第十五話
§
ヘルマンさんが部屋から出て行った後。
わたしは、ぼんやりと天井を見上げていました。
体はまだ重たく、じんわりと熱っぽくもありました。
旦那さまにかけられた言葉が脳裏に蘇ります。
【慈善事業とでも思っておくれ】
【死ぬ前に、困っている人間に手を差し伸べてみたくなった。ただそれだけのことさ】
もしかしたら、旦那さまは。
宝石病だった女性と、わたしを重ね合わせていたのかもしれません。
せめてわたしだけは、と思ったのかもしれません。
旦那さまが何を考えていたかは、旦那さまにしか分かりません。
それでも。
【僕は死ぬけれど、最後に君が誠意をつくそうとしてくれたことが、いい思い出になる】
「……っ」
涙が溢れます。両手で顔を覆っても、仰向けのこの状態ではとめどなく流れてきます。
――誰よりも優しい旦那さま。
どうして旦那さまが犠牲にならなければならないのか。
その絶望は、はかり知れません。
「うっ……」
上体を起こして、わたしは体を丸めます。
ぽとりと濡れタオルが布団に落ちました。涙は一向に止まりません。嗚咽が、漏れます。
呪いの連鎖。
それを断ち切るには人間の死しかないなんて……。
本当に、もう、万策尽きてしまったのでしょうか。
「それでも……」
言葉が、涙と同じように零れます。
ヘルマンさんから、旦那さまの宝石病の真相を聞いた今。
わたしは。
まだ諦めたくないという気持ちを、徐々に取り戻しつつありました。
「奥さま! 目が覚めたと聞いて来ましたよ! 食欲はおありですか!」
すぱーん!
勢いよく襖を開けたのは幸子さんでした。
「お、奥さま!? ヘルマンさまから酷いことでも言われましたか?!」
わたしが号泣していることにうろたえて、それから、幸子さんは袖をまくりました。
「ヘルマンさままで奥さまに害をなすようであれば、この幸子、黙ってはいられません」
「いえ……ヘルマンさんは、いつも優しいですよ……」
わたしは、無理やり笑顔を作ってみせました。
幸子さんが落ち着きを取り戻します。目の端には、涙が溜まっていました。
「奥さまも、お優しいですよ」
わたしたちは視線を合わせて、お互い、困ったように笑います。
「お粥を作ってもよろしいでしょうか?」
「はい。……お願いします」
わたしは頭を下げます。
同時に、がたんっ、と何かが倒れる音が外から聞こえました。
「!?」
「音からして竹ぼうきでしょうかね。見てきます」
幸子さんが障子を引きました。
予想通り、竹ぼうきが地面に倒れています。
「おかしいですね。こんなところに置いた覚えはないんですが」
幸子さんは竹ぼうきを持ち上げました。
「まるでここまで自力で動いてきたみたいですねぇ」
「……付喪神に、なって?」
「だとしたら、あたしたちをびっくりさせるなんて、かなりの悪戯好きですよ」
以前ヘルマンさんたちと焼き芋をしたとき。
交わした会話を、思い出します。
【ヤオ、ヨロ、ズノカミ?】
【ええ。この国では、どんな物にも神様が宿るんです】
【ツクモガミなら聞いたことがある。百年使った道具に精霊が宿る】
「……もしかして」
呪いを解く方法が見つからない。
呪いをかける方法なら、いくらでもあるというのに。
「奥さま?」
まるで、点と点が繋がるように。
わたしのなかに、思いもよらない答えが、浮かんできました。
呪いをわたしに移すのではなく。
呪いを解くのでもなく。
第三の、選択肢が――
§
わたしは書物庫に降りました。
「こほっ……」
いつもは気にならない埃っぽさ。体調のせいで、今日は咳が出てきます。
ずずっ、と鼻水を啜ります。
頭はまだぼんやりとしていますが、やるべきことを見つけた今、ふしぎと力がみなぎっていました。
背表紙を人差し指でなぞっていきます。
『付喪神の伝承』
『我が国の神の系譜』
『暮らしのなかの付喪神』
何度も通り過ぎた言葉たち。
わたしははやる気持ちを抑えながら、一冊を抜き出します。
「……これだわ」
そのまま本を胸に抱えて書物庫を飛び出します。
ひらりと白衣が揺れるのが見えました。ちょうどヘルマンさんが往診を終えたところに鉢合わせます。
「ヘルマンさん! ヘルマンさん……」
呼び止めようとして、わたしは咳き込みます。
「どうしたんだい。やちよサン。病み上がりに、無理をしない方がいい」
「旦那さまの書斎へ、皆さんを集めてもらえませんか? 話したいことがあるんです」
§
翌日。
旦那さまの、書斎には。
旦那さまだけではなく、幸子さん、ヘルマンさん。それから西園寺さまが集まっていました。
開かれた窓。
そよそと揺れるカーテンの向こうでは、葉桜が静かにわたしたちを見守ってくれているようでした。
ベッドに横たわる旦那さまの容態はさらに悪化して、体のほとんどがダイヤモンドと化していました。
仮面はつけていません。
瞳の輝きは、ダイヤモンドと同じくらい強く感じました。
わたしは背筋を伸ばして、両手を前に添え、深く深く頭を下げます。
「お集まりいただき、ありがとうございます」
わたしは
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