第二章:アリスとしらゆきの姫

2-01.旅は道連れ世は情け

 目印となるようなものも見当たらぬ広々とした草原が、雲海のように辺り一帯に広がっている。

 すでに季節は秋に差し掛かり、青々としていた草花は色あせて、辺り一面は小麦畑のような黄金色となっている。


 その海原のように膨らんだ丘を縫うように、小さな馬車がギリギリすれ違えるほどの広さの道が、緩いカーブを描きながら、遥か遠くの山脈へと続いている。


 少し高みから周囲を望めば、その道は進むにつれて徐々に上り坂となっており、その行く先を塞ぐ巨大な山脈の、その麓を覆うような暗い森の中へと続いていることがわかるだろう。



 そのひと気もなくただ風の音だけが吹き渡る交易路を、1台の馬車がガタゴトと、亀が這うのような歩みで進んでいた。

 その馬車には御者席に座る1人の商人と、その周囲を囲うように歩く護衛の男女が3人、そして積み荷の隙間を埋めるように二人の姉妹が座り、ゆったりとした時が流れている。



「へぇ、お嬢ちゃんたちは姉妹で旅をしてるのか。最近はあまり物騒な奴らは見かけなくなったが、危なくはないのかい?」


「ええ、私たち、こう見えて結構強いんですよ。」


「ヴィルドーへも、ギルドの依頼のために向かっているところになります。」



 商人の名はゴルド。

 ここより西南のリーリアの街を拠点とし、周辺の街へと薬草や魔法薬を売り歩く、行商人である。



 先日、久方ぶりにパイオンの街へと行商に向かったのだが、ギルドへ商売の挨拶へ伺ったところ、そこで緊急の依頼を受けることとなった。

 なんでも、パイオンより東のヴィルドーの町にて薬草が不足をしており、急遽馬車で届けに向かってほしいというのだ。


 ギルドホールには既に数名の護衛役となる人員が集まっており、さて集めた薬草を荷運びの馬車へと詰め込もうというところに、丁度出くわしたらしい。


 そうして、あれよあれよのうちに護衛の人員をつけられ、荷ほどきもせずにそのままヴィルドーへと送り出されたのだ。



 そうしてヴィルドーへと向かい始めてはや三日目、道の先に偶然見つけたのが、今彼が話をしている二人の姉妹たちである。



 姉の名はマリオン、見慣れない黒いエプロンドレスをまとった、とても礼儀の良い、黒髪の美しい女性である。


 妹の名はアリス、これから冷え込むヴィルドーを見込んでか、少しばかりサイズの大きな革のジャケットを着こんだ、可愛らしい女の子である。



 最近はギルドの巡回が多くなったこともあり、かつてのようにならず者が旅人を襲うという事件は、だいぶ数を減らしている。

 だが、依然としてそのような事件は完全にはなくならず、このような行商の仕事をしていると、時にそのような旅人の悲惨な末路を目撃することも、少なくはない。


 それでなくとも、道を少し外れて野原へ踏み入れば、そこは魔物が生息する未開の土地である。

 ふとした拍子に、そういった魔物が旅人を襲うという話は、ならず者による事件よりもはるかに多い。


 少なくとも、女性二人が護衛もつけずに旅に出るというのは、よほどの特殊な事情でもない限りは、あまり褒められたものではないだろう。



 そのため初めは、あまりに無防備そうなその姿に、ならず者の罠ではないかと疑いをかけていた。

 だが少し後を追いかけつつ観察をすると、少なくとも身なりはしっかりしており、賊の類とはどうしても思えない。


 旅は道連れ世は情け、他の街へと向かう最後の分岐路ももう通り過ぎているため、どうせこの道の先には、ヴィルドーの街しかないのだ。

 逆にこちらが警戒されないよう注意を払いながら声をかけたところ、こうしてヴィルドーの街までを馬車で同行することになったのだった。



 その際、今回の護衛に同行していたギルドの人間と親し気な挨拶をしていたため、どうやらパイオンの街での知り合いだったらしい。邪険に扱わなくてよかったと、内心ほっとしている。



「それで、嬢ちゃんたちはこんな時期に、ヴィルドーに何の用なんだ?もうすぐ雪が降り始めるし、あまり長居をすると帰れなくなってしまうぞ。」


「ええ、それがどうも、ヴィルドーの街周辺で魔物が大量発生しているらしくて、その調査に派遣されたんです。それと、ちょっと観光もしたいなと。」



 …魔物が大量発生?


 聞き間違えだろうか。ヴィルドーへの輸送依頼を受けた際は、そんな話を聞いた覚えはない。

 聞いていたのは、ヴィルドーの街で薬草が不足しているから、大至急物資を積み込んで何度か街を往復してほしいという依頼である。


 …だがまてよ?そもそもなぜ薬草は不足した?

 それこそ、薬草が大量に必要になるような事件…それこそ、魔物による被害といったものが多発したからではないだろうか?



 ゴルドの頭に、冷や汗が走る。


 たしかに、依頼の詳細を訪ねなかったのは、ゴルドの不手際ではある。

 そういえば依頼を受けた際、ギルドには既に護衛となるような人員が既に揃っていた。

 私がちゃんと訪ねなかっただけで、そもそも彼らが受けていたのは、魔物による被害への救援といった依頼だったのではないだろうか?



 ……落ち着け、ゴルド。

 よくよく考えてみれば、このような娘子供達が、そんな魔物の群れ飛び込むような依頼を受けれるはずがないではないか。

 それに、観光?魔物の大量発生と観光など、同時に行うはずがないではないか。


 もしかして、からかわれたのだろうか?



「は、は……さすがにそれは、悪い冗談だな。一瞬ちょっと焦ってしまったぞ。」


「いえ、冗談ではなく…あ、ほら、あそこにホーンラビットがいますね。結構大きい群れのようです。」



 そんなまさか…と、姉妹の妹が指さす方向に視線を向ける。

 するとそこには、丘の頭から1匹の、ホーンラビットの頭が覗いていた。


 だが、ホーンラビットは群れると危険なものの、基本的には臆病な性格である。

 数匹程度であれば、護衛のいるような馬車を襲うようなことはないはずだ。




「全く…あまり冗談を言うものじゃない。ホーンラビットだって集まると危険なのだから、あまり女子供だけの旅は…」




 そう、冗談ばかりを言う妹を嗜めようと、少しばかり演技がかった物言いをしようとした。

 だが、彼が言葉を言い終えるよりも早く、丘の上には2匹3匹と、ホーンラビットの大きな角と耳とが生えた頭が、ぴょこぴょこと飛び出し始める。



 再び頭に冷や汗が流れると、まるで汗に呼応したかのように4匹5匹6匹と、どんどんとうさぎの頭が飛び出してくる。


 気づけば、馬車の周囲は数十匹もいる、ホーンラビットの群れによって囲まれていた。



「こ、こんな場所にホーンラビットの群れなんて聞いたことがないぞ…!お、おい、アレはどうにかできそうか!?」



 馬車の周りを囲むように歩いていた護衛たちへと声をかけるが、どういうことだろう。どうにも緊張感というものが感じられない。



「ん……?まぁ、問題ないだろうな。」


「今日はラビットかー、丸焼きがいいかな?」


「あなたたち、一応私たちが、本来の護衛なんですから…まぁ、気持ちはわかりますが…」


「おい、あんたたち!本当に大丈夫なんだろうな!?」



 いまいち緊張感のない護衛達の様子に、普段は温厚なゴルドも、思わず声を荒げてしまう。

 だが、そんなゴルドの心中とは関係なく、事態は予想外の方向へ進行をしていく。



「みなさんは、一応馬車の周りを固めててください。あれはこっちでまとめて片づけますので。」



 焦るゴルドを横目に、姉妹の妹のほうがサッと馬車の荷台から飛び降りると、そのまま馬車の前方へと無防備に歩いていってしまった。



 まずい、あいつらは臆病な魔物だ。

 つまり、群れで襲い掛かるときは、最も弱い獲物に狙いをつけて襲い掛かる!



「おい君!駄目だ、戻れ!!おい、馬車のことはいい、その子のことを守るんだ!!」


「大丈夫です。私、こう見えても強いですから。ほら、こうして。」



 そうして、馬車の前に立つ娘に目掛けて、一斉にラビットの群れが走りだす。

 すると、娘は右手を高く掲げ、魔法の詠唱を始めたらしい。



「巻いて…巻いて…」



 娘の右手の指にはまる、美しい意匠の指輪が、きらりと光る。

 馬車を中心に突然突風が巻き起こり、馬車の周囲をぐるりと包み込むように、砂煙が渦を巻き始めた。



「な、なんだ、これは!?あの子がやっているのか!?」



 焦るゴルドを横目に、少女は粛々と祈るように、その美しい声色を響かせながら、魔法の詠唱を続けていく。



「集めて…高く…」



 巻き起こった砂の嵐は、彼女へと向かっていたラビットの群れをまるで木の葉のように巻き込むと、まるで重力が反転したかのように、空高くへと吸い込んでいく。

 見る見るうちにラビットたちは高く舞い上がり、ついには豆粒のようにしか見えなくなってしまっていた。



「あとは………まぁ、落とせばいいですかね。」



 そう呟くと聖歌のように美しい詠唱を中断し、少女は何事もなかったかのように馬車へと引き返してきた。



 そして50mほど前方。

 馬車道のわきにある岩肌が見えている地面へと、空高く舞い上げられていたラビットの群れが、まるでぬいぐるみを詰め込んだ木箱をひっくり返したかのように次々と猛スピードで落ちてくる。


 どちゃどちゃと精神的な嫌悪感を抱く音が10秒ほど続くと、そこには目を覆いたくなるような、凄惨な光景が繰り広げられていた。



「…アリス、もう少し丁寧に処理しなさい。」


「うっ…ごめんなさい、お姉さま…」



 まるで、行儀の悪さを嗜めるように姉に叱られているが、論点はそこでいいのだろうか。



「おい、アリス…あれの処理、どうするつもりなんだ?」


「あー…えっと、モンドさん、埋めるのをお願いしてもいいですか?」


「ええ、まぁ…構いませんが…」


「私、今日は肉はやめとこっかなぁ。」



 あの護衛たちも随分と慣れた口ぶりなのだが、もしやこんなことが日常茶飯事だというのだろうか。



「………売れそうな部位があれば、買い取るぞ。」



 そうして私も、深く考えることを放棄した。


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二章開始です!

舞台はパイオンよりも東、山脈のふもとに作られた小さめの街、ヴィルドーです。

そこでは魔物の大量発生が報告されており、アリス達はその調査へと赴くことになりました。

二章は隔日更新で、30話程度を予定しております。


アリスの行う詠唱は大体演出で、モンドの特訓を行うついでにそれっぽいものを教えてもらいました。

それでも速度と効果自体はやはり格別なため、魔法の使い手としては最上級に見えるようです。


ちなみに、この世界にはとても長く複雑な詠唱の果てに、国を丸ごと滅ぼしかねないほどの威力を発揮する伝説級の魔法使いがいます。

彼の魔法は少なくとも威力やその効果に関してはアリスの使う魔法よりも遥かに格上で、魔法の本質にもより近いものとなっています。

ただ色々と問題の多い使い方なため、彼以外にうまく扱える人間はまだ存在していません。


そのうち出番が欲しいところなんですが…今のところ接点がないため、出てこないかもしれません。

ただ、彼の愛弟子が将来のリコの仲間になる予定ですので、閑話でちょろっと話題にはのぼるかもしれません。

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