第27話 綾乃のという女の子。
今日は献血に来ている。
1人でいくつもりだったのだが、綾乃も付いてきた。
昔は献血には関心がなくて、お菓子をくれる場所くらいの認識しかなかったのだが、母が輸血で助けられたのを機に、自分も献血をするようになった。
飛び込みだったので、待合室で順番をまつことにした。簡単な質問事項に答えて、雑誌を読みながら時間を過ごす。
俺はこの時間が好きだ。他人を観察するのも楽しいし、過去を反芻したり、何も考えない時間(マインドフルネス)を満喫している。
受付では、何人か献血を断られているようだ。血圧が基準値内にない場合等、その理由は様々だが、その中に、登山の格好をしている60代くらいの男性がいた。
受付の人が質問する。
「登山の格好をなさってるようですが、これからどちらかで登山なさるんですか?」
「これから富士山に登る予定なんです」
「……激しい運動の予定がある方は、誠に申し訳ありませんが、お断りさせていただいています。また別の機会でお願いできませんか?」
男性は、断られるとは夢にも思っていなかったようだ。露骨に不機嫌そうな声を出した。
「え? なんで。できないんですか? わざわざ来てやったのに」
『わざわざ富士山に登る前に献血しなくても……』と思いながらその様子を見守る。すると、その男性は怒り出した。
せっかくの社会貢献のハズが、アナタ、すっかりクレーマーですよ? その事実に本人は気づいているんだろうか。
年齢が上がると前頭葉の働きが弱くなって感情をコントロールできなくなるとは聞いたことがあるけれど、現に目の前で展開されてるわけで。本当なんだなと思う。
俺も気をつけねば。
ところで、オヤジギャグも下ネタも同年代の同性に言うことは、あまりない。どちらも、年下の女子に言ってこそ、テンションがあがる。
そう考えると、セクハラとオヤジギャグは、大雑把には同じようなものなのかもしれない。
親父ギャグとセクハラは、綾乃とりんごだけにしとこうと思った。
綾乃の方をみると、ココアを飲んで雑誌を読んでいる。若い子が珍しいのか、周りのおじさん達はチラチラみている。
綾乃が足を組み替えると、一斉に視線が集まった。……綾乃は全く気にする様子はない。
「ごめんな。せっかく会ってるのに、こんなところに付き合わせちゃって」
すると、綾乃はニッコリした。
「血液検査もしてもらえるっていうし。機会があればきてみたいって思ってたんだ」
あなたの年齢で検査とかいらないでしょう、と思う。俺くらいの歳になると、検査結果に赤字が多すぎて、情報過多で脳が混乱しそうになるが。
……俺に気を使わせないようにしてくれているのだろう。
さっきの登山家は、まだ受付で怒り続けている。なんか必死すぎて怖い。
献血には、デトックス効果の他に、循環器疾患や過剰鉄を防ぐなどの健康効果があるらしい。もしかしたら、そういうの目当てなのかもしれない。
だが、それらに医学的な根拠はない。あくまでボランティアとしてするものなのにね。
そんなことを考えていると、俺の番号が呼ばれた。俺のリフレッシュタイムは終わりみたいだ。
献血の後は、映画を観に行くことにした。映画は冤罪をテーマとしたもので、綾乃がゼミでオススメされたらしい。
映画が終わってカフェで感想会をする。なんだかデートしてるよ感じがして嬉しい。
映画は、誰でも知っているような有名な事件がテーマだった。当時は、一種の偏向報道が加熱していて、テレビを見ていた誰もが、犯人を逮捕された母親だと決めつけていた。俺もその中の1人だ。
綾乃が聞いてきた。
「郁人くん、この事件のこと覚えてる?」
「あぁ。連日、極悪人として報道されてたよ。でも、本当のところはどうなんだろうな。一種の八つ当たり……、スケープゴートだったのかも知れない」
「でも、裁判で有罪って判断されたんでしょ?」
「たしかにな。でもさ、弁護人や検察官のやり方ひとつで結果が変わるようなものが、真実だと思うか?」
裁判所がするのは、証拠に基づいた事実の認定で、結局のところ、真実なんて神にしか分からないのだろう。
そんな話をしていると、綾乃が少し暗い表情になった。
「わたしさ。彼女代行のバイトしてるじゃない? それが大学の人にバレちゃったみたいでさ。なんかウリをしてるとか噂されてるみたいなんだ」
言葉を失ってしまった。
そんな短絡的な見方しかできないって、綾乃の大学はアホの集団なのではないか?
ブランドもの欲しさで売春をしている子だっているだろうし、綾乃が働いているところでは、性的な接触は厳禁になっている。さっきのスケープゴートの話みたいだと思った。
……スケープゴート。
偏向を意図した人物がいるのだろうか。
綾乃は続ける。
「それがね。言い出したの瑠衣っぽいんだ。わたし、ショックで。でも、郁人くんと会ってるし、自業自得だよね」
綾乃は腕を組み、凄く心細そうな顔をした。
「……郁人くんも。わたしがそういうことしてると思ってたりする?」
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