2-8.エルの流星

「おいおいおい、嘘だろう!」



 吹雪で視界の悪くなった坂道を門へと向かって走ると、数メートル先も見渡せぬ白い世界の向こうに、街を守る巨大な門がかすかに見えてきた。

 だがその扉の片面には、人間ほどもある巨大なつららが突き刺さり、街の中まで貫通してしまっているらしい。


 幸い扉は閉じたまま蝶番も壊れてはいないようだが、あんなものを何度もぶつけられれば、常時よりも強化をされたあの扉であってもひとたまりもないだろう。



「くそ、恐らく特異種だ!アリスも気をつけろ、あいつらは普通の魔物とは別物と思え!」



 特異種の魔物。

 パイオンの街の資料で名前だけは知っていたが、実物に遭遇するのはこれが初めてだ。



 彼らの特徴は、特異前の魔物をはるかに凌ぐ基礎能力と、マナによる魔法を操るという点である。


 野生に暮らす彼らの魔法は、人間が用いるような物よりもはるかに自然に発動し、その威力も桁違いだ。

 彼らにとって魔法とは、人間のように意図して起こすものではなく、行動の結果として自然と起きるものだからである。



 故に、特異種は魔人ほどではないものの、発生が確認されれば直ちに中央ギルドに報告が送られ、専用の討伐チームが派遣されるほどの脅威である。



 門の脇に設けられた通用口の扉を勢いよく抜け、衛兵たちの詰め所へと入る。

 そこには既に、怪我をした衛兵が数名、魔法薬を使って手当てをしていた。

 すると、壁にへたり込んでいた衛兵の一人が、走り抜けるアッシュたちに声を上げる。



「大きな、ウルフの特異種です!氷の魔法を使います!お気を付けください!!」



 軽く手を上げて感謝を送り、そのまま向かいの扉を抜けて街の外へと出る。



 門前から数十メートル先、次々と足元から成長をする氷の草原の上へは、ちょっとした民家ほどもある巨大なウルフが佇んでいた。



 青白い美しい毛並みが全身を覆い、その凶悪な爪を持つ手足を更に覆うように、巨大な氷の爪が生えている。

 息を吐くたびに口元からはダイヤモンドダストが散り、そのたびに周辺の気温が低下しているかのようだ。


 周囲にはひどい吹雪が吹き付けているが、その存在の周りはまるで風もなく凪いでおり、否応にも異様な存在感を発している。

 その荘厳としたたたずまいは、まるで何らかの神の使いであるかのように神々しい。



「アッシュさん、下がっていてください。」


「馬鹿言え、このために特訓してきたんだ。それとも、俺たちじゃアレにはかないそうにないか?」


「…いえ、でも、怪我をするかもしれません。」


「なら上等だ。折角だ、俺たちにやらせてくれ。」



 後から追いついてきたエルも、弓に矢をつがえるとアッシュの言葉に頷く。



 どうするべきか悩んでいると、後ろから、ポンと肩に手を置かれた。

 肩越しにふりかえると、マリオンがこちらにをじっと見つめながら、うなづいているのが見えた。



「…わかりました。でも、死なないでくださいね。死ななければ、私が何とかしますので。」


「はは、死んでも嬢ちゃんなら何とかしてくれそうだけどな。」


「馬鹿なことを言わないでください。」



 一度死んだ人間は、決して蘇らない。

 たとえマナの万能性があっても、失われたものは戻らない。

 それは、きっと神でなければ実現できない、真の奇跡だ。



「なんですかあれ!特異種じゃないですか!」


「遅いぞモンド!それじゃぁ、卒業試験と行くぞぉ!!」


「えっ、あれ私たちがやるんですか!?」


「ほら、なんかやってくるみたいだよ!壁だして壁!」



 こちらを一瞥したウルフが大きく唸りはじめると、その大きくゆがんだ口の前にはいくつものツララが、バキバキと音を立てて生成されていく。

 数秒ほどしてその太さが人間の子供ほどにもなると、特異種がいっそ勇猛さを感じる、大きな咆哮を上げる。


 咆哮を合図にまるで矢のようにアッシュたちへと迫る氷の刃は、だがしかし、モンドが勢いよく杖の尻を地面へと叩きつけると、大きな破砕音と共にアッシュたちに届くことなくすべてが不可視の壁によって叩き落された。



「モンド、飛ばせ!」



 アッシュはそう指示を飛ばすと、前傾姿勢で腰を落とし、トゥーハンドソードを肩に背負うようにして構える。

 そして、モンドは返答もせずに、流れるような動きで杖の頭でアッシュの足元の地面を叩く。



 すると、叩かれた足元からは胴体ほどの太さもある円柱状の柱が斜めに飛び出し、弾丸のような勢いで特異種へと向けてアッシュが射出された。



 破壊されたツララの破片で隠れていたためだろう、ウルフの反応が一瞬遅れる。



「遅せぇぞ!!」



 特異種が、巨大な刃からその首を守ろうと、前足を覆う氷を盾にするようにして身をねじる。

 だが、アッシュの狙いは初めから、首ではない。



「貰ったぁぁ!!!」



 アッシュが雄叫びと共に気合いを入れると、その肉体が一瞬、鍛え上げた鋼のように硬く固く引き締められる。



 そうして打ち出された勢いのままにウルフを通り抜けると、その軌跡には、腕を覆う氷ごとに断ち切られたウルフの前足が空中を舞っていた。



「ゴォォォォォォォ!!!!」



 まるで王者然としていた特異種が、怒りと痛みで、歪んだ巨大な咆哮を上げる。

 すると、特異種の周りに突如森が生まれたかのように、巨大な氷の針葉樹が次々と突き出していく。



 そしてその致命的な氷の杭はアッシュに迫り…その身を貫く前に、巨大な石壁へと防がれていた。



 そして石壁は1枚だけではなく、まるで特異種を、それが生み出した氷の森を塗りつぶすかのように、その周囲を囲むように次々と生えてくる。

 そうしていつの間にか、特異種の周りは移動する場所もないほどに、分厚い岩の壁によって包囲をされていた。



「こっちだ、のろま!」



 その岩壁からアッシュが飛び出すと、擦れ違いざまに後ろ足をなでるように切り付け、再び岩壁の影へと隠れていく。

 だが、先ほどまでに力がこもっていないその傷は、あまり深くはないようだ。



 そんなことを何度も繰り返され、流石に苛立った特異種は、今切り付けられた脚をそのまま、アッシュが隠れた岩壁へと叩きつける。


 その脚が岩壁へと衝突した瞬間、砕ける岩壁からはねじくれたガラス質の槍が何本も勢いよく飛び出していた。

 そのうちの何本かは足を覆う氷の隙間を縫うようにして、その肉へと突き刺さっている。



 再び、特異種が怒りの雄たけびを上げる。



『なかなか、えぐい戦い方をしていますね。』


『流石というかなんというか、相変わらずすごい連携力だな。』



 アリスは、周りをうろついているウルフたちへと釘を投げつけつつ、アッシュたちの戦いを静観していた。

 マリオンも時折、こちらへ流れ弾として飛んでくる氷や石礫の破片を、ケガ人が出ないように叩き落している。



 確かに、アリスはアッシュたちにマナの扱い方の手ほどきをした。

 だが、アリスが直接に教えたのは、身を守るための手段と、マナによる可能性だけである。

 つまり…あれらの戦術や魔法の使い方というのは、すべてアッシュたちが自らに編み出したものなのだ。



『アッシュはやはり、肉体強化に特化するようだな。』



 アッシュの姿をとらえた特異種がその巨大な氷の爪をアッシュへと振り下ろす。

 だが、その爪はアッシュを踏み潰すのはおろか、逆にその筋力にて勢いよく跳ね上げられてしまう。

 一瞬驚きに身を固めた隙を逃さず、手の筋を切るように刃を滑らすとまたアッシュは石壁の影へと隠れていく。



 アッシュは、一挙動をするのが精いっぱいなものの、肉体を強化したままに動くことが出来るようになっていた。

 その効果は、断ち切られた特異種の左手を見れば一目瞭然だろう。



 そして、特異種は怒りのままに、アッシュが隠れた壁の隙間へと猛烈な勢いで頭から突っ込んでいく。

 どうやら、壁から飛び出た捻じれた槍は、致命傷には至らないと判断をしたらしい。

 だが、壁から飛び出るのは槍だけではない。



 ウルフが頭で破壊した壁はバラりとほどけると、先ほどと同様にガラス質の、幾十もの鎖へと変貌をする。

 そうして飛び出た鎖は首へと巻き付くと、次々と周囲の壁もほどけて鎖になり、何重にもその首へと巻き付いていく。


 そうしてすべての鎖が巻き付き終わると、その頭を地面に縫い付けるように、一斉に地面へと引き込まれていった。



 モンドは、強力な防御壁のほかに、その土の魔法の精度と柔軟性をはるかに引き上げていた。



 モンドの魔法は基本的に、その起こす現象を理論立ててイメージを固めるものである。

 そのため、アッシュのように本能そのままに自在に魔法を発動するようなやり方は向いていない。



 だからモンドにはアリス直々に、大地を利用した魔法の可能性と、その理論を叩き込んだ。

 その結果が、あれらの悪辣なトラップの数々である。

 別に、ああいった使い方を教えたわけではない、本当である。



 地面へと頭を縫い付けられたウルフが、防御を固めるためにその頭部を分厚い氷で覆っていく。

 同時に、氷で包まれた鎖がギシギシときしむ音がする。

 だが、もう詰みだ。



『チェックメイト。』



 ウルフの頭部の直線状、何もいなかったはずの空間がふわりと揺れると、姿が見えなくなっていたエルが横に構えた弓に矢をつがえたまま、詠唱を進めていた。



「…風を集めて、大気を集めて、矢じりに集中…」



 その弓につがえた矢には矢じりがなく、代わりに先端に小指の先ほどのマナ結晶が括りつけられている。



「…風よりも早く、矢よりも早く、雷光よりも早く…」



 詠唱が進むにつれて、矢じりにジリジリと圧力が増していき、矢じりのマナ結晶が、輝きを増していく。



「光のように、全てを貫く、流星の矢!」



 エルが矢を離した、次の瞬間。

 エルと特異種の頭部を結ぶように、眩い光の直線が描かれた。



 直後、辺りに強烈な衝撃波が駆け抜ける。

 光が駆け抜けた後の特異種の眉間から上の頭部は既になく。

 数舜をおいて、ズシリとその全身から力が抜けた。



 エルの流星が通り抜けたその跡は、木も、吹雪も、雲すらも。

 その道を塞ぐすべてが、貫かれていた。



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【特異種の魔物】


特異種の魔物は、いわゆるネームドモンスター的な奴です。

一応生態的なものもありますが、そちらはもうちょっと後で説明が入ります。

とりあえずは、魔法が使えてスペックが高いやばい奴と思ってください。

とはいえ、世界の上位陣に踏み込んだアッシュたちであれば、十分互角に戦える相手です。

魔法を効率よく使えるということは、それだけでこの世界では大きなアドバンテージになります。



【エルの流星】


アリスがかつて見せた空気砲を、エルなりの解釈で再構築した魔法です。

「大気を集めて撃ち出す」というアリスの言葉とエルの感じたイメージを混ぜ合わせた魔法で、実際の発動の仕組みや起きる現象は完全に別物です。

そのため実のところ、エル自身にもちゃんとした理屈は分かっていなかったりします。


直線状の大抵のものを貫く超高速の矢ですが、光速には届かず、マナで固定されているものには干渉を受けます。

そのため特異種の氷にも多少影響を受けましたが、出力差によりほとんど意味を成さずに貫通しています。


また影響範囲は矢そのものではなく周りを包む光も含むため、出力次第で影響範囲が大きくなります。

ゴーレムに襲われ初使用した際には大粒の結晶を括りつけたために威力が過剰で、地上まで続く大きなトンネルを開けてしまいました。


欠点として、長射程で貫通をしてしまうために射角を上に取らざるを得ず、実質接近しないと撃つができません。

また現状では10秒程度の詠唱を集中して行う必要があるために固定位置で構えるしかなく、今回はアッシュとモンドがエルが不可視の防壁で隠れている場所へと誘導して位置を固定しました。


矢じりのマナ結晶は、エル自身の魔法の技術力不足を補えそう、という理由で括りつけています。

そのため実のところ、発動に関してはただのプラシーボ効果だったりします。

ですが、結晶は手元を離れてからも魔法を保ち続けるのに役立っており、射程距離や威力に関してはかつてアリスが見せたそれよりもはるかに高くなっています。


一応発動だけであれば指輪のマナ結晶だけでも十分ですが、数メートル飛んだ程度で魔法が切れてしまうため、空気との摩擦で矢が燃え尽きてしまいます。

ですが現状では長射程であることが欠点になってしまっているため、最終的には指輪のマナ結晶のみで短距離で連射するのが最適解になると思います。


なお、理論上は矢も弓すらも必要ありませんが、エルの感性的に両者がそろわなければ安定した発動は出来ません。


後世では「エルの流星」とよばれる魔法ですが、本人は「流星の矢」と呼称していました。

イメージが割としやすいため、同様の魔法の使い手はちょいちょい歴史に登場しています。

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