第6話 おじさん、運命に翻弄される。


 「…ま…せ」


 店員さんも驚いた顔をしている。

 

 るり。るりだよね?


 1400万人以上が住むこの東京で。

 こんな偶然ってあるのだろうか。


 でも、瑠璃を見間違えるわけがない。


 俺は、お目当てのプリンと、パンをいくつかトレーに並べて、レジにならぶ。


 店内には、女性客数名と、るりと同じくらいの女の子が2人働いていた。友達だろうか。



 レジの順番がきて、声をかけようとしたのだが、るりは下を向いて、俺と目を合わせようとしなかった。


 そりゃあ、そうか。


 一回遊んだだけの変なオジサンが、いきなりプライベートに踏み込んできたんだ。ストーカーみたいだもんな。


 つけ回してると思われたかもしれない。


 それに、一緒に働いてるのは、瑠璃の友達かも知れない。俺は、胸が潰されるような気持ちになったが、平静を装い、名乗ることはやめた。


 ……そうだよな。


 きっと、俺みたいに年上のオジサンと知り合いだと思われたくないよな。


 俺は店を出る。


 はぁ。

 胸の中が、すごくざわつく。


 うわ言で名前を呼ぶくらいなのだ。

 そりゃあ、そうだよな。


 こんな気持ちになるなら、再会なんてしたくなかったよ。


 今後、あのパン屋に行くのはやめよう。プリンは美味しかったから残念だけれど、仕方ない。



 それから、2週間くらいした頃。後輩の女子にランチに誘われた。美味しいパン屋があるらしい。なんだか、嫌な予感しかしない。


 店に行くと、やはり瑠璃の店だった。


 レジには瑠璃がいた。

 やはり、目を合わせてくれない。

 話し方も他人行儀だ。


 やっぱ、こなければよかった。


 だけれど、オフィスで袋をあけると、買ってないパンが1つ入っていた。


 サービス?

 それとも間違いかな。


 

 なんだか気になってしまって、それから1週間くらいして、1人で行ってみた。これが勘違いだったら、とんでもない迷惑行為だ。


 『イヤがられたら、2度とくるのはやめよう』


 その日も混んでいて、瑠璃くらいの女の子が数名働いている。おれは瑠璃のレジに並んだ。


 やはり、るりは他人行儀で視線を合わせてくれない。だけれど、買っていないパンを入れようとした。


 あれはワザとだったんだ。

 俺は、瑠璃を制止した。


 「そういうの、大丈夫だから。やめて」


 「……ごめんなさい」


 瑠璃は、視線を合わせないまま謝った。


 店に無断で入れてるにしても、あとからお金を払ってくれてるにしても、こんなことさせられない。でも、そんな俺の気持ちを伝える時間もない。


 きっと、勘違いさせたんだろうな。


 俺がレジから離れようとすると、瑠璃がこっちをみた。その顔はぎこちなかったが、笑顔だった。


 「また……、その……、また来てください」


 よくある定型の挨拶だよね?

 俺は作り笑いをすると、返事をせずに出口に向かった。


 ドアに手をかけた時、他の店員さんの声が聞こえてきた。


 「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしています」


 あれっ。

 瑠璃の挨拶と少し違う。



 それからは、週一でパン屋に通うようになった。いくのは、決まって瑠璃がいる水曜日の昼。


 パンをいくつか買って、お互いに笑顔で、一言、二言の挨拶をするだけの関係。


 でも、俺の中では、週一の楽しみになっていた。


 迷惑にもなってなさそうだし。


 これでいい。

 これだけの関係でいい。


 瑠璃の顔を見るたびに、彼女への気持ちが大きくなっていることを心のどこかで感じながらも、おれは自分にそう言い聞かせていた。

 


 それから2ヶ月くらいしたある日、山口とランチすることになった。この前の埋め合わせで奢ってくれるらしい。会社から数分の中華料理屋でランチした。


 千円程度で、コースのチャーハンやライスが食べ放題らしい。


 『へぇ。コスパいい店だな』


 こんな店があるとは知らなかった。自分が学生だったら、きっと、通っていただろうな。


 席に着くと、山口にこの前のことを謝られた。


 「この前はごめんな。あれからどうなったの? 北山さんと何かあった?」


 「いや、別に」


 まさか、泥酔してラブホテルに行ったとは、口が割けても言えない。世間的には「ラブホにいく=セックスした」、これはほぼ絶対の公式だろう。


 山口はニヤッとすると、続けた。


 「あれから、北山さんがお前を誘ってくれってしつこくてさ。お前さ。知ってた? 北山さん、会社にいた頃から、お前に気があったらしいぞ?」


 え。そなの?

 そんなの、知るわけないし。

 その時に言ってくれよ。


 今さらだけど、実は両想いだったのか。


 山口は続ける。


 「あの日だって。もう1人誘うなら、お前がいいって、北山さんに言われてさ」


 あれは、そんな集まりだったのか。

 それで山口は中止にしなかったんだな。


 「そんなの知らなかったし。気まずい時間を過ごさせてもらったよ」


 「そなんだ。あのあと、北山さんに、お前のことを聞いたら、しどろもどろになってさ。てっきり、酔った勢いとかで、最後までしちゃったのかと思ってたよ」


 こいつ。無駄に鋭いな。

 ほぼ正解なんだが。


 なんだかバツが悪くなって、おれはトイレに行こうと席を立った。すると、2つ隣のテーブルに友人と座っていた女の子と目が合った。


 瑠璃だった。


 俺はビックリして息が止まった。

 よりによって、なんでこんな話の時に?



 瑠璃は、ガッカリしたような、悲しいような。

 俯き加減で表情に乏しい顔をしていた。


 「ごめん、帰るね」


 るりはそう言うと、テーブルに千円札を置いた。そして、駆けるように店を出ていってしまった。

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