第11話 急襲②

「グルルルル……」


 唸り声が聞こえる。

 先ほどまでアンリが立っていた場所に声の主はいた。見た目は白狼ホワイトウルフそっくりだ。だが、違う箇所もあった。


 まずは毛並み。白狼ホワイトウルフはその名の通り、白い毛並みをしていたが、今目の前にいるやつは銀色に輝いていた。

 そして大きさ。白狼ホワイトウルフは大型犬と同じくらいだった。こいつはその三倍以上の体躯たいくを誇っている。もしかすると、先ほど倒したやつらのリーダーかもしれない。


 勝てない、とすぐに悟った。

 アンリがほとんど反応すらできずに吹き飛ばされた相手だ。俺が敵うはずがない。

 視界の端にシンシアが映った。驚きのあまりだろうか、彼女も地面に座り込んでいた。茫然ぼうぜんとしていて、何が起こったのかわかっていないようだ。

 シンシアを連れて逃げよう。それしかない。本当はアンリも連れて行きたいが、どこまで飛ばされたかわからない。そもそも生きているのかさえ……。


 いや、弱気になるな。今できることをやるんだ。

 シンシアを連れて逃げる。そして、イライザを呼んできてアンリを探す。

そうと決めたらやることは一つだ。

 白狼ホワイトウルフの足元に杖を向け、砕土さいど系統魔術で地面を隆起りゅうきさせる。突然の地形の変化に、白狼ホワイトウルフが後ろへと飛び下がる。


「『水霧ミスト』」


 距離ができた隙に、水流系統魔術で霧を発生させる。そして、あらかじめ確認していた方に向かって疾走する。


「シンシア!」


 シンシアは先ほど見た時と同じ態勢で座っていた。

 俺はシンシアの腕をつかむと、無理矢理に立ち上がらせた。


「シンシア! 早くここから逃げるぞ!」

「……え? でも……アンリ姉が……」

「アンリを探すのはあとだ! まずは安全なところまで行かなきゃ!」


 シンシアには悪いが、ここで押し問答をしている暇はない。

 俺は彼女の手を握って走り出した。てっきりシンシアは抵抗するかと思ったが、俺に手を引かれるままついてきてくれた。

 ちらりと後ろを見る。水霧ミストでこちらのことを見失ってくれればいいが、そう甘くはないだろう。

 やはりと言うべきか、霧の向こう側から大きな影がこちらに向かって迫ってきていた。正確な居場所はばれていないようだが、大まかな方向はわかっているみたいだ。 

 くそ、予想が当たったのに全然嬉しくない!


 後ろに向けて氷柱撃アイシクルショットを連発する。走りながらだとうまく目標を定められないが、そこは数で補えばいい。それに当たらなくてもいいのだ。やつの足止めさえできれば……!

 だがその考えは甘かった。


「ウオォーーーーーン!!」


 やつの影は俺が放った氷柱撃アイシクルショットをすべて避けると、突如として咆哮した。

 その瞬間、水霧ミストが文字通り霧散した。


「なっ……」


 嘘だろ……?

 まだ俺は水霧ミストを解いていないのに!

 俺たちの正確な位置を補足した白狼ホワイトウルフが、猛烈に迫り来る。

 まずい! 追いつかれる!

 俺は咄嗟に先ほどと同じようにやつの足元の地面を変化させた。だが、やつも学習していたらしい。距離を取るどころか、大きく跳躍してそのまま襲い掛かってきた。

 狙いは……シンシアか!

 シンシアの手を引いていた右手を思いっきり引っ張り、俺と彼女の位置を入れ替える。そして杖を持った左手と左腕全体に、魔術で氷を覆わせてやつに向かって突き出した。


「がぁぁう!」


 唸り声とともに、やつの牙が俺の左腕に突き刺さった。

 痛い、痛い、痛い!

 痺れるような激痛が走る。あまりの痛さに一瞬目の前が真っ白になった。


「兄さん!」

「ぅうあああああ!!」


 激痛に耐えるため、大声で叫びながら左腕に魔力を注ぎ込む。イメージは凍結だ。やつの牙と俺の左腕を固定する!

 腕を覆っていた氷が白狼ホワイトウルフの牙にも伸びていき、上あごまで凍り付かせた。


「……ぐるるるっ!」


 白狼ホワイトウルフは何とかあごを引き離そうとしている。ミシミシと氷が軋む音がする。この硬直状態もそう長くは持たない。今のうちに、こいつを戦闘不能にする必要がある。

 俺はシンシアの手を放し、残った全魔力を右手に込める。杖は左手に持っているが、この至近距離なら外すこともない。


「はあああああぁぁっ!!」


 左腕を顔の前までぐっと引き、それにつられて伸びたやつの喉元に掌底しょうていを突き刺した。当たった瞬間、右手に溜めた魔力が解放され、雷撃が白狼ホワイトウルフの体を貫いた。雷はそのまま空へと流れていった。

 衝撃で左腕の氷が砕け、俺は吹っ飛ばされた。


「に、兄さん!」


 シンシアが慌てた様子で、後方に飛ばされた俺の方へと駆け寄ってくる。

 全身が痛みで悲鳴を上げている。今にも意識を手放してしまいそうだが、それはまだできない。


「……シ、ンシア……、あいつは……?」

「あいつは……、うっ!」


 俺の上体を支えながら、シンシアが呻き声を漏らした。

 俺にもすぐに、その意味がわかった。

 やつは、白狼ホワイトウルフはまだ立っていた。喉元は焦げていて、口からは血が流れ出ている。先ほどの一撃はかなりのダメージを与えたようだ。

 だが、まだ、致命傷ではない。


「……くそっ……」


 思わず呻いてしまった。

 魔力はすでに空っぽだ。氷で止血されていた左腕からは血が流れ出ている。至近距離で魔術を使った際の衝撃で、全身が痛い。


「……シンシア、一人で逃げられるか……?」


 こうなっては致し方ない。シンシアだけでも逃がさなくては。

 シンシアがこちらを振り向く。

 彼女は複雑そうな表情を浮かべていた。

 泣き出しそうな、悔しそうな、でもどこか満足していそうな表情。この顔には見覚えがある。俺に模擬戦で負けた時と同じ表情だ。

 しかし、その表情はすぐに消え、代わりに覚悟を決めたような眼差しを向ける。


「次は……私が!」


 杖両手で握ってシンシアが立ち上がった。


「ま……て、シンシア……」


 傷が深いのか、白狼ホワイトウルフはまだ動かない。警戒もしているのだろう。

 対するシンシアは、手が震えていた。当たり前だ。彼女はまだ八歳だ。

 くんっ、とほんのわずかだが白狼ホワイトウルフの体が沈み込んだ。来る……!


 身体は動かせない。


 目をそらしたい気持ちをぐっと抑える。

 まだ、その時は訪れない。


 時間が引き延ばされているような錯覚に陥る。

 流れる汗が──。


 ……あれ? まだ?


残心流ざんしんりゅう、『居合いあい神速剣しんそくけん』」


 おかしいな、と思ったその時、馴染みのある声が聞こえた。

 キン、と納刀した音がして、白狼ホワイトウルフの首がごとりと落ちる。


 声の先に顔を向ける。

 そこには、黒い髪をなびかせた、血だらけの少女アンリが立っていた。


「私の妹と弟に手ぇ出してんじゃないわよ」

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