第7話 両親への報告
決闘の翌日。
恐る恐る足を踏み入れた職場は、祝福モード一色だった。
どうして皆知っているのと口をパクパクする私に、バーバラさんは一枚のタブロイド紙を手渡してくれた。
そこには風刺画付きで決闘の様子が事細かに書かれている。
一年程前に刊行を始めたタブロイド紙は、その手頃の値段も相まってあっというまに貴族だけでなく平民の間にも広がった。
もっとも、手頃とはいえ平民に毎日買うのは無理らしく、何人かでお金を持ち寄って購入したり、字の読めるものが朗読してお金を稼いだりしているそうだけれど。
宰相様の補佐文官は全員伯爵位以上だし、バーバラさんだって子爵夫人。
だから皆の手には当然のごとくタブロイド紙が握られていて、先輩文官の一人ナイル様はルージェックの肩を抱き髪の毛をわしゃわしゃと撫でまわしながら笑っていた。
「いや、まさか新人二人が婚約するなんて。この部屋の雰囲気も明るくなりますね」
そう言って笑うのは一番の古株、ロバート様。
宰相様も鳶色の瞳を細めにこやかに微笑んでいるけれど……これって完全に誤解されているのでは。
目の前に突きつけられたタブロイド紙を手にし目を通せば、愛を掛けた懸けた決闘! 真実の愛! 新たなカップル誕生! と眩暈のする言葉が並んでいた。しかも、
「えっ、あのおじいさん、かつて勇者と称えられたマーベリック様だったの!」
とんでもない真実まで出てくる始末。
さらには「勇者の審判のもと結ばれた二人」なんて見出しがついている。オリバー様の存在が全く書かれていないけれど、そんなこと気にしていられる状況ではない。
「ちょっと、ルージェック!」
袖をひっぱり窓際に引っ張っていく。背中に感じる生温い視線がいたたまれない。
「どうしよう、皆ルージェックが私に求婚したと勘違いしているわ」
「あぁ、そうみたいだね」
焦る私に対し、ルージェックはのんびりと答える。乱れた髪を手櫛で整える余裕さえ見せるのだから、つい口調が強くなってしまう。
「早く誤解を解きましょう。私はともかくルージェックに迷惑がかかるわ」
「俺は別に構わないよ」
「でも、このまま放っておけば私達が恋人、いえ、婚約したと言う噂がお城中に広まってしまう」
「うーん。もう遅いんじゃないかな。お城どころが王都内に知れ渡っていると思うよ」
ほら、と私が握りしめているタブロイド紙を指差す。
そうだ、これが出回っているということはすでに……。
「しかも、勇者マーベリック様の審判と書いてある。これを否定するのは勇者様を否定するも同然、そう思わないか?」
「う、確かにそうかもしれないけれど……でも、それじゃ、どうしたらいいの?」
「そうだな。人の噂なんて皆そのうち飽きて忘れるし、半年後ぐらいにしれっと別れたことにしよう。それまでは婚約者のふりをする、それでいいよね」
有無を言わさない笑みでそう言われ、私は半歩あとずさりしながら頷いた。なぜだろう、私を気遣う言葉のはずなのに圧迫感が半端ない。
でも、本当にそれでいいのかな。私はもう結婚は諦め仕事に生きるつもりだから、二度婚約解消になろうが気にしないけれど、ルージェックに関しては完全にとばっちり。
そのことについて聞こうとしたのだけれど、「お二人さん、そろそろ仕事よ」とバーバラさんに言われ、顔を真っ赤にしつつ慌てて離れた。
そんな私にルージェックはあろうことか甘く微笑み「ではあとで」なんて言うもんだから、先輩文官がヒュ―と口笛を吹き、宰相様までが声を出して笑いだす。
あぁ、こんなことが半年も続くなんて! 完全に楽しまれているわ。
頬の火照りを手のひらで扇ぎながら、バーバラさんに教えてもらうのは初めてのお仕事。
渡され書類に並ぶ沢山の数字は、各領地で採れた穀物の量。
去年の収穫量が一番左にかかれ、その横に税率、それを掛けた数字がさらに右にあり、最後にはその年の気候や洪水などの被害状況が書かれている。
それがひとつの縦長の表になっていてい、同様に作られた過去四年分が同じページに並んでいる。
「これは穀物についてだけれど、他にも海産物や農産物、加工品、石炭、服飾品など様々な項目について同じ書類を作っているの。で、私達の仕事はこの書類を作るための下準備よ」
簡単にいえば、補佐文官が今年の書類を作成する前段階のお手伝いとして、過去四年分の数字を去年の書類から書き写すこと。
わざわざ書き写さなくても前の書類に書いてあるものを見れば良いのではと思う私に、一覧にすることによってこそ分かることもあると教えてくれた。
「たとえば、洪水などの天候被害がなく去年と同じ収穫高なのに税率が下がり国に治める金額が減っていたなんてことは、一覧にしたほうが分かりやすいの。各項目ごとに過去の書類を捲って見比べるのってかなりの手間だし、見落とす可能性が高いでしょう」
「確かに。何冊も書類を捲るより結果として書き写したほうが良さそうですね」
「ええ。で、その下準備を私達がして、担当文官が今年の数字を記入しつつ不自然な点がないかチェックするのよ」
僅かな誤差から納税を誤魔化しているかもしれない領地を探し、その証拠固めまでするというのだか膨大な作業量になるはず。
宰相様の仕事はこれ以外にも、外交関係や、国の法案、時には裁判についても意見を求められることがあるから、それぞれを補佐文官が役割分担して手伝っている。
改めてこの部屋が任されている仕事の幅広さに驚いてしまった。
「他国では納税について調べる専用の部署があるそうよ。それだけ大変な仕事なの。以前は計算が得意な女性文官が一人でされていたけれど、本当に怪しいと思う領地についてしか詳細に調べられないと仰っていたわ」
「その方は今?」
「子供ができたので辞めたの。出産してから復帰する侍女は多いけれど文官は仕事がハードだから続ける人は少ないのよね」
そもそも女性文官は少ないので、数年のブランクののち復帰するような職場環境ではないらしい。それに対し侍女は、子供を産んでも働く人が多く、バーバラさんも二児のお母さんだ。
そんな話を聞きながらぱらぱらと書類を捲っていた私は、あれ、と手を止める。
「あの、ここの税率の変化、おかしくないでしょうか」
「どこ? あぁ、それは洪水があったから税率を下げたのよ」
バーバラさんは表の一番端のメモ書きを指さすけれど、私もそれには気が付いている。
「そうなのですが、洪水があった年は税率が七パーセント下がっているのに、翌年の税率は五パーセント戻しただけです。さらに同じようなことが次の年にもあるので、五年間で税率は三パーセント下がっています」
翌年も、昨年の洪水被害の爪痕が残っていて、元の税率に戻さなかっただけなのかもしれない。
税率を完全に元の数値に戻す前にまた洪水被害がおき、再び税率を下げということが、たまたま繰り返されただけとも考えられるけれど、なにか不自然なものを感じる。
たとえば洪水のあった翌年、農民からは七パーセント戻した元の税率通りに徴収し、国へは低い税率で申請していたとしたら、領主がその差を着服したことになる。
「この領地は海に面しているので海産物もとれますよね。その資料を見てもいいでしょうか」
「ええ、そこの棚にあるわ」
教えてもらった棚に向かえば、今度は大時化(おおしけ)を理由として同じような税率の変化があった。
私達のやり取りに気付いた宰相様が隣にきて、資料に目を通し始める。
「あ、あの。この程度の税率の変動でしたら問題ないのでしょうか」
「微妙だな。正直穀物だけなら気にならないが他でもとなると……数字の変動に意図的なものを感じる。ナイル、担当外で悪いがちょっと調べてくれないか」
「分かりました。手持ちの案件が今日で片付きそうなので終わり次第調べます」
本来ならこの仕事は女性文官の代わりに入ったルージェックが担当なのだけれど、ちょっと複雑な作業になるようで、先輩文官が指名された。
ルージェックはナイル様に一緒にさせて欲しいとお願いしている。
仕事熱心だなと感心していると、隣から「ふむ」という宰相様の声が聞こえた。
「? なにかございましたでしょうか?」
「これだけの数字が並ぶ書類から不自然な箇所を瞬時に見つけるのは難しい。今までに領地経営に関わったことがあるのか?」
「父が伯爵家の執事をしていまして、簡単な計算を手伝ったことならあります。数字は得意なんです」
そう答えると、宰相様は私の手から書類を取りじっと眺める。
暫くそうしていたので、そろそろ持ち場に戻ってもいいかと聞こうとすると、パッと顔をあげられた。
「どうして侍女に? 文官になろうとは思わなかったのか? 確か学園での成績はルージェックに続く二位だったと聞いているが」
「あっ、それは……」
文官になることを全く考えなかったわけではない。
でも、カージャスに相談したらダメだって言われてしまった。
子供ができたら仕事を辞めるのだから、そんな難しい試験を受ける必要はない。しかも文官は忙しいのだからお前には絶対に無理だ、侍女なら許可してやると言われ諦めた。
たどたどしく、オブラートに包みながらそのことを説明すれば、宰相様は分かりやすく眉間に皺を寄せた。
「前にいた女性文官にも言ったが、俺は子供を産んでブランクがあっても仕事をしたいなら再雇用するつもりだ。彼女は辺境伯の嫡男と結婚して領地に戻るから復帰はしないけれど、そうでなければ再び働いてもらうつもりだった」
「そうなのですか」
「ところで、その男とは別れたんだろう? ルージェック、お前はどう思うんだ?」
急に話を振られたルージェックが目を丸くしてこっちを見る。
だから、早く誤解を解くべきだったのよと私は額に手を当て項垂れてしまう。
目の端に、にまにまと楽しそうに笑う宰相様の顔が見えた。この人、意外とゴシップ好きだ。
「私はリリーアンがその能力を生かせるのが一番良いと思います」
「ルージェック!」
なに話を合わせているの。その言葉は友人として本音なのでしょうけれど、この場でそう捉える人は誰もいない。
案の定、先輩方が資料の隙間からこちらを窺い、次いで目を合わせ笑いあっている。
忙しいはずなのに余裕ですね。
「うむ、それなら来年は文官の試験を受けてみないか。一年間の侍女経験と俺の推薦状があれば試験を受けることは可能だ」
「そ、そんな。私には無理です」
とんでもないと首を振ったのに、宰相様は「良く考えればいい」と私の肩を叩き席に戻ってしまった。
そんな。私なんてちょっと数字に強いだけで、他はたいしたことがないのに。
そんな予想外のことや、生温い視線に耐えつつ仕事をして一週間。私は寮に届いた手紙に青ざめてしまった。
「ルージェック、どうしよう」
「うん、何かあったのか?」
仕事が終わり寮に戻ろうとするルージェックを呼び止め、お城の裏庭に連れていき、手紙を見せた。
ルージェックは目を丸くするも、すぐに「ま、そうなるよな」と頷く。
「そうなるな、じゃないわ。どうしよう、お父様達に決闘のことが知れてしまったわ」
「いや、むしろ当然のことではないか。そもそも婚約解消についてまだ言っていなかったのか?」
「だって。決闘で婚約解消が決まったなんて言ったら、ルージェックについてあれこれ聞かれるでしょうし。だから、落ち着いたらカージャスに婚約解消の書類にサインをもらって話し合いの結果別れることになったと伝えるつもりだったの」
決闘による婚約解消の手続きは、この場合勇者マーベリック様、もしくはオリバー様のサインと私のサインがある書類を教会に提出して終わる。そこに両親のサインもあればなお良しとされるけれど、必須ではない。
ただ、教会がその経緯を手紙で両親に知らすことになっている。
だから、私としてカージャスとの話しあいで婚約解消を進めたかったのだけれど。
まさか、タブロイド紙が馬車で二日かかる伯爵領にまで出回っているなんて思いもしなかった。
そう言えば、ルージェックは呆れたように「楽観視しすぎだ」とため息をついた。
「手紙にはルージェックも連れてくるように書かれているけれど、これ以上迷惑はかけられないから一人で行ってくるわ。宰相様に事情を離せば休みをいただけるでしょうし」
「行くって、辻馬車で? 途中で宿に泊まるのだから女性一人では危険だ。俺も同行するよ」
「そんな、これ以上私の事情に巻き込むわけにはいかないよ」
「それについては気にしないでくれ。でも、ひとつ確認してもいいか?」
急に改まった声になったルージェックに、私も背筋を伸ばしてうん、と頷く。
何を言われるのだろかと思っていると、
「リリーアンは……今、気になる男がいたりするのだろうか?」
「えっ?」
突拍子もない質問に、間抜けな声が出てしまったのは仕方ない。
だって、そんなこと聞かれるなんて思っていなかったもの。
「いないわ。それに、暫く恋愛はいいかな、って思っている。ううん、ずっと一人でもいいかな。文官……は無理かもしれないけれど、侍女のお給金で私一人暮らしていくことはできるし」
「それは……それだけカージャスのことが好きだったのか? だからもう誰も好きにならない、とか」
「違うわ。ただ、誰かに感情を振り回されるのに疲れてしまったの」
カージャスに対する恋愛感情はこれっぽっちも残っていない。別れたこと――正確にはまだ婚約中だけれど――にも後悔していないし、むしろ、今となってはどうしてあそこまで尽くすことができたのか不思議なぐらいだ。
はぁ、とため息をついてしまった私を、ルージェックは何とも言えない表情で見る。
「そうか。分かった。では時間をかけることにするよ」
「時間?」
「ううん、こっちの話。とにかく、ご両親には俺も会いに行く。きちんと挨拶をして話したほうがいいと思うんだ」
「そうね。これだけ話題になっているんだもの。では、申し訳ないけれどお願いします」
改めて頭を下げると、ルージェックはちょっと眉を下げ困ったように笑った。
「どうしたの?」
「いや。リリーアンがあまりに純粋なので、ちょっと自分の腹黒さが申し訳なくなってきただけだ」
ルージェックは肩を竦めると、「宰相様はまだ部屋にいるはずだから今から行って事情を話そう」と言って立ち上がり、私に手を差し出してきた。
なんだか本当の婚約者のようだと思いつつ手を借り立ち、来た道を戻ることに。
ルージェックの予想通り宰相様はまだお仕事をされていて、父からの手紙を見せれば二つ返事で五日間の休暇をくれた。
なんだかさらに誤解を強めているような気もしないではないけれど、お言葉に甘え二日後、私達は王都を旅立った。
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