第9話 両親への報告.3

 

 別の部屋で待つべきなのは分かっているけれど、とてもじゃないがそんな気落ちになれず、私は閉まった扉をじっと睨んだ。


 ちょっと扉に耳を付けてみたけれど、お父様とルージェックの声が聞こえるだけで会話の内容までは分からなかった。

 我が家はお屋敷と呼べるほどの造りではなく、扉だってそんなに分厚くはない。

 だから怒らせると怖いお父様が怒鳴れば声が外まで届くのだけれど……どうやらその心配はないようだ。


 それなら、と扉を叩いてちょっと顔を出してみれば、全員が一斉にこちらを向いた。

 えっと、私、入るタイミングを間違えたかしら。


「あの……お茶のお代わりはいかがかと思いまして」


 自分でも取って付けたような言い訳なのは分かっている。

 三人ともそれはお見通しのようで、視線を合わせると苦笑いをした。

 

「お茶はいい。それよりリリーアンもこちらに来て座りなさい」

「はい」


 戸惑いつつここはルージェックの隣に座るべきかと腰掛ければ、お母様が嬉しそうにニコリと微笑んだ。さっきより機嫌が良いように見える。


「ちょうどルージェック殿との話が終わったところだ」

「では、私から説明を」

「いや、それはいい。もう充分に理解した」


 えっ、と私は怪訝に眉を顰め両親を見る。普通ならここは私からも話を聞くところなのに、二人ともすっかり納得した顔をしていた。

 そのことに疑問を覚えつつも、きっとルージェックがうまく説明してくれたんだと納得することにする。ちょっと腑に落ちないけれど。


「では二人とも今夜は泊まっていけばいい」


 父の言葉にルージェックは首を振る。


「いえ、私はどこかで宿を……」

「こんな家でも客間はある。伯爵家の令息に泊まっていただくには少々申し訳ない造りだが、そこは我慢していただきたい」

「ありがとうございます。では、お世話になります」


 決して広くはないけれど、一階に一部屋だけある客室。時々酔っぱらったカージャスのお父様が泊まっていくことがある。


 二人は長年同じ主に仕え、仲が良い。

 婚約解消を言い出した時は父親同士が不仲になるのではと心配した。

 でも、カージャスのお父様から愚息がすまないと謝罪の手紙がきて、そこには親同士の関係はどんな結論になっても変わらないから気遣い無用とも書いてあった。


 侍女は食事の支度があるので、客間の準備は私がかって出ることにした。

 侍女見習いの時は、お城のあらゆる部署の仕事を手伝ったのでベッドメイキングだってお手のものだ。


 では、と私が席を立つより早く、お父様が戸棚に向かい酒瓶とグラスを手に戻ってきた。

 あのお酒、お父様の機嫌が良いときに飲むものだ。ルージェックはいったいどんな説明をしたのかしら。両親の笑顔が逆に怖い。


「ところで、ルージェック殿は次男だとタブロイド紙に書いてあったが、爵位はお兄様が継がれるんだな」


 お酒を注いだグラスをルージェックに薦めながら、お父様が世間話を始めた。

 でも、ただの世間話のはずなのに、どこか探るような雰囲気がある。


「はい。すでに結婚もしており、この前姪も生まれました」


 グラスを受け取ると、今度はルージェックがお父様のグラスにお酒を注ぐ。

 ちなみにこの国で爵位を継げるのは男性だけで、子供が娘のみの場合は婿を取るのが一般的だ。


「騎士に決闘をして勝つだけの腕前があるなら、今からでも騎士団に入ってはどうでしょうか。そうすれば騎士爵を貰えるかもしれない」

「お父様、ルージェックはお城でも一番難関と言われる宰相様の文官をしているのよ。それは失礼だわ」


 私の婚約解消騒ぎに巻き込まれ、こんなところまで付いてきてくれた友人に何を言うのかと咎めれば、ルージェックが口角をあげながら首を振った。


「いいよ、リリーアン。お父上が爵位を気にされるのはごもっともだから」


 ごもっとも? なぜ?

 ルージェックの爵位が今後どうなるかなんて、お父様には全く関係ないと思うのだけれど。


「実は、叔父の家に養子に入ることが決まっています」

「叔父というと……」

「騎士団長のアストリア・バーディアです。バーディア侯爵家に婿入りし娘が二人おりますが、跡を継ぐはずの長女が留学先の隣国でその国の第三王子に見初められ、この度婚約が決まりました」

「バーディア侯爵家!」

「第三王子と婚約!!」


 お父様とお母様が目を丸くする。もちろん私も初耳で驚きすぎて声すらでない。

 ちなみに次女は二年前、子供の頃からの婚約者である公爵令息に嫁いでいるらしい。


 ではルージェックは、ゆくゆくバーディア侯爵家を継ぐということ? さらには公爵家だけではなく隣国の王族とも親戚になるなんて。

 そんな人に、私と婚約解消したなんて傷をつけてしまってよいものなのかしら。

 申し訳なさに血の気が下がってしまう。

 

 そんな私に対し、両親の頬はなぜか紅潮していた。



「で、では。リリーアンが侯爵夫人に? あなたどうしましょう」

「お母様? 話を聞いていらして? 侯爵になるのはルージェックで私は関係な……」

「貴族として最低限のマナーしか教えていない。ルージェック殿、先ほどの考え、改めた方が良いのではないか?」

「お父様?」


 いきなり前のめりになった二人。お母様は「一から令嬢教育をしなおさなきゃ」と言っているし、お父様は机に手をつきルージェックを説得し始めた。心なしか瞳孔が開いているような気も……。


「あ、あの。お父様もお母様も何を言っているの? ルージェックが侯爵になっても私達には関係ないでしょう」


 爵位で友人を決めるような人じゃないし、今まで通りの関係が続くはず。

 そうルージェックに言えば、曖昧な笑顔が返ってきた。

 えっ、なに。私だけ置いてけぼりな感じがするのだけれど。


「と、とにかく。ルージェック殿の決意が硬いことは分かった。それなら儂から言うことは何もない」


 小声でルージェックと話していたお父様が、腕組みをしてソファに深く座り直す。

 お母様はまだ頬に手を当て、夢見心地で「いいマナー教師を探さなきゃ」と呟いている。理由が分からないけれど、侍女をするにあたりマナー講座を改めて受けたといえば、少しはほっとしたようだけれど、解せぬ。


「お母様、では私は客間の用意をしてきます」

「そうしてくれると助かるわ。私はメイドと一緒に食事の準備をしましょう。ルージェック様、嫌いな食材はございますか?」

「いいえ、なんでも食べれます」


 その返事を聞き、お母様は台所へ私は客間に向かった。なぜか足が弾んでいた。

 男性二人は、夕食前にお酒を楽しむようだ。


 なにはともあれ誤解が解け、お父様とルージェックが打ち解けたのはいいこと。でも、なんだろう、私だけ取り残されたような違和感を覚えるのは……。

 



 食後、湯あみを終え、部屋に戻った私は「さて、やってしまおう」と腕捲りをした。

 小さい頃から使っているこの部屋には、カージャスとの思い出の品が沢山残っている。

 お城で働いているから次はいつ帰ってこれるか分からない。だからこのタイミングで整理するつもりだ。


 引き出しを開けると、可愛らしい柄の便箋が沢山出てきた。

 小さい頃、文字の練習も兼ねてカージャスと頻繁に手紙のやりとりをしていたな、と思いだす。

 クマやうさぎ、チューリップの柄はいかにも幼い女の子が好きそうなもの。


 他にも、押し花で作った栞や一緒に描いた絵も見つかった。

 私、いろんなものを大切にとっていたのね、と拙い絵を一枚一枚手にし懐かしむ。

そして、見終わったものから順に、侍女に頼んで用意してもらった空箱に入れていった。


 引き出しを片付け終わったら、次はクローゼット。

 中にはカージャスが選んでくれた服やアクセサリー、ぬいぐるみが入っていた。

 服のお金を出してくれたのはカージャスのご両親かお父様だったと思うけれど、これが似合うと私にピンク色のドレスを渡してきたのは、しっかりと覚えている。


 アクセサリーは伯爵領で毎年行われるお祭りで買ってくれたもの。こちらはカージャスのお小遣いだったはず。

今はもう小指にも入らない硝子玉のついた指輪は、当時の私の宝物だった。

 それらを丁寧に箱に入れていく。


「カージャスの中では、私はいつまでもこの頃のままだったんでしょうね」


 幼いときはいつもカージャスの後ろをついて行っていた。

 私より頭一つ分大きく、走るのも早くて力も強いカージャスを頼っていれば何も問題ない、当時の私はそう信じていた。


「うん、思い出に浸っても仕方ないわ」


 しんみりとした気落ちを打ち消すように敢えて「よいしょ」と声に出し、それらが入った箱を抱えて私は階段を下りていく。そのまま裏口から庭に出て、何もない土の上に箱を下ろした。

 二メートル四方のこの場所は、春には花が咲き誇るのだけれど今は土だけ。

 昔は夏野菜なんかも作っていたけれど、夏の庭仕事はもう無理だと数年前にお母様もメイドも止めてしまった。


 秋の夜はちょっと肌寒い。

 石で囲んでいるこの場所なら大丈夫よねと、もう一度周りに燃えるものがないか確認して私は燐寸を擦り箱の中にそれを投げ入れた。

 ぼわっと闇夜に浮かんだ小さな灯が、パチパチと爆ぜる音と一緒に大きくなっていく。


「リリーアン」


 ぼうっとその炎を見ていた私は、背後からかけられた声に数センチ飛び上がり振り返った。

 そこには薄着の上にお父様のガウンを羽織ったルージェックが立っている。

 ちょっと寸足らずの袖元がなんだか可愛い。


「こんな夜にどうしたんだい」

「うん、ちょっとね」


 ルージェックは私の隣に並び、燃える箱を一緒に眺める。

 私の腕の中にはうさぎのぬいぐるみがあった。


「それ、カージャスからもらったのか?」

「うん、婚約した年にね。もう十五歳だっていうのに子供っぽいでしょう。でも私、すごく嬉しかったんだ」

「そうか。大事にするといいよ。思い出すべてを燃やす必要なんてない」


 その言葉に胸のうさぎを見れば、赤い瞳と目が合った。


「私、小さい頃はいつもカージャスの背中に隠れ、彼が傍にいれば何も心配ないと思っていた。カージャスはそんな私が好きだったんだと思う。でも、私は変わった。そう考えると、この婚約解消はやっぱり私の身勝手なのかなって思えてきて……」

「それは違うよ。リリーアンは大人になったんだ。小さいときと同じでなんて、誰もいられない。いい意味でも悪い意味でも学び成長する。カージャスはそんなリリーアンから目を逸らし、自分にとって都合の良い幼いままでいるよう強いた。だからリリーアンは悪くない」

「そうか……」


 なぜか目の前にある炎が滲んだ。

 多分、あまりにも一緒にいる時間が長すぎたんだ。


「あれ、どうしたのかな。悲しくなんて全然ないのに。婚約解消できて良かったって、そう思っているのに」

「うん」

「本当よ! 未練なんてこれっぽっちもないし、街で久しぶりにカージャスと話した時も一緒に暮らせないと思った」

「うん」

「あのまま結婚しなくて良かったし、ルージェックには心底感謝しているわ」

「分かっているよ」


 ムキになって言葉を続ける私に、ルージェックは困ったような優しい笑みを見返してきた。

 そして大きな手で私の頭を撫でる。


「幼馴染で、婚約者で、一緒に暮らしていたんだ。気持ちを整理するのに時間はかかるさ」

「後悔はしていないわ」

「うん良かった」


 そう、後悔はしていない。ただ、婚約解消することがなんだか過去の私すべてを否定するように感じてしまう。

 それに、嫌なことばかりではなかったんだ。


「子供の頃のままではいられないよ。俺は今のリリーアンはとても素敵な女性だと思う」


 さりげなく、夜の闇に溶け込むように零された言葉に、私の心臓がドクンと跳ねた。 


「あ、ありがとう。そんなこと言われたの初めて。それにルージェックでもお世辞を言うことがあるのね」

「お世辞じゃないよ。本音さ」


 すとんと落ちた沈黙に、私は次の言葉が浮かばない。

 なんだか私達の間にある空気が今までと違うような……でも、きっと気のせいよね。

 夜の闇と、赤く揺れる炎がちょっと非日常的で、感傷的になっているだけだわ。


 私はもう一度、腕の中にあるぬいぐるみを見る。

 カージャスは真っ赤な顔で「リリーアンは俺の婚約者だから、これからはリリーって呼ぶ」と言って、このぬいぐるみを私に押し付けてきたっけ。

 学園の寮に持っていくつもりだったんだけれど、子供みたいなことをするなとカージャスに言われ、泣く泣く置いていった。


 婚約解消に後悔はないし、気持ちがスッキリしているのも事実。

 もし、時が戻ったとしても、私は同じ決断をする。だって、どう考えてもカージャスと一緒に暮らすのは無理だもの。


 ただ、物心着いた時から当たり前に傍にいたから、気持ちの整理が必要だった。


 炎を見ながら、カージャスとの日々が過去になっていくのを実感する。


 でも、過去の上に、今の私があるのも確かで。だから、うさぎのぬいぐるみは燃やさないことにした。

 未練とかじゃ無く、これも私の人生の一部なのだから。



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