第25話 その鐘の音は誰のために

「……はぁ、はぁ」


 三十分くらい経っただろうか。

 知っている魔術を片っ端から唱え続けて、ようやく魔力が底をついた。

 疲労感が体全体に蔓延しており、初級魔術でさえもう唱えられないと感覚でわかる。

 魔術は難易度が上がれば上がるほど、その消費魔力も増加していく。というよりも、消費魔力がその難易度の一部に寄与しているというべきだろうか。上級や特級であればもっと早く魔力を消費できたのだろうが、残念ながら俺はまだ使えない。


「…………ふぅ──よし!」


 時間はかかったが、ともあれ魔力をからにすることには成功した。


 次はこの状態でさらに魔術を唱えてみる。

 通常であれば魔術は発動できず、何も起こらないはずだが……。


「……氷柱撃アイシクルショット!!」


 唱えた瞬間は何も起こらなかった。

 が、一拍遅れて全身に悪寒が走った。


「──う……わ」


 ずるずると何かが自分の中から引き出されていくのがわかる。魔術を使う時には一瞬しか感じなかったノイズがずっと走っている。


 違う、とすぐに理解した。

 これは魔力じゃない!


 頭の中で警鐘が鳴り響く。

 これ以上は何かよくないことが起きる!


「あ、まず──」


 遅かった。


 バチン、と大きな音をたてて杖が吹き飛ぶ。


 両手から黒い何かが漏れ出てくる。

 なんだこれ……。


 黒い何かは次第に膨れ上がっていく。

 あっけにとられていると、黒い何かは触手のような形になり、うねうねと動き始めた。まるで俺の中から外に出たがっているような……。


「と、止めなきゃ……!」


 でも、どうやって止めればいいんだ?

 思わず口に出した言葉に、頭の中の冷静な部分が問いかける。

 魔術とは違って、これは魔力を使っていない。ただでさえ勝手に出てきたものだ。それの止め方なんてわからない。


 ノイズがひどくなってきた。

 次の瞬間、パリンと何かが割れる音がした。

 何が割れたのか考えて、すぐに思い当たる。

 結界だ。

 上級魔術まで防ぐ結界が割れている。

 ふと、手元を見ると、さっきまであった黒いうねうねが消えていた。


「はっ……はっ……」


 呼吸が浅くなる。

 直感で、本当に何も根拠のない直感で確信した。


 間違いなく、これは『呪い』だ。


 そして、まだ終わっていない。こっちに関しては、そう思った理由がある。

 ノイズが、まだ止まっていない。


「…………は、え?」


 思わず情けない声が出た。


 気がつくと、目の前に人のようなものが立っていた。

 顔も、手も、足もすべてが黒く塗りつぶされている人型の何かだ。

 人型の何かは、微動だにせずその場に立っている。 


「あ」


 目があった。

 黒く塗りつぶされた顔には、目があるのかすらわからないが、なんとなくそう思った。

 そこで、俺の意識は途絶した。

 意識がなくなる直前に、黒い人型が笑った気がした。


 なぜだか、懐かしいような、恥ずかしいような、そんな感慨を覚えた。



*



 目が覚めると、知らない天井が目に入った。


 ……嘘だ。一度でいいから言ってみたかっただけだ。

 俺はよく知っている天井のある部屋、つまり自室で目が覚めた。

 俺が寝ているベッドの脇には、心配そうな顔をしたイライザとエルフィンがいた。吹き飛んでしまった杖も立てかけてある。

 エルフィンによると、大きな音が中庭から聞こえたので駆けつけてみたところ、俺が一人で気を失っていたそうだ。目立った外傷はなかったものの、エルフィンは俺を部屋に運んだあと、念のためイライザを呼んで俺を診てもらっていたらしい。


 気を失っていたのは、二、三時間くらいのようだ。

 ノイズは鳴りやんでいた。


「ありがとうございます、兄様」

「お礼ならイライザさんに。ウィルが気を失っている間、回復魔術をかけ続けていてくれたからね」

「そうでしたか……ありがとうございます、イライザさん」

「いえ、外傷もありませんでしたし、私は何もしておりません」

「それで、ウィル。何があったんだい?」

「…………魔術の鍛錬をしていたのですが、どうやら魔力を使いすぎてしまったらしく、気がついたら……」


 呪いのことは言えなかった。

 もちろん、俺が呪いを持っていることはエルフィンもイライザも知っているが、最後に出てきた黒い人型。あれについて説明する気にはなれなかった。


「そういうことか。なるほど、なるほど」


 俺の嘘に、エルフィンはすぐに納得して頷いた。

 どうやら、エルフィンはあの人型を見てはいないらしい。まあ見ていたら、こんなに落ち着いてはいないだろうからな。


「これが壊れていたから、ちょっと無茶なやり方で鍛錬をしていたのはなんとなくわかってはいたんだ」


 そう言って、エルフィンは手のひらサイズの円盤状の物体を差し出した。

 結界を生成する魔道具だ。真ん中に大きな亀裂が入っている。

 確証はないが、おそらくあの呪いのせいだろう。結界を割った時に、その魔力のもとである魔道具にまで何らかの力が及んだのだろう。


「その……ほかには何かありませんでしたか……?」

「ほか? 特になかったよ」

「……そうですか」


 何か痕跡があればと思ったが、そううまくはいかないらしい。



 エルフィンとイライザが部屋を出て行ったあと、しばらく考えてみた。

 あれはいったい何だったのか。

 『呪い』だというのはわかる。直感だが、確信している。

 でも、起こった現象についてはわからないことだらけだ。特に最後の、あの黒い人型。よくないもの、ではない気はするが……。

 でも、杖が吹き飛ぶ直前には何かよくないことが起きるような気がしていたんだよな。


 うーん。

 こうして改めて振り返ると、直感とか勘とか気がする、とかあやふやなことばかりだな。


「──よし! 保留だ!」


 正直、今の俺の知識ではこれ以上は何もわからない。

 どうせレスペデーザ家では呪いのことを教えてもらえるのだから、その時にリィンあたりに訊いてみよう。


 それまでは、さっきみたいなことは控えておこう。

 呪いは使用者を自滅させることもあると、リィンも言っていた。

 いまさらかもしれないが、取り返しのつかないことになってからでは遅いからな。

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