*唯月視点 廊下にて*

§



 帝国議事堂。それは、歴史と改革を両立させようとしている国の中枢。


 会議室からぞろぞろと出てくるスーツ姿の人々に混じって唯月の姿もあった。他の男性よりも頭ひとつ抜けて背が高いので、立っているだけで目立つ。


 唯月は、廊下に立っていた壮年の男性に気づいて、視線を送る。

 男性は帽子を取って頭を下げた。

 男性へ近づいたのは、唯月の方だ。


「やちよに何かあったのか」

「すみません。甘味処に入ったところまでは確認できたのですが……」


 唯月は、やちよに護衛兼監視役をつけていた。

 先日やちよから言われたことが引っかかっていたのだ。


【実家から手紙が届きました】


 そして、実際にその手紙も見せてもらった。


【役目は果たされた。最初の契約通り、離縁されて里見家へ戻って来い】 


 明らかに女の筆跡だった。

 手紙を出したのは里見家の総意ではなく、やちよの義妹とその母親だろうとやちよは言っていた。その推測は恐らく当たっている。

 調べさせたところ、やちよの父はすっかり桜花院家との婚姻を諦め、目立たぬよう過ごしているらしいのだ。


「里見家に攫われたに違いない。これから向かう。車を用意してくれるかい」

「は、はいっ」


 ばたばたと去っていく監視役と入れ替わるように、廊下の奥から歩いてきたのは――村田敏と名乗る新聞記者だった。

 唯月が無言で村田を睨むと、村田はへらへらしながら、まるで降参するように両手を挙げた。


「そう睨むな。今日はちゃんと臨時入館証も貰ったんだ。ほら」

「何の用だ? まさかお前が」

「怖い怖い。勝手に人さらいだと決めつけるのはやめてくれ。冤罪で訴えてやろうか?」

「では何故人さらいという単語が出る? 私はそんな話は一切口にしていない」


「見ていたからだよ。甘味処での一部始終を」


 その告白を受けても、唯月は表情を変えなかった。


「おっと、ここから先は」


 いやらしく笑うと、村田はわざとらしく下目遣いで、右手を唯月へ差し出した。

 唯月は逡巡したものの溜め息をついて財布から紙幣を取り出し、村田へ握らせる。


「へへへ、どうも。思わぬ小遣いが入っちまった」

「時間がない。さっさと説明してもらおうか」

「たまたまなんだよ。奥さんを見かけたから、また強請ろうと思って近づいたのに甘味処へ入っちまった。たまにはいいかと思っておれも後に続いたら、奥の個室みたいな場所でばあさんとみつ豆なんか食ってやんの」

「結論を話せ」

「まぁまぁ、落ち着きなって。そんで眺めてたら、屈強そうな男が出てきたと思ったら裏口から運んで行っちまったんだ。気を失った奥さんのことを。おれもびっくりして慌てて店を出て裏口へ回ったら、ぼろっちい馬車で奥さんは南の通りへ運ばれて行った。男たちは全員馬車に乗った訳ではなくて、残された奴らがぼやいてたよ」


 そこでまた村田が左手を差し出す。唯月は乱暴に紙幣を叩いて乗せた。


「いてっ。まぁ、いい。奴らは言ってた。『里見家のお嬢さんはべっぴんだけど横暴だ』『どうやら地下室に閉じ込めて餓死させるらしいぞ』『俺が聞いたのとはちょっと違うな』って。最後の発言をした男はこう言ったんだ。『遊郭に売り飛ばすって話だぜ』って。……お、おい、旦那ァ!?」


 最後の言葉を聞き終わるや否や、唯月は早足で歩き出していた。

 ぎり、と唇を噛む。


(何のために日中はすみれさんに預けて、街中では監視をつけていたと……!)

 

 とんっ、と誰かの肩にぶつかって、唯月はようやく立ち止まる。


「っ、すまない」

「唯月? どうした、顔面蒼白だぞ」


 ぶつかった相手は、西園寺正だった。


「……正……」

「奥方に何かあったのか」

「……実家に攫われた」

「本当か?」


 正はいつも以上に、眉間にしわを寄せた。


「今から里見家へ行ってくる。午後は元々自習時間に充てていたから、誰かに何か訊かれたら図書館だと言っておいてくれ」

「待て。俺もついて行く」


 今にも飛び出しそうな唯月の肩を、正は力強くつかんだ。


「お前の顔。里見家で何人か殺しそうだ。いざというときは俺がお前をぶん殴って止めてやる」

「……けんかで僕に勝ったことがないのに?」

「それは子どもの頃の話だろう。いい大人になったんだ。取っ組み合いで劣勢になったら、棒きれでも石ころでも、なんでも拾って使う」


 ふっ、と唯月の口元に笑みが浮かんだ。


「ありがとう。ちょっと冷静になってきた」

「あんまり冷や冷やさせるな。行くぞ」

「うん。よろしく頼むよ、正」



§



「送ってくれてありがとう」


 里見家から少し離れたところに車を止めて、唯月と正は目的地へと足早に急ぐ。

 晴れていた空は徐々に分厚い雲に覆われはじめていた。


「……ひと雨来そうだな」


 正が、ぽつりと呟いた。


「急ごう」

「おい、唯月!?」


 正の制止は遅く、唯月は、手入れのされていない里見家の生け垣をひょいと飛び越えた。そして中から鍵を開けて正を招き入れる。


「……くそっ。せめて、殺人罪だけは阻止するぞ。阻止するからな」


 正はひとりごちて唯月に続いた。

 伝統的な和風邸宅だ。しかし、手入れは行き届いていないようで、埃が溜まっていたり蜘蛛の巣が大きく張られていたりする場所もある。


 唯月は迷うことなく、屋敷の主の部屋目がけて歩き――勢いよく襖を開けた。


「なっ!?」


 誰よりも驚いたのは、里見家当主であり、やちよの父だ。


「こ、これは桜花院殿……」

「やちよはどこだ?」


 睥睨、という形容しかできない唯月の態度。

 どこまでも冷えた唯月の声と、雷の甲高い音が混じり合う。

 ――雨が、降りはじめる。


「……知らない。やちよは来ていない」


 追いついた正が唯月の背後から声をかける。


「おい、それくらいで勘弁してやれ。本当に知らなさそうだぞ」

「それでは質問を変えよう」


 大粒の雨が地面を激しく叩く。


「子どもの頃のやちよを、貴様たちはどこに閉じ込めていた?」

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