無論エイナとて黙って喰らうつもりは毛頭ない。そも、エイナは最後まで生き残ってきたいわば歴戦の雄なのだ。この程度の攻撃はもはや無意識的に迎撃できる。魔力が閃き、その事象改変の力が世界を塗り替える。
「【
空気が彼女の魔力に付き従い、圧縮空気が不可視の刃となって射出された。そのまま刃たちは弧を描いて迫る矢を切り刻み、男の余裕ごと攻撃をなかったものにした。かに思えた。
「それくらい誰だってできるよ、この学院ならね」
「何ですって!?」
矢の迎撃に成功したと思われた風の刃の魔法は、なぜかあらぬ方向へと飛んでいってしまった。このようなこと、魔力の制御に失敗したとしか思えない。しかしそんなこと、高度な教育を幼少から受けていたエイナにとっては、500回やってあるかないかのレベルだ。男はそんな様子を見て、それまでの紳士然の笑みから嗤う笑みに質を変えていた。まさに、嗜虐者のそれだ。
「驚いていて、いいのかい?君の肌に傷ついても、僕は愛せるけど」
「ッッ……舐めないでくださいまし!?」
男のセクハラとも取れるその発言に戦慄しながらも、こなれた動作で射線から飛び退く。だが足が少し絡まってしまって、顔に矢がかすってしまった。
「……さっきからおかしいですわね」
「フフフ、自分の至らなさじゃないのかい?」
「!」
少しカチンと来た。エイナは高貴な生まれで、実力もある上に鍛錬も重ねてきている。それを簡単に否定する男に苛立ちを覚えたのだ。
「言ってくれますわね、このワタクシに。本気を出させたこと、あの世で後悔して下さいな!」
「何を……!?」
エイナはそう言って、懐から4枚の鉄板を取りだした。それは三日月のような形をしていて、外周部分は鋭く研がれている。
「フッ、【
エイナは大きく振りかぶり、三日月の刃を両手より2枚ずつ投げ付けた。その瞬間、魔力によって生み出された風がその刃の弾道を不規則なものに変えていく。まるで、紙飛行機が乱気流に乗って乱高下するようなものだ。
その軌道は誰にも読めること無く、ランダムに飛んでいった。地面に掠り、そこらの枝を切り落とし、そして男に向かって飛翔する。男は難なく避けるものの、周りにはまだ3枚も刃は有る。普通に投げただけでは絶対に維持できない高さで翔んでいる刃は、当たるものが少ない分謎の攻撃に見えた。だがしかし。
「行きなさい、ムーンナイフ!」
彼女が叫ぶと、その刃は纏う風の質を変えたことによって、軌道が変化した。ランダムに飛んでいたと思われていた刃は、すべてがその瞬間より男の方向へと
4方向から同時に翔んでくる、三日月の刃。それを前にしても、男の済まし顔は崩れない。だが男は何ら動くこと無く、その刃が自身に迫りくるのを座して待つのみに見えた。
「これが本気なら、心外だなあ……」
そして、刃がザシュザシュと男の身体を切り裂いていく。三日月の刃は風によって回転しており、さながら男にとっては丸ノコが身体に食い込んで、切ったに等しい状況なのだ。その平凡な貌は苦痛に歪むものの、その眼は諦めとは程遠い、余裕を確信した眼である。
刃はすべて男を切り裂き、そのまま飛翔を続け回転しながらエイナの手元に戻ってきた。
────だがそんなことより、エイナは驚愕の光景を見た。アレだけ深く刃が食い込んでいたのだ、それが通った後には命属性系魔法でも治療に時間を要するほどの傷が何箇所もできているはずなのだ。
「な、なぜ……」
「なぜって言ったら面白くないでしょう?戦いの醍醐味に相手の力を予測することが有るんですから」
「なんで傷が一瞬で治ってるんですの!?」
そう、全く傷が見当たらないどころか、明確に切り裂いていた服の傷すら消え去っているのだ。もはやこれはただの命属性魔法ではない、そんなこと不可能に近い。ならばどの属性でできるかと問われても、どんな属性でもこのような事象改変はできない。ならば系統外魔法しかないだろう。
エイナは起きた現象からとりあえず彼の魔法属性をなんとか絞り込んだものの、そこから先の具体的な魔法効果が全くわからない。魔法効果がわからないということは有効打に繋がらない。有効打に繋がらないということはそのまま押し切られてタッチされて終わるということだ。
「っ……ならば、癒やすことができないほど何度も傷つけてあげますわ!」
「威勢はいいね、威勢は。じゃあ、僕も迎撃しようかな!」
瞬間、エイナの魔力が空気を走り、不可視たる風の刃を数十個ほど生み出した。エイナは魔力量に関して言えば貴族の界隈の中でも随一とされていたほどだ。これくらい取るに足らない。
そのまま高く上げた両手を一気に振り下ろすことを号令に、風の刃が殺到した。ついでに、
対する男の方もその手の弩……つまりはクロスボウに矢をつがえ、その照準をエイナの足に合わせた。そして一寸もブレること無く、その矢は発射された。
「そんな見え見えの矢、風の刃を少し分けるだけで事足りますわ!」
「……さっきから学ばないお嬢さんだ!」
男が少し苛立ったように叫ぶと、それに答えるように矢は迫りくる風の刃を意思を持ったかのように紙一重で避けていく。
「は、なんで!?」
「戦場ではそのなんでを考えることが命取りになるんだよ、お嬢さん!」
その教訓とともに、矢はエイナの足を正鵠に射抜くのだった。
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