第16話 窮地からの脱出は

「こいつがその仮想の魔獣か。仮想とか名前に付いてる割にはすげえリアルじゃねえかよ……!?」


ぼやくユウセイを眼前にその後ろ足を曲げ、身体をしならせたキマイラ。奴はそのまま全身をバネとして飛びかかろうと、筋肉に青筋が立った。もちろん黙って喰らえば大怪我間違いなしだろう、サッとユウセイは石を拾い、叫ぶ。その黒瞳が淡く煌めいた。


「【情報付与】対象:石 効果:秒速300メートルで射出!!」


ヒュッ、とどこか間抜けな響きの風切り音が、キマイラへと直進する。

しかし音が間抜けであろうとも、それは人間に、否、すべての生物にとっては圧倒的な速度による致死の弾丸だ。さしもの異世界でも、銃弾──正確に言えば、それと同等の速度と質量を持つ石なのだが──は防げまいとユウセイは高をくくっていた。

……だがしかし。


「効いてない……!?」

「──グルルウ!」


キマイラに当たったはずの石の弾丸は、何の傷も与えられずにポロリと撤退した。いや、一応飛びかかろうとしていたキマイラの行動は阻止できた。

しかし直撃した当の奴はというと、かゆみ程度にしか感じなかったようで低い唸り声を上げながら、前足を上げて器用に身体を掻いている。眼の前のこの巨獣は物理的な攻撃があまり効かないのか……?そんな疑念を覚えるような硬さである。ほぼ銃弾が直撃したのと変わらないのに平然としているその姿に、何故か場違いにやはりここは異世界なんだと感じた。


「こりゃ、まずいですわ……」


思わず関西弁へと口調が変わってしまうユウセイを前に、痒いところを掻き終えたのか背中の翼を忙しなく動かしつつ、そして尾としているヘビを揺らしながらゆっくりと近づいてくるキマイラ。そんな奴に、ユウセイが思いついた手はというとたった一つだった。


「逃げるんだよォおおおお!」

「ガアアッ!!」


ユウセイは何処かで聞いたようなセリフを残して、全力で走り始める。その様子を見たキマイラは、敵前逃亡するなど守護者の風上にも置けんとばかりに一つ吐息をこぼし、そして再び身体をバネに飛び出す。

鬼ごっこ、いや、魔獣ごっこの始まりだ。

そして冒頭のあの場面へと戻ってくる。


「やばい、やばい!逃げられねぇ!死ぬ、死ぬー!?」


命からがらの叫びがカムフトーム魔塔学院の二階、その森に木霊する。後ろには疾走する音が変わらず聞こえてきて、未だに追われているということは明確だ。

……魔法を使えば、たしかに振り切れるだろう。その意見も最もだ、スキル魔法に正確な指定が必要なことがなければ。ここで【情報付与】のデメリットが大きく効いてきた。

正確に対象物と付与する情報を設定しなければ失敗する、というものである。その設定は発動時に宣言、身体で触れていることがトリガーとなる。こんな走っている途中に悠長に言葉を紡いでいる暇などないし、他のものを触るなど高等テクニックにもほどがある。早口で言おうにも舌を噛んでハイおしまいなんて笑えない結末だ。というわけなので、魔法は使えないままに全力ダッシュを遂行する以外ない。

──余計な思考を振り切って、ただひたすらに走る。息が切れようとも。


「ガウオアッ!」

「俺の肉は美味しくねえよ!?」


もはや十数メートルほど空いていた距離も獣の走力の前では無意味なものだ、吐息が感じられる程度の距離まで詰められていた。そしてそのまま、キマイラの前足が振り下ろされ、ユウセイの身体は無惨に八つ裂きになる寸前。


【精光弾】クゲル・リヒト


珠の声が聞こえた。そう脳が、耳が認識した瞬間、キマイラの身体が大きくひしゃげ、吹き飛ばされたということが背後の轟音から分かった。

先の声と起こった事象から、誰かが魔術か魔法を使ったのだろう、ということをユウセイは推測する。そしてその声の方を向いてみると、両の手を前に突き出した、滅茶苦茶に見覚えのある女子がいた。異世界で話した覚えのある女の子は二人しかいないので、そのうちの生徒の方だ。そもそも論、もう一人の受付の女性はこんなところに来るはずもないので。


「げ」

「またあなたですか……、偶然にしては出来すぎな気がしますね」

「フラグ立ててたか。ま、何はともあれ、マジでありがとう。助かった」


つぶやいたことに怪訝な表情を浮かべた彼女に、ユウセイは笑みを消して真剣な表情で感謝を述べる。たとえそれが因縁のある女子であろうともだ。

──ここでふざける訳にはいかない。なぜなら、ほとんど命の恩人に等しいからだ。ユウセイは感謝と仁義は絶対に返すという信念を親にみっちり叩き込まれてきたので、そう言った態度になるのも頷ける。彼女は碧い眼を伏せて、大きなため息をつきながら、答える。


「どういたしまして。随分と面倒くさいまじゅ……じゃなかった、〈ヴータリティット〉を相手していましたね」

「〈ヴータリティット〉?ってああ、あのキマイラか」

「ええ、あの魔獣は、物理攻撃を無効化……正確にはほとんどゼロにまで軽減するんです。魔術攻撃は有効ですけどね」


何故か胸を張って誇らしげな彼女の話を聞いて、得心がいった。だからあの石の弾丸は有効打にならなかったのか、と。

……勝手に一人で得心しているユウセイは、そこで吹き飛ばされたキマイラが再び立ち上がってくるのを見たのだった。

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