第10話 夜会.1


 実家から戻った次の日。

 

「お休みをいただきありがとうございました」


 久々に出勤した私に向けられる視線は、以前にもまして生暖かいものになっていた。

 先に出勤していたルージェックをチラリと見ると、こちらは涼しい顔をしながら書類を手にしている。

 

「お帰り、リリーアン。話はルージェックから聞いたわ。ご両親がご理解してくださったそうね」

「はい。婚約解消の手続きを進めるようにと言われました」

「そう、それは良かったわね。おめでとう」

「……はい。ありがとうございます?」


 婚約解消しておめでとうと言われるのは少し違和感があるけれど。

 でも、お父様達に知られたこともあり、決闘による婚約解消の手続きを進めることになった。

 まずは教会に申請書を取りに行き、オリバー様に頼んでと手順を考えていたら。


「それについてだけれど、昨晩のうちに勇者マーベリック様から署名をもらってきた」

「えっ! ルージェックはマーベリック様と知り合いなの?」

「叔父と仲が良く何度か会ったことがある。いつ来るのかと待っていたらしく、遅いと怒られたよ」


 あの決闘はいわば、偽り。

 本来なら結婚をかけてするものだけれど、ルージェックは私とカージャスの婚約を解消させるために求婚する振りをしてくれた。

 正式とは言えない決闘からの婚約解消なのに、勇者様のサインなんていただいていいはずがない。


 とんでもない暴挙に、私はルージェックの腕を摑み窓際まで連れていく。

 背後から聞こえるナイル様のヒューという口笛は聞かなかったことにしよう。


「ルージェック、いくらなんでもマーベリック様のサインはまずいんじゃないかしら。オリバー様なら私達の事情をご存知だから、ゆくゆく別れたとしてお怒りにはならないと思うし」

「うーん、知っていることは二人とも変わらないんだけれどな。とりあえずリリーアンが心配するようなことにはならないから大丈夫だよ」


 それは……。もしかしてすでにあの決闘が正式なものではないとルージェックからマーベリック様に説明してくれているということかしら。


 勇者マーベリック様と知り合いだったことには驚きだけれど、ルージェックの叔父様が騎士団長ということを考えると、親交があっても不思議ではない。

 さらに、ルージェックは騎士団長様の養子になるのだから、いろいろと大目に見てもらった可能性も。

 うん、きっとそうに違いない。


「分かった。私も機会があればマーベリック様にお礼をいいたいわ」

「そう伝えておくよ。でもあの人は放浪癖があるから、いつまで王都にいるか分からないんだ。それから、婚約解消の書類だけれど」

 

 そう言ってルージェックは机に戻ると、引き出しからくるくると筒状に丸めた紙を取り出し手渡してくれた。


 それは、教会などへの正式な申請に用いられるパーチメントという羊の皮から作った紙。一般的に羊皮紙と言われるものだ。

 巻き付けてある革紐をほどき中をみれば、確かにマーベリック様の名前と印章がすでに押されている。


「リリーアンは署名だけでいいそうだよ」


 両親から押し付けられた婚約を解消し意中の人と結婚することも想定されているから、私の実家の印章は不要。当主の署名ともども、あればなお良し程度の扱いだ。

 素早くペンを渡されたので、今この場で? と躊躇いつつ署名をすると、ルージェックは再びそれを丸め革紐で止めた。


「これは俺が教会に提出するよ」

「そこまで迷惑をかけられないわ。だってそれ、私とカージャスの婚約解消の書類だもの」

「決闘の場合、婚約解消の書類と同時に勝者との婚約書類も出するのが一般的。そのあたりを突っ込まれたら、リリーアンはどう答えるつもり?」

「そ、それは……」


 本当のことを言ったら司教様は絶対に書類を受け取ってくれない。

 どうすべきかと眉間に皺を寄せ考えてみても、都合のよい言い訳が浮かんでこない。


「ほら、困るだろう。そこは俺がうまく言っておくから任して」

「いいの?」

「乗りかかった船というしね」


 爽やかに微笑むルージェックの背後から後光を感じる。

 なんて友人思いなのだろうと、手を握って感謝すれば、ルージェックは少し頬を赤らめながらこめかみを掻いた。


「まずい。罪悪感が半端ない」

「うん? 何か言った?」

「いや何も。もし今後リリーアンを怒らせるような事実が露見したとして、その時は誠心誠意謝るから、どうか話だけは聞いて欲しい」


 なぜだか急に真剣な顔で言われ、意味が分からないまま私は頷くことにした。

 こんなに友達想いのルージェックに怒るなんてあり得ないのに。


 そんなやり取りも終え、では仕事に戻ろうとすると、扉が開いて宰相様が入ってきた。

 「おはようございます」と私達が口々にした挨拶に返事をすると、なぜか私の上で視線を止める。


「リリーアン、少しいいだろうか」


 そう言って指差すのは隣にある宰相様の個室。

 宰相様は三つの部屋をお城からいただいていて、一つは書庫、もうひとつは今私達がいる部屋で補佐文官の机が並んでいる。


 その隣にあるのが部屋が宰相様の個室。執務机の他にソファセットもあり、簡単な打ち合わせや来客の応対もできるよう、廊下から直接入ることもできる。


 個室だけれど、私も仕事で何度か出入りしたことはある。でも、今日は初めてソファに座るよう勧められた。

 訝しみながら浅く腰掛けた私に、宰相様はそう硬くなるなと苦笑いを零す。


「仕事には慣れただろうか」

「はい」


 宰相様付きの侍女になって約一ヶ月。困ったことがないか等の面接だろうかと思ったところで、宰相様は言いにくそうに口を開いた。


「慣れたところ申し訳ないのだが、三か月ほど王太子殿下の息子テオフィリン様付の侍女として働いてくれないだろうか」


 すっと息を呑み、私は固まってしまった。

 テオフィリン様付きの侍女。つまり今の仕事場は首ということだろうか。

 やっと書類仕事にも慣れてきたのに、やはり私では能力不足……そう考え項垂れた私に、宰相様は違うというかのように手を振った。


「リリーアンのことはとても優秀だと思い期待もしている。結論から話しすぎたな。実は、テオフィリン様付きの侍女が体調を崩し暫く休暇をとることになった。あっ、心配するような大病ではなく、妊娠してつわりが酷いらしい。一人目の時も数ヶ月は出勤できなかったから、今回も三か月ほど休ませて欲しいとのことだ」

「では、その侍女の代わりに私が、ということでしょうか」

「そうだ。テオフィリン様の侍女が一人減るのは警護の意味でも問題。さりとて、誰でも変わりができるわけではない」


 護衛騎士はいるけれど、王族の侍女となればあらゆる危険から主人をお守りするのも重要な仕事。

 そのため、侍女本人の人柄だけでなく実家まで調べられる。


「仕事ぶりをみて人柄に問題ないと確信した。申し訳ないが実家の男爵家についても調べさせてもらったが、派閥争いとは無縁。そこで王太子殿下にリリーアンを代理侍女にしてはと推薦したところ、許可が出た」


 つまり、誰でも良いと言う訳にはいかず、でもすぐに代わりの侍女を見つけなければいけない状況で、私に白羽の矢が立ったわけだ。

 さらに王太子殿下の許可も出たとなれば、私に断るという選択肢はない。


「分かりました。そのように信頼していただき光栄です。三か月間、テオフィリン様の侍女として務めさせていただきます」

「そう言ってくれて助かる。せっかく職場に慣れて来たところで申し訳ないが、頼んだ」


 頭を下げる宰相様に恐縮しつつ部屋を出た私は、その日の午後からテオフィリン様の元で働くことになった。

 

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