1-2.君は完璧で究極のゴーレム
………?
しまった。
作業が一段落ついたことで気が緩んでしまったのだろう、いつの間にか、完全に意識が飛んでしまっていたらしい。
そういえば、最後にまともに寝たのは、いつ頃だっただろうか。……少なくとも、ベッドに入った記憶も、食事をした記憶も、記憶にある範囲ではない気がする。
なにせここしばらくは、所内の薬剤研究室から拝借をしてきた、飲めば3日は動き続けられるという、怪しい色のカンフル剤でごまかしていたからな…。
あれはとても素晴らしい効果を発揮するのだが、どうやら合法からはギリギリはみ出していたらしく、今では生産されていない代物である。
依存性は無いとのことだったため、なんとももったいない話である。まぁ依存はせずとも、常用はしていたのだが。
気を抜くとまた、重く落ちてしまいそうな瞼を強引にこじあけると、すっかりと暗くなってしまった研究室の天井が、閉じかけの目へと映る。
どうやら、いつの間にかベッドか何かに寝かされていたらしい。恐らくは、マリオンが運んでくれたのだろう。
鉛のように重く、二日酔いのように痛む、ただの重りと化した頭を振ろうとし…意外なことに、特に頭痛といった不調は感じていないという事に、ふと気がつく。
はて、このように寝落ちをしてしまった際の寝起きは大抵、何も気力が起きないほどに気怠い気分になるというのが常だったはずなのだが、珍しいこともあるものだ。
いまだに砂を詰め込んだ布袋のような眠気はしっかりと居座っているのだが、いままで経験が無いほどに、思考自体は急速にクリアになっていくように感じられる。
そして思考が急速に動き出すと共に、いまだ残り続けていた眠気も、徐々に薄れてきた。どういう理由かはよくわからないが、これはなかなかに気持ちがいい。
そんな事を考えながらベッドから頭を持ち上げ、頭を軽く回して周囲の様子を確認すると、どういうことだろうか。思いもしない、奇妙な光景が目に映りこんできた。
随分と部屋が暗い……というか、完全に動力が落ちているのだろうか?部屋の中に、明かりとなるようなものが一切見当たらない。それに、なんというか随分と、部屋が汚く…いや、古びている、ような?
「なん…」
無意識のうちに「なんだこれは」という言葉を発しようとして、思いがけぬ生じた強烈な違和感に、呼吸も、思考も、一瞬停止する。
何だ、今の声は。
自分の声では、ない。
大イビキをかいて寝た後のように、枯れきったガラガラ声、というわけではない。むしろ、透き通るような、鳥が歌うかのような、あどけない少女のような、美しいソプラノボイスだったではないか。
一瞬止まったはずの思考は、数瞬後にはまた高速回転へと、自身の意志とは関係なく、なかば強引に引き戻される。
自分はこの声を知っている。
なにせほんの数日前まで、まるで砂漠に落ちた針を探すかのように、入念に何度も何度も、繰り返し聞き続けていた声色なのだ。
鈴のように透き通るような声質に、少女を感じさせるほんの少し舌足らずな部分まで、従順なはずのあのメイドにまで病的だと苦言を呈されながらも、こだわり抜いた声帯なのだ。
正直なところを言うならば、人生でかつて無いほどにクリアな思考は、自分でも驚くぐらいに明晰に働く頭脳は、とうにその答えを導き出している。
これはただ、認めたくない現実に対しての、最後のはかない抵抗に過ぎない。
…そして現実は非情であるとも、この明晰な頭脳は結論を掲げていた。
とどのつまり、こういうことであろう。
「なんで、私がアリスになっているんだ…」
アリウスがその生涯をかけて完成を目指した
完璧で、究極の、メイドゴーレムは
今ここに、人知れずひっそりと、誕生したのだった。
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そうして幾分の間、その抱えたトラブルの大きさにも関わらず、全く微塵も傷まない頭を抱えてゴロゴロと悶えると、とりあえず気を取り直して、現状を整理することとした。
なにせ、既存のあらゆる演算器を遥かに超えるはずのこの頭脳であっても、突っ込みどころしか存在しない、訳の分からない状況なのであるから。それにしても、頭の切り替えも早いこと早いこと…その性能が、今はありがたい。
問題1:何故か自分の肉体が、アリスのものになっている。
問題2:何故か部屋が古びて、廃墟のような有様である。
まぁまずは、自分の状況について考察をしよう。
というか、実はほんのわずかながらにではあるが、心当たりはなくもないのだ。
本当にこの頭脳は優秀だな…自画自賛ではなく、物理スペック的な意味でだ。
まずこの身体の頭脳には、他の研究室で実験開発中である霊子演算機という、アリウスにとっても半ば未知の代物が組み込まれている。
霊子はマナに近しい存在でありながら、記憶という高密度の情報を保持することが可能な、最近発見のされたまだ未解明の物質である。
これを利用することで、従来のマナを利用した演算器を遥かに超える、異次元の計算速度を発揮する…という触れ込みであった記憶がある。
そしてその肝となっているであろう霊子だが、これは人の体を離れた、いわゆる霊魂と推測されるものを構成する物質として、発見されたものなのだ。
もしあの時、自分が死んだと仮定しよう。死んだ肉体から霊魂が抜け出したのであれば、当然それは自分の記憶を内包した霊子で出来ているはずだ。
そして丁度その近く、ほんの一瞬前まで作業を行っていた台の上には、アリスに組み込まれた霊子演算器が存在をしていた。たしかこの演算器は、取り込まんだ霊子を利用してそこに情報を読み書きをすることで演算を行う…とのことであった気がするから、この状況に関係している可能性は大いにあるだろう。
だが正直、霊子演算機に魂が取り込まれた上に自意識すらあるという、あまりにあり得ない状況に関しては…オカルトかな?としか言いようがない。
なにせ、この演算器については他の研究室からパク…ありがたく頂戴してきただけで、最低限の利用方法と、非常に高性能であるということくらいしか、アリウスの知識にはないのである。
この結果をあの研究室の奴らがもし知ったら…狂喜乱舞をするか…いや恐らくは、要検証であるとして、バラバラにされるのではないだろうか。
そんな、ありえなくもない危険な未来を想像し、宇宙空間から溶岩の海まで、多少の温度変化にはびくともしないはずの丈夫な体が、寒気を覚えてブルりと震えた。
とりあえず、この身体についての考証は一旦そこまでとして、第2の問題点について思考を切り替える。
なぜこの部屋は、こんなにも古びているのか?
まぁ先程の仮定が正しいとするならば、一度死んでこの体に入り込むまでにかなりの時間が経過をしたか、入り込んでから起きるまでに、それなりの時間がかかったということなのだろう。
とはいえ、そんなに長い時間が経過するほどに放置をされているというのも、本来であればありえない話である。たとえアリウスが、とびきりの変わり者として人付き合いが壊滅的であろうとも、1週間も顔を見せなければ、誰かしらが確認に来るはずであろう。
そうなると…この施設自体に何らかの異常事態が起きたのだろうか?場合によっては、自分の死因も過労死などではなく、そちらが原因である可能性がありそうだ。
そんな考察を、固い金属のベッドの上で腕を組み、うんうん唸りながら考える。
…まぁ正直、これ以上このベッド…アリスを組み立てていた作業台の上で悩んでいても、仕方がないだろう。まずは部屋の中を調べてみようと思い立ち、台の上で滑るように体を回すと、細くすらりと伸びた脚を、台の外へと下ろす。
さて降りるぞ、と着地先の足元を確認しようしたところで、台の下に転がっていたあるものに視界がいった。
「…なるほど、これくらいは経っているということか…」
そこにはくたびれた白衣で包まれた、かつての自分自身であったであろう、完全なる白骨死体が生前の形を残すようにして、転がっていた。その無惨に朽ち果ててしまったかつての肉体を目にし、無念や感傷が胸に押し寄せる……ことは特にない。
自意識としての自分は、今こうして、アリスの身体の中に存在をしている。そうであれば、自分が抜け出したあとの白骨など、ただの残り滓と考えても問題はあるまい。
今はそんなものよりも、現状を知るための、知識欲が勝っている。
そしてアリスは生まれて初めて、その生を受けた金属の寝台から、脚を下ろして立ち上がる。
その際に裸足で遺骨の一部を踏み砕いてしまったのだが、問題はないだろう。
なにせこの体は、人類よりも遥かに頑強に作られているのだ。
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【霊子演算機】
駆動にマナを用いる演算機とは異なり、高密度の情報を内包可能な霊子を用いて演算を行う試験的な機構。
霊子自体の性質が完全に解明はされていないため、理論的にではあるが、通常の演算機とはまさしく次元の違う演算速度が出せる次世代の技術として、期待をされている。
まだ一般化されていない代物なため、アリウスもその仕組みは詳しく知らない。
2024/10/23 文章調整
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