第38話 おじさん、受験指導する。
(11月某日)
もうすぐ綾乃の行政書士試験だ。
ここ数ヶ月、綾乃は本当に頑張ってくれた。
教え甲斐のある良い生徒なのは間違いない。
あとは、今まで問いた問題を何周かさせて、本番を迎えるだけだ。
なにせ勉強期間が短いからな。
たぶん、今回は難しいと思う。
今日は総仕上げで、綾乃の部屋で模試的なテストをすることにした。本番を模した問題を綾乃に渡して、俺は試験官役をする。
試験時間の間、俺は、ボケーっと考え事をしながら待つ。
綾乃に勉強を教えて、楽しかった。
俺は研究職や資格職はにつかなかったので、心のどこかでは『何のために自分は勉強したんだろう』と思っていたのだと思う。
だから、綾乃に教えることで、その知識が少しでも人の役に立つことが、嬉しかったのだ。大袈裟かもしれないが、『もしかしたら、このために大学院までいったのかな』とすら思った。
もし、生まれ変われたら、もっともっと勉強して良い大学に行きたいと思う。大学院では東大出身者が多く、刺激を受けることが多かった。この人たちと学部のうちに出会いたかったと本気で思った。
最高峰の大学を目指す理由は、就職やブランドのためではなく、追いかけ、そして切磋琢磨できるライバルに出会うためなのだろう。今さらになって、ようやく痛感したのだった。
ピピ……。
時間か。
綾乃に手を止めてもらって採点する。
思ったよりデキがいい。これならいけるかもしれない。
「綾乃、よく頑張ったな」
頭をナデナデすると、綾乃は「えへへ」と子供のような顔をした。
ふと思ったことを問いかけてみる。
「綾乃。勉強すきか?」
「……うん」
「大学院に興味はないの?」
「あるけれど、お金が……。うち、お父さんと関係よくなくてさ。出してもらえないと思う。おじいちゃには負担かけられないし」
「そっか。なら目指せよ」
「え、だから……」
「綾乃の成績なら、奨学金も可能だろうし。無理なら、俺が学費だしてやるよ。家賃が厳しかったら、ウチに住んだらいい」
まぁ、つむぎとりんごの学費を出しても、車の買い替えを我慢すればなんとかなるだろ。
「え、そんなことまで甘えられない」
学費って、世の中で最も有効かつ有益な投資だと思う。無気力な俺ですら、大学院で刺激を受けたんだ。勉強したい綾乃なら、得るものは多いだろう。本当に人生が変わるかもしれない。
綾乃は、再び「悪い」と言ったので、俺はそれを遮った。綾乃は頷くと、抱きついてきて嬉しそうな顔をした。
これは、俺が自分の後悔を押し付けるための自己投影なのだろうか。だから、綾乃には、よく考えてもらって、必要なら力を貸すようにしようと思う。
用事も済んだし帰るか。
「じゃあ、そろそろ俺は……」
すると、綾乃に手首を掴まれた。
「生理おわったから、この前の続きしよっ?」
「いや、試験終わるまではやめとこうよ。痛くて長い時間座れなくなっちなったりしたら、困るし」
「そんなことあるんだ? じゃあ仕方ないか」
よし。さすが生娘。
チョロいぞ。
「じゃあさ。郁人くんが他の人を見ないように、お口でしてあげよっか……?」
「……」
その翌週、綾乃の試験の日になった。
俺はソワソワしながら、車で綾乃を待つ。
ちゃんと出来たかな?
忘れ物はしなかったかな?
心配でたまらない。
すると、綾乃がやってきた。
俺は、車から降りると、綾乃を抱きしめて頭をナデナデした。
「よく頑張ったね。お疲れ様」
「うん。頑張ったよ」
「綾乃、このあと時間ある?」
「うん」
「つむぎとりんごがお疲れ様会したいって。うちにこれないかな?」
綾乃を連れて家にいく。
途中、スーパーでちょっとした惣菜やお酒を買った。
会計をして、2人で袋詰めをしていると、なんだか綾乃と結婚しているような気がした。プリンおじさんなのに、図々しい妄想だ。
「そろそろ帰る」
俺は指輪に話しかける。
すると、スマホに、つむぎから「了解」という返事が来た。この指輪、なにげに便利だな。
綾乃は、不思議そうな顔をしていた。
家に帰ると、つむぎとりんごが出迎えてくれた。りんごがジャケットを片付けてくれて、肩をトントンとしてくれる。
綾乃は……、その様子を見て膨れている。
しまった。普段通りにしてしまった。
今日はダイニングではなく、リビングのソファーに皆で座る。
まずは、ワインとジュースで乾杯した。
「綾乃ちゃん。お疲れ様!!」
カチンと綾乃のグラスに当てると、ワインをグイッと飲み干した。綾乃は泊まれるらしいから、送りのことを考える必要がない。俺も楽しむことにした。
買ってきた惣菜と、りんごが作ってくれた料理をテーブルにならべる。皆でワイワイ食べると本当に美味しい。
気づけば、楽しくて飲みすぎてしまったらしい。俺は先に寝させてもらうことにした。
眠すぎてフラフラする。
俺は着替えもせずに、ベッドに飛び込んだ。
…………。
これは夢か。
重みを感じ、顔を起こす。
すると、綾乃とりんごが、俺の下半身にペロペロと愛撫している。2人ともトロンとした目をして、頬を真っ赤にしている。
俺はビックリしてしまって「ちょっと」という。だが、言葉とは裏腹に、強烈な興奮と快感で、俺は絶頂を迎えた。
……。
…………。
なんて夢を見てるんだ。俺は。
俺は左腕を両目の上に乗せたまま、そう思った。
パンツの中が冷たくて気持ち悪い。
夢精してしまったらしい。
『高校以来だな』
俺は自嘲すると、身体を起こそうとした。
だが、右腕が重い。
目を開けると、つむぎが寝ていた。
「甘えん坊め」
つむぎの下から腕を抜こうとすると、下半身も重いことに気づいた。両足にそれぞれ、綾乃とりんごが抱きついている。
昨日、あの後に何が起きたのだろう。
どうすれば、こんな配置になるのか想像もつかない。
だが、俺はパンツを洗濯せねばならない。
いくらなんでも、りんごに、こんな精子まみれの下着を洗わせることはできない。
俺が足を抜くのに苦労していると、綾乃が目を開けた。
「郁人くん。おはよ」
俺の様子に気づくと、綾乃は鼻を擦り、俺の股間のあたりをクンクンとした。
「……郁人くんのエッチ。って、もしかして、りんごちゃんを想像したの?」
こっちは、そんなことより脱衣所に行きたいんだが。だが、綾乃は頬を膨らませて俺の足にしがみつき、離してくれない。
そのうち、りんごも起きてしまった。
りんごは俺と目が合うとニコッとした。
「おはようございます。……あれっ。これは何の匂いだろう」
綾乃がりんごに耳打ちする。
すると、りんごの顔が真っ赤になった。
「あわわっ。あ、洗わないと!!」
いや、こんなん女子高生に頼めませんから……。俺はようやくベッドから抜け出して、脱衣所に移動した。
パンツよりも、まずはシャワーか。
俺がシャワーを浴びてると、りんごに声をかけられた。
「お着替え、ここに置いておきますね」
助かる。
ほんと、気がきくし、良い子だ。
シャワーを終え、着替えをする。
すると、汚れ物のパンツがないことに気づいた。
りんごか?
パンツを回収しようとすると、りんごは半泣きになった。
「お洗濯はわたしの仕事です。仕事なくなったら、このおうちに居づらくなっちゃいます。わたしに出ていけってことですか……?」
ううっ。
泣かれると弱い。
「わ、わかった。でも、すぐに洗ってくれよな」
次の日の朝、自室にいると、つむぎからメッセージがきた。あいつめ。同じ家なんだから、横着せずに声かけろよ(笑)。
「パパさま。りんご姫が、パパさまのパンツをクンクンしておったぞ」
俺は階段を駆け上がり、りんごの部屋のドアを開けた。
すると、両手でパンツを持ったりんごがいた。
りんごは、パンツに顔をうずめ、うっとりしている。
床を見ると、りんごのパンツが転がっている。
りんごがこちらを見た。俺と目が合うと、りんごはしどろもどろになった。
「これは、その、違うんです!!」
俺はりんごからパンツを奪う。ついでに、床のパンツも拾うと、脱衣所に駆け込んだ。そして、内側から鍵をかけた。
これは、さすがに恥ずかしいぞ。
おじさんは、もっぱらセクハラをする方の立場で、されることには慣れていないのだ。実は、こっち方面は打たれ弱かったりする。
すると、りんごが脱衣所のドアをドンドンと叩いた。
「郁人さん! わたしが悪かったです。悪かったですから、わたしのパンツ返してください!!」
返すわけないだろ。
りんごにも、この恥ずかしい気持ちを味わってもらおうではないか。
まぁ、実際には、パンツには何もしないが。
俺は自分のパンツを洗うと、扉を少し開け、りんごのパンツを返した。なんだか、すごく睨まれたような気がするが、気にしない。
廊下から、りんごの声が聞こえてきた。
「何かしました? たとえば、か、嗅いだりとか……」
「別に。ただ、ちょっと塩っぱかったかな?」
すると、外から「わぁぁぁ」と聞こえた。
りんごは、からかうと楽しい。
それから数ヶ月後。
綾乃の合格発表の日がきた。
行政書士試験では合格基準点が設定されており、それを超えていれば合格するのだ。
綾乃の自己採点では、合格基準点に4点足りなかったらしい。綾乃は泣いてしまって大変だったが、なんとか落ち着かせて、合格発表を見る。
今年は高難易度だったため、基準点が下がるという噂もあり、もしかしたらという淡い期待はあった。
それに、ダメならダメで、やはり結果は確認すべきだろう。
綾乃の受験番号は、『00265』だ。
きっとダメだ。結果は分かっているのだが、もしかしたらと思うと、綾乃の番号に近づくにつれて、俺もドキドキした。
「00156、00158……」
どんどん下に視線を動かす。
「00256、00261、……00266」
何度も見返した。
だが、やはり、綾乃の番号はなかった。
一覧の下には注釈があり、このように書いてあった。
「本年度は合格人数が不足したため、総合的判断により、合格基準点の調整が実施されました」
噂通りに基準点が下がったが、それでも足りなかったということだろう。
綾乃は俯き黙ってしまった。ダメだと思っていても、やはりショックなのだろう。俺もショックだった。
「綾乃、ごめん。俺の力不足だ」
本心からそう思った。
綾乃は、こんなに頑張ったんだ。教え子を受からせられなかったのは、俺の慢心だ。勉強期間が短かったのを言い訳にして、心のどこかでは「ダメでも仕方ない」と思っていたのだ。
ほんと、ごめん。
おれのせいだ。
すると、綾乃は俺に抱きついて、大粒の涙を流して泣いた。
「ごめんなさい。郁人くん、貴重な時間を割いてくれたのに、期待に応えられなくて、ごめんなさい」
こんな時にも、この子は。
一番悲しいのは自分なのに、俺のことを気にかけている。
なんて声をかけていいの分からない。
だが、分からなくても、声をかけるのが、年長者のおじさんの役目だろう。たとえ、それが、どこかで見聞きした、借り物の言葉であったとしても。
「綾乃、諦めるな。目標は失敗してダメになるんじゃない。諦めた時にダメになるんだ」
綾乃はただ頷く。
俺は言葉を続けた。
「次は、絶対に受からせるから。また一緒に頑張って欲しい」
綾乃は真っ赤な目で、俺を見上げる。
「でも、こんなに頑張ったのに。また落ちたらと思うと怖い」
俺は震える声を押さえつけて、言った。
「それでいいんだ。負けて負けて負けて、最後に勝つ。最後に勝つために、いま負けたんだよ」
すると、しばらくの間があって、綾乃は頷いた。
「ひっく…うぇ……はい…。1人じゃ不安だから、また支えて欲しいです……」
頭の中に、綾乃の頑張ってる姿が、次から次へと浮かんでは消えていく。悔しいし申し訳ない。
だが、俺は泣いてはいけない。
やせ我慢でも、カッコつけて胸を貸すのが大人の役目なのだから。
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