第11話 夜会.2 カージャス
**<カージャス>
バタン、と勢いよく閉めた扉のせいか、台所に積み重ねていた食器が崩れ割れる音がした。
そんなことどうでもいいと、ソファを蹴とばし床に座る。
あぁ、腹が立つ。
俺を見てこそこそと言葉を交わす同僚も気に食わないし、親切ぶって「大丈夫か」と声をかけてくる奴はもっとむかつく。
俺のことを蔑んで馬鹿にするような視線を向けてくる連中は、これから何があっても助けてなんかやるものか。
だいたい、あんな即席の決闘なんて正式なものではない。
成り行きでああなってしまったが、あの日、俺は勤務中でもうすぐ交代という時間だった。
王都を何時間も警邏し、迷子を保護したり落とし物を探したりとつまらない仕事をして疲れ切ったあとでの決闘。しかも最近ろくなものを食べていないせいか、身体の動きも鈍くなっていた。
対して、ルージェックは買い物をしていただけ。
これでは不公平というものだろう。
俺が万全の体調だったら、文官ごときに負けるはずがない。
あの決闘は無効だ。
それなのに、タブロイド紙で取り上げられ王都中に知られることになってしまった。
なんで俺が恥をかかなきゃいけないんだ。
そもそも、婚約者がいながら他の男と出歩くリリーが悪いだろう。
出て行った当初は腹も立ったし、寮に乗り込んで強引に連れて帰ろうとしたこともあった。
でも先輩騎士から、結婚前にナーバスになっているだけかもしれないと止められ、それなら帰ってくるのを待ってやろうと考えてやった矢先にこれだ。
俺が優しくしてやったからリリーが増長しこんなことになった。
馬鹿な先輩のアドバイスなんて聞かなきゃよかったんだ。
そうだ。よくよく思い出してみれば、ルージェックに求婚されたときリリーは困った顔をしていたじゃないか。
プレゼント選びに付き合っていただけというのは本当で、それをルージェックが自分に気があると都合よく解釈して、勇み足で求婚したんじゃないだろうか。
現に、数日たってもあの二人が婚約したという話は聞いていない。
父親からは婚約解消についてリリーアンの父親と話をしたと書いた手紙がきた。
そこには、反省して考え方や行動を改めるようくどくどと書いてあったけれど、タブロイド紙を読んで早合点したのだろうと途中で読むのをやめた。
結婚を前にして不安定になっているところを他の男に付け込まれるなんて、どんくさいリリーらしいともいえる。
決闘のあと、俺に対し反抗的な態度を取っていたのも、予想外の出来事に混乱してのことだろう。
きっと今頃、この状況にどうしていいか困っているはずだ。
頼りないリリーをずっと守ってきたのは俺なんだから、今回だって助けてやるべきだろう。
「仕方ないな。手紙でも書いてやるか」
どうやって俺に謝ればいいかと、一人悩んでいることだろう。
こちらから水を向ければ、すぐに頭を下げ戻ってくるはずだ。
「なんて書くか。そうだな、とりあえず『勢いで部屋を出ていったことについては、今謝ったら許してやる』でいいか」
それから「お前の本心は分かっている」「後悔しているんだろう」「意地を張るのもいい加減にしろ」
思いつく限りの言葉で手紙を埋め尽くしていく。
あんまり下手に出てリリーがまた増長してもいけないけれど、喧嘩をしたときは逃げ道を作ってやらなければいけないと、誰かが言っていた気がする。
ここまで書いてやれば「こんなことになるなんて思っていなかった。ごめんなさい」と俺に頭を下げ、婚約解消を取り消すように頼んでくるだろう。
あっ、そうだ。
あのこざかしい文官がリリーを上手く口車に乗せ、婚約解消の申請を教会に出すかもしれない。それについても手を打っておく必要があるな。
まったく、手間のかかる女だ。
俺のもとへ戻ってきたら、二度とこんなことをしないように躾けなおさないと。
今回のことはちょっとした行き違いだ。
マリッジブルーになったリリーアンにルージェックが付け込んだ。
それをタブロイド紙が面白おかしく取り上げただけ。
正しい形に戻し丸く収めれば、もう誰も俺を嘲笑しないだろう。
次の日。
書いた手紙をリリーのいる寮のポストに入れてから、訓練場に向かう。
すでに一汗搔いた同僚が首をタオルで拭いながら、遅れてきた俺を怪訝な目で見てきた。
才能のない奴は早朝から自主練習をしなくてはいけないから大変だなと、薄っすら笑いながらベンチに座り、靴の紐を結び直す。
実力を試すためと練習試合がよく行われるが、あんなもの適当にやればいいんだ。
いくらいい結果を出そうとも大事なのは本番。目の前で起きたことに即座に対応できてこその騎士だ。
だから練習試合の俺の成績は芳しくない。本気を出せばトーナメントを駆けあがり上位に入り込めるが、そこは能ある鷹はってヤツだ。
勤務時間までまだ少しある。時間を潰すかのようにゆっくりと靴紐を結んでいると、隣から先輩騎士の話声が聞こえてきた。
なんでも、侍女をしている妻がつわりが酷く寝込んでいて心配らしい。
結婚したのに妻を働かせるなんて甲斐性のない男だな。それにつわりなんてちょっと気分が悪いだけなんだから、心配するほどではないだろう。
どこにでもこういう、うだつの上がらない奴はいるもんだと耳を傾けていると、よく知った名前が聞こえてきた。
「それで妻の代わりに、三か月間だけ宰相様付きの侍女がテオフィリン様のお世話をすることになったらしい」
「宰相様付きの侍女って」
「ほら、決闘で求婚された……っと。おっ、そろそろ持ち場にいかなきゃな」
俺に気付いた先輩騎士がわざとらしく咳ばらいをし、言葉を切って立ち上がった。
その後ろ姿を見ながら、俺はふむ、と頷く。
「よくは聞こえなかったが、要はリリーが宰相様付きの侍女を首になり、子守りを任されたってことか」
ほら、だから言っただろう。やっぱりリリーに宰相様付きの侍女なんて無理だったんだ。
おおかた、能力不足で首になり、頭を使わなくていい子守りが妥当と判断されたのだろう。
それも期限付きだ。その期間が終わればお役目御免とばかりに首を切られるに決まっている。
きっと今頃落ち込んで、俺の言う通りにすればよかったと後悔しているに違いない。
そういえば、ルージェックも宰相様の補佐文官だと聞いたが、もしかしてリリーが宰相様の侍女を目指したのは、あいつにそそのかされたからかもしれない。
うん、間違いなくそうだろう。
早く戻ってこいと手紙を書いてやろう。俺は優しいから、返事がくるまで何度でも。
そして戻ってきたら、お前は俺がいなくては何もできないと教え込まなくては。
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