第15話 九条 りんご。


 俺が部屋から出て暫くすると、ICUの中が騒がしくなった。


 ピピピという電子音が消魂けたたましく鳴り、沢山のスタッフがバタバタと中に入っていく。男性のカウントと、パンッ、パンッと弾けるような音が何回かして、少しすると、部屋は不気味なほど静かになった。


 しばらくして、静かにドアが空いた。


 医師だろうか。

 俯き加減の男性に部屋に招き入れられる。

 

 「九条さんが亡くなりました」


 中に入ると、包帯でぐるぐる巻きの九条が静かに横たわっていた。看護師が挿管を外し、医師が九条の瞼をひらき、死亡時刻を読み上げる。


 さっきまでバツが悪そうに苦笑いしていた九条はどこかに行ってしまって、いま目の前にあるのは、九条にそっくりな、ただの人形のように感じた。


 りんごちゃんは、ハァハァと過呼吸のようになってしまい、その場に崩れ落ちるように、へたり込んだ。


 たしかに、息苦しい。

 空気が薄い気がする。


 でも、ここで落ち込むのは、いま俺のやるべきことじゃない。俺は、りんごちゃんの代わりに、医師に今後の手続きについて聞く。


 葬儀の手配。お金関係の手続き。諸々の届出や解約等。やらないといけないことは盛りだくさんで、それらは周りにいる大人の役割だ。


 俺は高橋と手分けして、それらをこなすことにした。


 りんごちゃんには一旦、家に帰ってもらう。


 りんごちゃんには、他に頼れる親族がいない。

 お母さんもいなくて、父親への依存度は、かなり高いはずだ。


 1人で家にいて大丈夫だろうか。

 りんごを見ると、ブツブツと何かを囁き、目の焦点が合っていないようだった。


 自殺とか……、ないとは言い切れない。


 すると、綾乃から電話がきた。

 事情を説明すると、すぐに来てくれた。


 りんごちゃんに付き添って、明日まで一緒にいてくれるらしい。


 そして、綾乃が葬儀について、何をすべきかを的確に教えてくれた。「女子大生がなんでそんなに法事に詳しいんだ?」と聞いてみると、一言。


 「わたしの実家、お寺なんだよ。言ってなかったっけ?」


 父親は無宗派だろうから、母方の宗派が分かったら教えてと言われた。


 なにこの人。

 頼もしすぎるんですが。

 


 俺の方は……。


 さすがに、勝手に女子高生を家におけない。

 妻に許可を取らないといけない。あぁ。気が重い。


 しかも、断られることは許されない。

 怒りをかうのを覚悟で、媚びつつも一方的に事の経緯を通知した。


 返事を見るのが憂鬱だ。

 ブロックしちゃおうかな。


 しばらくして返事がきた。


 「勝手にすれば」だって。 


 それなりに頑張って、普通に夫婦してきたつもりだったけれど、そうでもなかったみたいだ。ちょっとムカッとして、文句を言いたくなったが、やめとこう……。

 

 「ふぅ」


 火葬や葬儀も終わり、控室で緑茶を飲む。

 葬儀費用の支払いをしながら、遺影を眺める。


 ふと思った。


 『人間ってあっけないんだな』


 一生懸命に生きても、簡単に死んでしまって、何事もなかったように時間は流れていく。


 前に心理学の本で、集合的無意識という言葉をみたことがあった。きっと、どこかに無意識の海みたいなのがあって、人は亡くなったら、そこに還るんだろうか。


 そんなことを考えていると、綾乃が手を握ってこんな話をしてくれた。


 「魂はくう


 「確実にあるけれど、どこにあるかは分からないものなの。身体はただの感情を持った依代であって、死は本質的な終わりではないんだ」


 「過去……前世、現世、来世に絶え間なく流れ、九条さんとりんごちゃんの因果は、また来世に続いていく」


 「だから、故人に良い報告ができるように、りんごちゃんを幸せにしないとね。……って、おじいちゃんの受け売りだけどね」


 そういって、綾乃はペロッと舌を出した。


 そうだな。

 俺もいつの日か、九条にまた会うのかも知れない。


 その時に、自信を持って報告できるように、りんごちゃんを守ろう。


 俺が浸っていると、綾乃に耳打ちされた。


 「りんごちゃん、スタイルいいし可愛い子だね。間違っても、手は出さないように!! 郁人くん。女の子大好きだから心配。出したら、呪われるからね!! いや、むしろわたしが呪う!! これもおじいちゃんの話」


 おじいちゃんて……、んなわけあるかい(笑)

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る