第3話 おじさんと人妻。

 

 あれから、瑠璃のことばかり考えてしまう、


 だから、連絡先は捨てた。

 今後、会うことはないのだし。未練がましく持っていたって仕方ない。


 彼女にしても、こんなオジサンに気にかけられても迷惑なだけだろう。



 そんなある日、同僚の山口に飲みに誘われた。

 彼とは同期で、切磋琢磨した仲だ。


 いつもは2人で飲むことが多いのだが、数年前に辞めた部下も呼ぶという。


 部下の名前は、北山 歌恋。


 彼女は、山口の直属の部下だったので、俺とはそんなに絡むことがなかった。口数は少ないが真面目な印象で、綺麗な顔立ちをしていた。隠れ美人というやつだろう。


 彼女は、数年前に結婚して退社した。旦那さんについては殆ど知らないが、大人しい彼女の魅力が分かる人がいてよかった、と他人事ながらに思った記憶がある。


 一方、山口も既婚者で、すごくオープンな性格をしている。愛妻家で友人も多い。そんな彼だから、男女問わずに元同僚とも連絡を取り合っているようだ。


 だから、山口が3人で飲みに行こうというのは、自然なことのように思えた。


  

 待ち合わせの当日になった。


 待ち合わせ場所は、北山さんとウチらの職場の中間くらいの駅だ。俺は、定時に上がれたので、待ち合わせ場所に先に行くことにした。


 電車に揺られながら、北山さんの記憶を引き出す。北山さんとは、社員旅行で一度だけ一緒のグループになったことがあった。お酒が好きらしく、缶チューハイを飲みながらニコニコとする姿に意外に思った記憶がある。


 正直、北山さんとは何を話していいか分からないが、山口がいるから大丈夫だろう。


 山口は、今は違う事業部なので、他県で仕事をしていることが多い。そのため、社内で会うことは少ない。話がうまいやつなので、彼と会うのは楽しみだった。


 待ち合わせ場所の駅についた。ロータリーで待つこと10分。山口が来ない。


 すると、スマホにメッセージが届いていることに気づいた。


 「ごめん。急に契約になって、待ち合わせ時間に行けそうにない。悪い!! 店は決めてあるから、先に北山さんと入ってて。場所は◯◯の……」


 おいおい。

 北山さんと2人で何を話せと言うんだ。

 それなら、一層のこと中止にして欲しいんだが。


 仕方ない。

 営業トークのサシスセソで乗り切るか。


 俺が途方にくれていると、一つ隣の柱の陰で、俺と同じようにスマホの画面をみている女性がいることに気づいた。


 その女性は、画面から視線を上げると、キョロキョロしだした。身長は155くらいの普通体型。明るめのロングヘアが、ゆるく外ハネしている。


 俺はその外ハネに見覚えがあった。

 

 「……北山さん……かな?」


 俺は、おそるおそる声をかけた。


 もし違ったら、かなり恥ずかしい。

 いい年して、ナンパをしてる気分だ。


 すると、その女性は、一瞬の間を置いて俺と視線を合わせると、笑顔になった。


 「……山﨑課長ですか?」


 前から整った顔立ちだとは思っていたが。


 奥二重ですっきりした目元。二十代後半ということもあり、大人びてみえる。それに、形の良い眉。バランスのよい鼻と口。メイクで血色があがった頬は、大人しい彼女を、ほどよく快活にみせた。

 

 数年ぶりに会う彼女は、すっかり美しい大人の女性になっていた。

 

 「ごめんね。山口のやつ、仕事が終わらなくて後から来るらしい。とりあえず、お店で待とうか」


 彼女は黙って頷く。

 快活にみえても、基本は昔のままらしい。


 おれはちょっとギクシャクしながらも、彼女をエスコートして、お店まで案内した。


 とりあえずは席について、お酒を頼む。


 俺はビール。

 彼女はグラスのスパークリングワインを頼んだ。


 お酒がくるまで、軽くここ数年の話をする。彼女は結婚したあとも、違う会社で事務の仕事をしているらしい。


 「北山さん、たしか簿記もってたよね」


 「いやいや、そういうの関係ない雑務ばっかりで……」


 北山さんは、笑顔で答えてくれた。口数が少なく、いつも一生懸命で。あまり笑顔のイメージはなかったが、笑顔も可愛い。


 程なくしてドリンクが来たので、乾杯をする。さして再会を祝う理由もない2人の祝杯だ。儀礼的この上ない。


 ……。

 どうしよう。話題がない。


 営業トークのサシスセソで孤軍奮闘していると、「さすが」と言った時に北山さんが笑った。


 「山﨑さん、それ営業トークのサシスセソ。山﨑さんがわたしに教えてくれたやつじゃないですかー。シは『知りませんでした』、セは『センスありますね』でしたっけ?」


 俺が頭をかくと、北山さんは頬をぷーっと膨らませて続けた。

 

 「それって会話に困ってるってことですか? 寂しいな。もうっ。今からサシスセソは禁止です!」


 長い人生を費やして磨き上げたサシスセソがなくなったら、無口なただのおじさんですよ?  

 

 気まずくて死んじゃいそうなんですが。

 おじさんのこれまでの人生を否定しないで……。


 俺が途方にくれていると、スマホが鳴った。山口からのメールだ。


 「ごめん、クライアントのくそじじい。時間に来なくてさ。今日いけそうにないわ。マジごめん!! こんど、埋め合わせするからさ」


 くそジジイという言葉に、何故か少しだけ傷ついた。おれも同じおじさんだからだろうか。


 ……北山さんにも同じメールが来ているのだろう。俺たちは、お互いの顔を見合わせて、愛想笑いした。


 



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