第13話 ただいま

 バンッ!


 俺がいい感じに話をまとめたと思った時、後ろの扉が勢いよく開いた。

 そこにいたのは、泣きはらして目を真っ赤にしている、三十代半ばくらいの女性だった。

 よく知っている人物だ。いや、まあよく知っているというか……。


「エリナ……何かあったのか?」


 デリックが女性に向けて問いかける。


 エリナ・フィアレス。デリック・フィアレスの妻であり、エルフィンとアンリ、シンシアの母親でもある。

 つまり、俺の母親だ。


「何かあったのか、ですって……? 娘と息子が危険な目に遭っていたというのに、のんきに待っていられますか!」


 エリナはそう言うと、泣きながらシンシアのことを抱きしめた。


「う、うう……、シンシア、怖かったわよね……。怪我はない? 体調は大丈夫?」

「お母さん、私は大丈夫だよ? アンリ姉と……その、兄さんに助けてもらったから」

「そう、そうなのね。アンリ、ウィルこっちに来て?」


 言われるがままに寄ると、俺とアンリも抱え込むように抱き留められた。


「三人とも、無事でよかったわ……」


 うう、とまた泣き出すエリナ。


「エリナ、今はアンリたちから報告を受けていたところだ。またあとで──」

「あとで? 責任だのなんだのとごちゃごちゃ……! そんなことよりも、自分の娘と息子に言うべきことがあるでしょう!」


 エリナは立ち上がると、デリックをにらみつけた。

 おっと、夫婦喧嘩になりそうだな。


「あの、母様」

「なぁに、ウィル?」


 デリックに詰め寄った時とは全く違う、甘い声でエリナが返事をした。まるで電話に出た時の母親の声変わりだな。いや、母親ではあるのだが。


「聞いていた、というのはいったいどこからですか?」

「もちろん、アンリが報告を始めた時からよ」


 どうやら、ずっと聞き耳を立てていたらしい。


「あなたたち、すこーーしだけ待っていてね。ちょっとお父さんと話すことがあるから」


 アンリはそう言うと、隣の書斎へとデリックを連行していった。心なしか、デリックはしょんぼりとしていたような気がする。

 普段は威厳たっぷりの父だが、こうなるとどうしようもないな。

 すぐに書斎の方から、エリナのお𠮟りの声が聞こえてきた。デリックの声は聞こえない。がんばれ、父よ。



「やあ、みんな無事で何よりだよ」

「エル兄!」


 聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはエルフィンが立っていた。

 シンシアが嬉しそうな声を上げる。


「イライザさんも、アンリたちを助けてくれてありがとうございます」

「……いえ、私は何も……」

「貴女がいてくれたからこそ、三人とも五体満足で帰って来られたのです」

「……はい」


 エルフィンの言葉に、イライザは納得していないようだ。こればっかりは仕方がない。イライザが自分を許せるかどうかだ。

 エルフィンもそれはわかっているのか、それ以上は何も言わなかった。


「それにしても、さっきは済まなかったね。僕も母さんを止めたんだけど……」

「お母様は心配性だから、しょうがないわよ」


 子供を持つ母親なら普通じゃないのかと俺は思うのだが、この世界ではそうではないらしい。

 魔物がいたり、魔術があったり。前の世界よりも格段に死が近いことも関係しているかもしれないな。


 しばらくすると、エリナとデリックが書斎から出てきた。

 エリナはまだ怒りが収まらないのか、目つきが厳しいままだ。対するデリックは……。気のせいだとは思うが、若干縮んでいる気がする。


「待たせてごめんなさいね。……ほら、あなた」

「……あ、ああ」


 エリナに促されてデリックが俺たちの前に立つ。


「その……なんだ、ええと……」


 デリックにしては歯切れが悪い。何か言いづらいことなのだろうか。


「……アンリ、ウィル、シンシア。三人とも無事でよかった。……おかえり」


 意を決したようにデリックが言葉を発する。

 言われた俺たちは思わず顔を見合わせる。およそ、父に似合わない言葉だったからだ。


「ほら、あなたたちも言うことがあるでしょ?」


 固まってしまった俺たちに、エリナがフォローを入れてくれた。

 この世界でも、「おかえり」に対しての返事は変わらない。

 アンリとシンシアは笑っていた。かくいう俺も──。


「「「ただいま!」」」



*



「兄さん」


 デリックへの報告も終わり、自室に戻ろうとしていたら珍しくシンシアに呼び止められた。


「どうしたの?」

「えっと……その、怪我、大丈夫だった?」

「ああ。もちろん大丈夫だよ。イライザさんに治してもらったからね」

「……そうじゃなくて」


 うん?

 シンシアが何か言いたげな顔をしている。


「……痛くなかった?」


 しばらく沈黙していたシンシアが、ポツリと口にする。


「全然痛くな──。……いや、結構痛かった」


 嘘をつこうとして、やめた。

 シンシアの今にも泣きだしそうな顔を見て、ここは誠実であるべきだと、そう思った。


「そう……」


 シンシアは余計に泣きそうになっていた。


 ま、まずい。

 妹を泣かす兄なんて最低だ……! さっきの判断は失敗だったか……?

 いや。それよりもこの場を何とかしなくては!


「で、でも、回復魔術をかけてもらったら痛みもすぐに消えたから! い、いやー、回復魔術ってすごいなぁ」


 ちらりとシンシアを見る。彼女はもう泣きそうな顔はしていなかった。その代わりに、何かを決意したかのような目をしていた。


「……シンシア?」

「次は私の番だから」

「あ、うん」

「じゃあ、おやすみなさい」

「お、おやすみなさい……」


 それだけ言って、シンシアは自室へと戻っていってしまった。

 よくわからないまま頷いてしまったけれど、いったい何だったのだろう?

 あれ? よく考えると、今シンシアからおやすみの挨拶をされたのか? 今まで俺の挨拶を無視していた彼女が?


「……どうなってんだ?」


 思わず呟く。

 シンシアの考えがわからない。普通、双子って以心伝心的な感じじゃないのか?


「ふぁぁあ」


 だめだ。眠くて考えがまとまらない。

 さすがに今日は疲れた。


 もう寝よう。おやすみなさい。

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