2-04.悪辣な罠

 その日の夜は、まずは旅の疲れを癒して欲しいということで、当面の宿へと案内されることとなった。



 ギルド長の部屋へは私たちが退出すると同時に、入れ替わるように街の人間が部屋へと入っていった。

 彼も連日の襲撃にだいぶ疲れているはずだが、責任者であるということで、この後も街の人間との会議があるらしい。


 会議が終わり次第少し休むとはいっていたが、それまで倒れないといいのだが。

 かつての研究室産のカンフル剤が残っていれば差し入れでもしてやりたいところだが、残念ながらアレはすでに失われてしまっている。

 そのうち生産設備でも建てようかと一瞬思いついたが、この体では不要な代物なため、優先度は極めて低いだろう。



 アッシュたちも同様に休みを取るものの、もともと防衛の依頼も受けていたということもあり、今日は門の脇に設けられた衛兵たちの宿舎で休むこととなるらしい。



 先ほどちらりと挨拶に行った際、モンドが張り切ってバリケード前にトラップを作っていたため、おそらく特に心配する必要はないだろう。

 特訓により能力の上がった今のモンドの作った防御陣は、恐らくそこらの魔物ではどうすることもできないはずだ。



 彼の作るトラップは悪辣なものが多く、普段はとても物腰の柔らかな人間なのだが、意外と怒らせると怖いタイプなのかもしれない。

 今日も、敷設したトラップの説明を受けているアッシュとエルが割と本気でひいていた。



 ゴルドさんは街の商人と会合があるらしく、そちらの打ち合わせへと出かけて行った。

 なんでも、当面の間の物資の輸送計画を立てるらしい。

 おそらく彼も、今夜は寝れないのだろう。



 そして…宿に到着したアリス達は、この街についてからというものの、内心ずっと気になっていたものへと、遂に対面することができていた。



『やはりあったか……温泉……!!』


『そういえば、この辺りは湯治で有名な観光地でしたね。』



 アリス達は今、あてがわれた宿の部屋に荷物を置いた後、隣接した建物へとやってきている。

 その建物の入り口には、トラディショナルな温泉を示すマークの布が掲げられていた。

 この温泉が、アリウスがヴィルドーへと来たかった、目的の一つである。



 パイオンの街では、まともな風呂場というものはほとんどなく、日頃はお湯で体を拭くくらいしかすることができなかった。

 かろうじて1つだけある大衆浴場は常に満員で、あんな場所でゆっくりすることなど、少なくともアリウスには出来そうにはない。


 そのため、ティアラさんに探してもらっている新居の条件にも、風呂場は存在最優先事項としてお願いをしてある。



『どうせこの体は汚れないのですし、風呂など無駄なのでは?』


『馬鹿を言え!風呂は心のオアシスだ!』


『ふふ、そうですね。アリウス様はよく、そうおっしゃっていましたね。』



 めずらしく、マリオンにからかわれる。

 だが、それほどまでにアリウスの風呂への情熱はすさまじかった。


 アリウスはかつて、宿舎にも帰らずに研究所に泊まり込むことが多かったのだが、それでも可能な限り、風呂は欠かすことがなかった。


 なにせかつての我が研究室には、施設部と経理部にゴネにゴネたことで増築をさせた、小さなユニットバスも完備するくらいであったのだ。


 何度か寝落ちでおぼれかけ、そのたびにマリオンに助けられていたのも懐かしい思い出である。



『ところでアリウス様。』


『どうした?さすがに私も、牛乳くらいは我慢するぞ。』



 今アリウスたちのいるこの場所は、この宿に併設された浴場の前の、休憩所である。


 給水場はあるものの、残念ながら、かつてのような扇風機や、牛乳の売店といったものはないらしい。

 温泉にこだわりのあるアリウスとしては誠に残念ではあるが、風呂にはいれるだけでも贅沢というものだろう。



『いえ、既に気づいているのでしょう?』


『…………まぁ、そうだな。』


『入れますか?女湯ですが。』



 分かっている。

 さすがにこの体で、男湯に入るわけにはいかないのだ。



 ----



 幾度か逡巡はしたものの、意を決して女湯ののれんをくぐり脱衣所へと入ると、既に数人の女性が服を脱ぎ、体や髪を乾かしているのが視界へと入った。



 慌てて目を反らすと、可能な限りそちらを見ないように注意をしながら、奥の脱衣かごの前へと小走りで向かう。

 部屋の女性たちが死角になるよう壁側の籠を選んだため、ここであればなんとか落ち着くことが出来そうだ。



 そこかしこからキャッキャとした声が聞こえるが、意識をしないよう、心を平穏に保つ。

 別に今のアリウスは少女の姿であるため咎められることもないのだが、内心では罪悪感に、この体にはないはずの心臓がばくばくとして爆発寸前であるかのようだ。



 そうして脱衣かごの前で息を吐き、精神を整えていると、隣の脱衣かごの前へとマリオンが立つ。

 すると、躊躇もせずにスルスルと、その衣服を脱ぎ始めた。



『ちょ、なんで隣で脱ぎはじめたんだ!』


『なんでもなにも、連れなのですから当然でしょう。それに、私の裸ぐらい何度も見ているでしょう?』



 まぁ、そうと言えばそうではあるのだが…それはあくまで、メンテナンスなどで体を調べる時の話である。

 起きたままの彼女に目の前で服を脱がれるのは、なんとなく心臓に悪い。

 マリオンはアリウスにとって娘のような存在ではあるが、それはそれ、これはこれなのだ。



『それに、一緒にいたほうが気がまぎれますよ。ほら、周りを見てみてください。』



 そういわれて、そっと周りに目を向ける。

 可能な限り、裸体へは視線を向けないように。


 そうすると、周りにいる女性たちが、皆こちらを見ていることに気が付いた。

 一度意識をすると、周りからのひそひそ声も、否応なしにクリアに頭の中へと入ってくる。



「ねぇ、あの子たち、すごくかわいくない?」


「見たことない子たちだけど、今日来た馬車に乗ってたのかな?」


「あの人、すごいプロポーション…うらやましいなぁ。」



 本人たちはこっそり話しているつもりなのだろうが、私たちにはしっかりと、詳細に聞こえてしまっている。


 こんな、周りに見られている中で、服を脱がなければならないのか…?



『堂々としていたほうが、恥ずかしくありませんよ。そこらの人間など、ウルフの群れか何かだと思えばよいのです。』


『…オオカミの群れの中で服を脱ぐのは、むしろ襲ってくれと言っているようなものではないか?』


『例えです。何か、適当にそこらにあるものにでも、置き換えてください。』



 そうすると、マリオンはなおもスルスルと、その服を脱ぎ進めてしまう。

 おかげで正面を向いているとちらちらと色々と視界に入り込むため、頭は常に30度ほど横に傾けざるを得ない。



 だがなるほど、身の回りにあってもおかしくないものに置き換えるのか。

 頭の中で強引に、この視線は警備用ゴーレムのものであると、解釈をする。


 正直魔物たちの群れの相手をするほうがよっぽどやりやすいが、待望の温泉を目の前にしている以上、逃げ出すわけにもいかないのだ。



 そうして意を決し、胸元に手をかけると、逡巡しつつもゆっくりと、服を脱いでいく。

 一枚脱ぐたびに手が震えそうになるが、そのたびにゴーレムの姿を頭に思い浮かべ、必死に意識をそらしていく。



 1枚。そういえばあの警備ゴーレムのカメラアイは、どこのメーカーの製品だったのだろうか。


 1枚。今の時代ではカメラアイもそう簡単には手に入らなそうであるし、次に会ったらカメラを引っこ抜いて持ち帰ろうか。


 1枚。だがカメラだけあっても演算機がないか。繋ぐためのモニタもないと、それだけでは扱いずらい。



 そんなことを頭で思い浮かべながら、一枚一枚と籠の中へ衣服を置いていく。

 そうして最後の一枚、下半身を守る薄い布のショーツを下ろしてサッと籠へと入れると、間髪入れずに全身をバスタオルで覆ってしまう。



 何とか最初の関門を抜けることは出来たが、湯にはまだ浸かっていないにもかかわらず、気を抜くと頭がゆだってしまいそうである。



『湯にはタオルをつけてはいけませんからね?』


『分かっている…中に入るまでだ。』



 そうして、こちらをちらちらとみている女性たちの視線から逃げるようにして、浴室への扉をへと向かう。



 ガラガラと音を立てて戸を開けると、その先には、巨大な岩をくりぬいて作られた、とても大きな湯舟が存在していた。



 そして………勢いよく、一度開けたはずの扉を閉じる。

 危なく力を入れすぎ、扉を壊すところであった。



「…?どうしました、アリス?」


「おねぇ様………こ、こ、混浴でした………」



 アリスに遅れて扉へと向かっていたマリオンが、顎に手を当て、ああなるほどと頷く。



 浴室を覆う湯気の向こう…そこには想定していなかったものが存在していた。

 その湯舟には、どう見ても、男性が存在していたのだ。

 どこにも記載はないが、どうやら分かれているのは脱衣所だけで、内部は混浴となっていたらしい。



 なんとかこちらを見られる前であったためにまだ頭は冷静であるが、間一髪の危機に頭には血が上るどころか、逆に血の気が引いてしまっていた。



 別に男の体を見ることには大して問題はない。

 だが見られるのは、絶対にダメだ。



「…あちらにかけ湯があるようなので、そこで済ませますか。」


「はい…」



 残念ながら待ち望んでいた温泉は、かけ湯としてしか味わわせてもらえないらしい。

 アリスはウルフの遠吠えよりも長く、深いため息をついた。



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悪辣なトラップの例:


・地面との区別が不可能な落とし穴(底にスパイク付き)

・土壁の迷路(触れるとスパイクがつきだす)

・範囲に踏み込むと落ちてくる天上(スパイク付き・屋内用)

・任意で発生させられる泥沼(泥の中に多数のスパイク)



アリスがスパイクを使った落とし穴を教えたら、次々と応用をしました。

なお、エルはそのスパイクに毒を塗ったらどうかと提案をしました。

アッシュは全力で止めました。



ちなみに最終的には、毒を塗布したスパイクを一帯の地面に生成し、体を強化したアッシュがスパイクを気にせずに突撃するという戦法を編み出しました。

宙に避けようとすると、エルがさらに上空からたたき落とします。



トラディショナル温泉マークは想像している通りのアレです。

舞台は別に日本ではないですし、このマークを考え出したのもどこぞの転生者ではないです。

ですがこの世界は基本的に、どこか日本文化を思わせる物品にあふれています。

つまりまぁ、世界の成り立ちのどこかで関わった存在自体は居るわけです。

その存在はある意味で創造神であり、ある意味で生贄でした。

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