【作者からの背景説明】
2022年 2月にロシアがウクライナにせめこんでまもなく、日本のマスメディアやネット言論のなかで、一方で、これまでソヴィエト連邦時代の表現をひきついでロシア語読みしてきた地名をウクライナ語読みに変えていく (たとえば「キエフ」(Kiev) を「キーウ」(Kyiv) にする) など、ウクライナとロシアが別々の民族国家であることを明確にしようという動きがあった。他方で、いわゆる「キエフ ルーシ」までさかのぼれば両国に区別はなかったのであり、別々の国である必然性はないのではないか、という議論も聞かれた。
ウクライナ語とロシア語はいずれもスラヴ系の言語で共通点が多い。日本語と琉球語とのちがいよりも近いらしい。ほんとうかどうか確認していないが、関西弁と関東弁くらいのちがいだとだれかが言っていた。しかし、ふたつの地域の言語が、同じ言語の方言と認識されるか、別々の言語と認識されるかは、言語どうしの類似性よりもむしろ、政治や学校教育との関係でどのようにあつわれてきたかによるところが大きい。
日本の歴史がちょっとちがっていたら、関西と関東とが別々の政治体制になり、それぞれの標準語がつくられ、別々の言語として認識されていたかもしれない、と思う。そうすると、民族も別々だと認識されたかもしれない。
そのようになった可能性のひとつは、(別の小説の設定にしたように) 関が原がまさに「天下分け目」となり、天下が東西にわかれた状態が固定してしまうことだ。
しかし、ウクライナとロシアの歴史がわかれたのは、モンゴル帝国の支配から脱却していく過程だと考えられる。日本もモンゴル軍の侵攻をうけた。実際にはそれは日本の政治体制を大きくかえなかったけれど、なりゆきによっては日本が東西にわかれることもありえただろう、と思えてきた。その線で、わたしのとぼしい日本史の知識で、架空の歴史のすじがきを考えはじめた。
ここでは、関西と関東とが別々の民族国家としての自覚をもつにいたるすじがきを考えるだけにし、現実のウクライナとロシアの歴史ににせることは考えないことにした。とくに、共産党支配の時代は想定しないことにした。
第三次蒙古襲来からの 関西・関東二国史 顕巨鏡 @macroscope
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