*挿話 ヘルマンによる告白*
§
五年前――
ワタシは毎日、特に何をする訳でなく過ごしていた。
金には困っていなかったからね。
美味いものを食べ、酒を飲み、女性と語らい合っていた。
この先もずっと、そんな風にだらだらと過ごしていくのだろうと思っていたいた。
あるとき、川辺で、珍しい黒髪の男性ふたりを見かけた。
彼らが何をしていたと思う?
口論だよ。しかも、我が国の言葉で。
「……先生の論文は、これだから現実味がなくて嫌なんだ!」
「現実味がないところからいかにして道を作っていくかこそ、政治だろう?」
きっかけは些細で単純。
なんだか面白そうだったから割り込んだ。ただそれだけのことだ。
「君たち、何をそんなに熱くなっているんだい?」
――それが、ユヅキとタダシとの出会いだった。
ワタシは十九歳。
ユヅキは一歳下で、タダシはワタシと同い年だった。
「えっ!? ワタシと歳が近い? 君たちは見た目が幼すぎる」
「これだから帝国人は! 今は俺たちが学ぶ側だが、いつか後悔させてやる」
「口が悪すぎるよ、正。国際問題になる」
ワタシたちはいろんな場所で議論を交わすようになった。
川辺。食堂。広場。
どんな些細な話題でさえ、とても楽しかった。
タダシはいつでも怒っていた。今とまったく変わらない。
おそろしい、敵に回したくないと思ったのはユヅキの方だ。具体的に何かがあった訳ではないが、いつも、やんわりと言い負かされてしまうのだ。
そんなユヅキから、言われたことがある。
「すごいな、ヘルマンは医学部なのか」
「一応、さ。まともに通っていないので、放校処分を喰らいそうだよ」
「そんなの、今からでも通えばいいだろう?」
魔術師の家系というしがらみに嫌気がさして進んだ医学部だった。
ユヅキの一言で、ワタシは大学へまともに通うようになった。頑張りすぎたおかげで飛び級で卒業できた。
人間、がんばればなんとかなるものだ。
その間、ユヅキたちとも交流は続いていた。切磋琢磨、という言葉はユヅキから教えてもらった。
話を戻して。
事件が起きたのは、二年前のことだ。
我が帝国には、戦争の影が差していた。
ユヅキとタダシも帰国を決めた。ワタシは、別れを惜しんでいたが、いたしかたないとも思っていた。
ワタシたちは広場から、ユヅキたちの寄宿舎へと向かって歩いていた。
石畳の道はくすんでいる。
「ここも随分と、治安が悪くなってきたね」
ぽつりとユヅキが呟いた。
「物盗りや浮浪者は増えてきたと思う。神からの祈りが人間へ届きにくくなっているんだよ」
「また、神か。一神教の国は大変だな」
タダシがわざとらしく溜め息をつくので、ワタシはタダシの前に立つ。
「なんだ? 我が帝国を侮辱か? やるのか?」
「ふたりともやめなって」
ユヅキが苦笑いでワタシたちを制する。
そのときだった。
「やめなさい!」
悲鳴のような叫びが、曇天に轟いたのは。
ナイフを持ったみすぼらしい女性を、何人かの人間が取り囲んでいた。
その足元では、幼い子どもがきょろきょろと辺りを見回している。ガリガリに痩せて、目だけが異様に目立っていた。
すえた臭いが鼻をつく。
タダシが眉をひそめて尋ねてきた。
「何だ、あれは」
「あぁ。Edelsteinkrankheitだね」
「宝石……病?」
「その言葉通り、人間が宝石へと変わる呪い。信心深くない人間は、神によって宝石に変えられてしまうんだ」
「おいおい。そんな非現実的なことがあっていいのか? 流石、大陸はスケールが違うな」
再び、タダシは鼻につく笑い方をした。
「だって誰も救ってくれなかったじゃないの!」
女性は半狂乱になっていた。よく見ると、顔はほとんどダイヤモンドに変化していた。宝石病の末期というのは、誰から見ても明らかだった。
「だ、だ……旦那が死んで。子どもとふたり、どう暮らしていったらいいのか分からなかったのよ。生きて行くための方法が盗み以外分からなかったの。だって、誰も教えてくれなかったんだもの」
どうやら、女性は窃盗で捕まりかけて、自殺を図ろうとしているようだった。
ひとりの老人が輪から一歩進み出る。
「ナイフを下ろしなさい。福祉が、貴女と貴女の子どもを救ってくれる」
「無理よ。宝石病にかかったら死から逃れられないんだもの。おしまいよ。もうおしまいよ! みんな私と一緒に死ねばいい!」
女性の発言は支離滅裂だった。
かなりパニックになっているのが分かった。
「……ヘルマン。彼女はほんとうに助からないのか?」
静かな声でユヅキが言った。
「未だかつて宝石病から逃れられた人間はいない。教会でも、医学部でもそう学んだ」
「子どもはどうなる?」
「孤児院行きだろう。そもそも宝石と化した人間は、教会に寄付という形で納められるんだ。つまり、教会の運営資金さ。その代わり、子どもは成人まで保護される」
ユヅキも、タダシでさえも微妙な表情になった。
ユヅキは質問を続けた。
「何か、彼女を救う方法はないのか?」
「そうだね、あるとすれば。罹患者の体液を他人が摂取した場合、呪いは摂取した側に移行する」
「そうか……それでも、止めなければいけないよな……」
「唯月? お前、何をするつもりだ?」
タダシが叫ぶより、ユヅキの方が早かった。
ユヅキは、老人よりもさらに女性に近づく。
突然現れた黒髪の異国人に、女性は戸惑いを見せた。
「な、何……?」
「あなたは生きなければならない」
誰よりも流暢に、まるでお手本のように唯月は発音した。
「
そして女性へ近づくと、すばやくナイフをその手から落とした。
からんっ
実に鮮やかな手さばきだった。
そのままユヅキは女性を地面へ組み伏せた。一瞬のことだ。ユヅキは、武道も優れていたんだよ。
「事情は存じ上げませんが、お子さまのためにも、やけになってはいけません」
穏やかにユヅキが女性を諭した。
端的だが、彼の声にはふしぎな力があった。群衆のなかには涙ぐむ者もいたくらいだ。
しかし。
肝心の女性には届かなかった、のだ。
「……ッ、この、偽善者!!」
がぶっ、と。
女性はユヅキの腕に思い切りかみついた。
倒れるユヅキ。
輪から悲鳴が上がる。
タダシが地面を蹴る。そのまま勢いをつけて、女性をぶん殴った。女性もまた地面に吹っ飛ばされた。
遠くから走ってきた警官が女性を取り押さえる。ついでのようにタダシも羽交い締めにされた。
子どもが甲高い声で泣き喚く。
ユヅキだけが、静かだった。
「……はー、はー……」
タダシは息を荒くしたまま、ユヅキを見下ろした。
ユヅキは。
ゆっくりと顔を上げて、悲しそうに微笑んだ。
「現時点では政治の敗北だ。ここから、僕たちは勝つ方法を探さなければならない」
ノブレス・オブリージュ。
これは隣国の言葉だが、社会的地位のあるものは、規範となるよう振る舞うべきだと言う考え方だ。
ユヅキはそれを体現しようとして――命を、未来を、犠牲にしたんだ。
これが、ユヅキが宝石病になった経緯だよ。
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