第28話 綾乃と瑠璃。

 

 瑠衣……。


 瑠璃がそんなことをするとは、にわかには信じられなかった。


 綾乃を疑うとか、俺は無論、そんな事は思っていない。

 

 「そんなこと思ってるワケないし。自分のために頑張ってて偉いなって思ってるよ。そりゃあ、嫉妬が全く無いと言ったら嘘になるけれど。そのために力になりたくて、一緒に勉強してるわけだし」


 これは本心だ。


 綾乃は俺が思うより純粋なのだろう。

 ギュッと結んだ口元の力が抜け、少しだけ明るい顔になった。


 「よかった。郁人くんがそう思ってくれてるなら、それでいいや」


 いやいや、そうも行かないでしょ。

 綾乃の生活の中心は、あくまで学校なのだ。


 エスカレートすれば、目に見える露骨な嫌がらせに変わるかもしれない。



 どうにかしたい。


 後日、俺はパン屋にいき、瑠璃にメモを渡した。瑠璃にどういうつもりなのかを聞きたいと思ったのだ。


 メモには話したい旨を書いたのだが、来てくれるだろうか。


 会社が終わると、瑠璃が待っていてくれた。

 こうしていると、初めて会った時のことを思い出す。


 数ヶ月前の事なのに、ずいぶん昔のことのように感じる。懐かしいな。


 瑠璃は俺に気づくと、前髪を直すような素振りをして、駆け寄ってきた。俺から声をかけた。


 「ごめんね、急に」


 「いえいえ」


 「ご飯たべた? まだなら夕食に付き合ってくれない?」


 瑠璃を誘って、近くの居酒屋にいく。

 俺自身がビールを飲みたかったというのもあるが、食事をしながらの方が色々と聞き出せるかと思った。


 いつの間にやら瑠璃も20歳になっていたので、今度はビールで乾杯する。


 瑠璃は口の周りに泡をつけながら、言った。


 「前に遊びに行った時に、もし一緒にお酒が飲めてたら、隣にいたのは、わたしだったのかも知らないのに……」


 たしかに。あの時、瑠璃が酔っていれば、何か変わっていたのかも知れない。


 まぁ、でもそうなっていない。

 それが現実だ。


 瑠璃は続ける。


 「なんとなく、今日、呼ばれた理由はわかってるんだ。綾乃のことでしょ?」


 瑠璃によれば、瑠璃が綾乃といるときに、偶然、俺からのメッセージが入って、つい綾乃のスマホを見てしまったらしい。


 それで、俺と付き合っていることや、彼女代行をしているのこと知ったとのことだった。


 「郁人くんと付き合ってるのだって、全然知らなかったし、わたしが身を引いたのに綾乃と付き合ったら意味ないじゃん」


 瑠璃は続ける。


 「それに、郁人くんがいるのにレンカノとか、あり得ない。郁人くん可哀想だし、それでつい……」


 それでつい、他の友達に愚痴ってしまったらしい。そうしたら、いつの間にか噂が広まってしまったと。


 聞けば、瑠璃は両親とも仲がよく、裕福な家庭で育ったようだ。もちろん、学費も親が負担してくれているのだろう。そして、瑠璃には、きっとそれが当たり前なことで、そうじゃない人のことなんて考えたこともないんだと思う。


 俺は瑠璃に言った。


 「綾乃のバイトのことは知ってるし、お金が貯まるまで続けることな、俺も了承してるんだよ」


 瑠璃は納得できない様子だ。

 俺は、つとめて穏やかに続けた。


 「俺くらいの歳だとさ。女子を変に神聖視はしていないんだよ。バイトしなくて済むならそれに越したことはないけど、レンカノしてたって、ホステスしてたって、納得できる理由があるなら構わないと思ってる」


 「それは変だよ」


 俺は首を横に振った。

 瑠璃は恵まれているからそう思うんだ。


 俺だってそうだった。瑠璃と変わらなかった。

 何不自由なく大学院まで通わせてもらって、心のどこかで、それが当たり前だと思ってた。その有り難さに気づいたのは、自分で働くようになって、つむぎが生まれてからなのだ。


 「それしか選択肢がない人だっているんじゃないかな」


 瑠璃は、言い返してきた。

 声のトーンが上がっている。


 「だって。彼女が、そういうのしてたり、そういうの周りにバレたら、郁人くんだってイヤでしょ」


 「その選択を承認したなら、リスクも一緒に受け入れるべきだと思ってる。綾乃のレンカノがバレても、俺はそんにことで嫌いになることは絶対にない」


 俺は続けた。


 「少なくとも、たまたま何の不自由なく生まれただけなのに他者を見下したり、詐欺まがいのことをしてセレブ気取りでタワマンに住んでたり。そんな人たちよりは、遥かに良いと思う」


 瑠璃はギュッと歯を食いしばるように、口を閉じた。そして、おそるおそるこっちを見た。


 「もし、わたしが彼女で、同じことをしても?」


 「あぁ、相応の理由があるならだけどな。瑠璃をそんなことでは嫌いにならないし、皆んなが敵になっても、俺だけは味方でいるよ。図太いのは、おじさんの数少ない取り柄だしな」


 俺は苦笑した。

 すると、瑠璃も苦笑いした。


 「……そっか。やっぱり、あのとき、郁人、いっくんと、ホテルいっておけば良かったかな。前に好きな人に振られたって話したよね。なんかね。わたし、その人の思ったのと違ったらしくて、『幻滅した』って言われたの。いっくんなら、きっとそんなこと言わないよね」


 何に幻滅されたのかにもよるがな。

 とりあえず、俺は力強く頷いた。


 おじさんは、したたかなのだ。


 瑠璃は頷いた。


 「わかった。わたしが間違ってた。愚痴っちゃった相手には、わたしが何とかする。それと、そろそろ、瑠衣って呼んで欲しいです。わたしのことも少しは見て欲しい」


 「ありがとう」


 瑠衣は俯くと、口を尖らせた。


 「わたしとも、時々、遊んで欲しいです……」


 「えっ」


 「ファーストキス奪った責任とって」


 そういうと、瑠衣は少しだけ意地悪そうに笑った。


 おじさんは、棚ぼた的に交友関係をひろげたらしい。

 

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