第12話 夜会.3


 テオフィリン様の侍女を始めて二週間がたった。

 

 まだ幼いテオフィリン様付きの侍女には夜勤もあって、私とパレス、それから先輩侍女のエルマさんの三人で就いている。

 

 夜勤と言っても、テオフィリン様の部屋の隣にある小さな部屋で待機するだけで、簡易ベッドでの仮眠も許されているから、そんなに大変ではない。

 時折、夜にチリンと呼び出しのベルがなり、水を頼まれたりする程度だ。

 もっと小さい時は、夜中に突然泣き出されることもあって大変だったそうだけれど、今はそんなこともなく、大抵は朝までぐっすり眠られる。


 帰り道、私は久しぶりにルージェックの姿を見つけた。

 私が穀物の税率の怪しい変動を見つけてから、補佐文官全員で過去の資料を調べているらしく忙しいという話は聞いていた。


 私が発端にも関わらず、何も力になれていないのが申し訳ない。

 ルージェックの目の下に薄っすらとクマが浮かんでいるところを見ると、充分に休めていなさそうだ。

 それなのに、ルージェックは私に気付くと走り寄って来て、心配そうに眉を下げた。


「なんだか元気がないが、どうしたんだ?」


 覗き込まれ、近くにある濃紺の瞳と視線が合い、その距離に肩が跳ねた。

 私よりよっぽど疲れた顔をしているのに気遣ってくれるなんて、改めて優しい人だと思う。


 ルージェックは近くのベンチを指差すと、ちょっと座ろうと言った。

 腰掛けた私がどう答えようかと逡巡する間、ルージェックは何も言わずに夕暮れの空を見て待ってくれた。


 この二週間弱、私を悩ます出来事が続いていた。

 そのことで、もしかするとルージェックにまで迷惑がかかる可能性がある。それなら、この機会に全部話してしまおうと、ポケットに手を入れそれを取り出した。


「実は……ほぼ毎日のようにカージャスから手紙が届くの」


 出勤前に開けたポストに入っていた手紙を渡せば、読んでいいと聞いてくるので頷く。

 手紙を誰かに見せるのはマナー違反かもしれないけれど、もうどうしていいか分からないのだ。


「これは……」


 目を走らせたルージェックは、盛大に眉間に皺を寄せた。


 手紙に並ぶ文字は丁寧だけれど、書かれている文章はどうにも理解しがたい。

 「謝れば許してやる」「後悔しているんだろう」「リリーの本心は分かっている」挙句の果てに、「だからお前が働くなんて無理だと言ったんだ」と意味の分からないことが書き連ねられた手紙は、便箋五枚にも及ぶ。

 私を非難する言葉が続くと思えば「好きだ」「愛している」とここ数年言われたこともないむず痒いフレーズが並び、さらには自己陶酔しているかのような文章もある。


「こんなに筆まめではなかったはずなんだけれど……」

「いや、突っ込むべきはそこじゃないだろう」


 ルージェックは封筒に手紙を押し込むと、盛大なため息をついた。


「あれだけの観衆のもとで決闘をして負けたにも関わらず、この内容を送ってくるなんて理解を越えるな」

「それだけじゃないの。明日、お城で夜会があるでしょう。そこで着るドレスが昨晩届いたの」


 試験に受かり今年から本採用された騎士、文官、侍女をはじめ、昨年優秀な実績を残した者を集めた夜会が明日開かれる。

 貴族同士の交流というよりお城で働く人の懇親会に近いらしい。


 パートナーによるエスコートは必須ではないけれど、婚約者や配偶者がお城に勤めている場合は一緒に参加するのが慣例となっている。


 もちろん一人で参加するつもりだった私のもとに届いたのが、目の覚めるような鮮やかなグリーンのドレス。カージャスの瞳の色とよく似たそのドレスに絶句し、数秒後悲鳴をあげたのは仕方ないだろう。


 なぜ。

 別れた恋人にドレスを贈るその心境が分からない。

 そもそも婚約中にドレスを贈られたことは一度もなく、誕生日プレゼントはいつも決まった店のクッキーだった。


 私の話にルージェックも言葉が出ないようで、盛大に顔を顰め身を反らした。口の形が「げっ」と歪んでいる。


「マーベリック様に書いていただいた婚約解消の書類だけれど、教会に届けてくれたのよね」

「もちろん。ただ、決闘の場合、教会としても状況確認をする必要があるらしく、十日ほど待って欲しいと言われた。手続きが完了すれば、その旨を書いた手紙をリリーアンとカージャス、それから双方の両親に送るそうだ」

「でも、教会からの手紙はまだ届いていないわ」

「それはおかしいな。分かった、俺から司教に聞いてみるよ」


 私が教会を訪ねようと思ったのだけれど、提出したのは自分だからとルージェックが譲らないので、その件は任せることにした。

 

「それにしても、この手紙はいったいどういうことかしら。まるで私がまだカージャスの事を好きなように読み取れるわ。あれだけはっきりと伝えたというのに。まさか、明日の夜会もエスコートするつもりなのかしら」


 言いながら、悪寒が走る。

 こうやってルージェックと話しながらも、周りをきょろきょろ見てしまうのは、どこからかカージャスが見ているのではと思ってしまうから。


 手紙には、私の帰宅が遅いことや、その日身に着けていた髪飾りについても書かれていた。一体どこから見られているのか。最近はどこにいても落ち着かない。


「そんなことはさせないよ。リリーアン、明日の夜会は俺にエスコートさせてくれないか? そもそも、世間は俺達が婚約すると思っている。いや、中にはもう婚約者だと思っている人もいるだろう。それなのにお互い一人で出席するのは不自然だし、一緒にいればカージャスも近寄ってこないはずだ」

「でもそれじゃ、誤解がますます大きくなるばかりだわ。私はともかくルージェックに申し訳ない」

「俺に関しては気にしなくていいよ。そうだ、どうせならもっと婚約者らしく振る舞うというのはどうだろう。手紙を読むとカージャスはリリーアンがまだ自分のことを好きだと思い込んでいるようだから、いい牽制になるだろう」


 どんどん提案してくれるルージェックは頼もしい。

 ややいつもより饒舌で押しが強い気もするけれど、そこまで友人である私を心配してくれるなんて感謝だ。

 そう伝えれば、ルージェックがなんとも言えない顔で胸を押さえた。


「どうしたの?」

「いや、ちょっと良心が咎めただけだ」


 首を傾げる私に向け、ルージェックは微笑むと、突然私の髪を一束取った。


「ということで、改めてよろしくね。リリーアン」

「~~!!」


 チュッと小さなリップ音と一緒に髪に落とされた口づけに、私は真っ赤になってしまった。

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