第9話 遭難者には恫喝を
「……ん? 何か聞こえませんか?」
イライザの案内で帰路についている時だった。森の中で聞こえる音とは異なる、かすかな異音が聞こえた気がした。
「……そお? 何も聞こえないけど」
「姉様、
「わかったわ」
アンリが珍しく俺の言うことに素直に従って、
「──うん、確かに何か聞こえるわね……。これは……人の声?」
「どうしますか、姉様」
「そうね……。とりあえず声のする方に行ってみましょう。もしかすると、遭難している人がいるかもしれないし」
「お待ちください、アンリ様。魔物の中には人の声を模倣して獲物をおびき寄せる種もいます。慎重になった方がいいのでは?」
イライザがアンリの決断に待ったをかける。
人の声を
「わかっているわ。でもこの森にそんな上位の魔物が出るなんて聞いたことがないし、もし困っている人がいれば助ける必要があるでしょ? フィアレス家の一員として」
「……おっしゃる通りです。差し出がましい真似をして、申し訳ありませんでした」
イライザが真面目な顔をして頭を下げる。
「いいのよ。──さて、声のする方へ行くわよ!」
アンリは大雑把でせっかちだが、貴族としての振る舞いはしっかりとしているのだ。
結論から言うと、声の主は魔物ではなかった。
「君たち、大丈夫?」
アンリが声をかけた先にいるのは、二人の子供だ。子供といっても、片方は俺と同じくらいの年齢だが。
「な、なんだお前たちは!」
年長──十歳くらいの男の子が、年少の男の子を後ろにかばいながらこちらに警戒心をむける。兄弟だろうか。
「私たちは……まあ冒険者みたいなものよ。この辺りの魔物を狩っていたの。あなたたちは?」
「冒険者? そんなわけあるか! まだこんなに小さいのに!」
指を差された。
まったく、人のことを指差してはいけないと両親におそわらなかったのだろうか。いや、そもそもこっちの世界では指差しってマナー違反だったっけ?
だが、気持ちはわかる。普通に考えて、八歳の子供は魔物を狩りに森に入ったりはしないよな……。
「……確かにウィルは小さいけどね、そんじょそこらの魔術師よりも断然強いのよ……!」
あ。
まずい。
アンリが若干キレそうになっている。彼女は家族が大好きだ。家族に対する悪口なんかには容赦がない。
とりあえずここは俺が引き取るしかないか。
「ま、まあ姉様。落ち着いてください。──ええっと、僕の名前はウィルフレッドと言います。こちらは姉のアンリと妹のシンシア、そして冒険者のイライザさんです。実は僕たちはイライザさんのもとで修業している冒険者見習いでして、この森にも鍛錬のために来ているのです」
冒険者云々は適当だ。そもそも冒険者見習いなんて存在するのだろうか。
少年がぽかんとしている。
それもそうだろう。自分より小さいやつが、急にペラペラとしゃべりだしたのだから。しかも敬語で、だ。
「ところで、あなた方のお名前をお聞きしてもいいですか?」
「……お、俺はノーシス。この近くのオオギ村出身だ!」
俺の説明が功を奏したのか、それともアンリの怒気が効いたのか少年が名乗り返してくれた。
オオギ村は俺たちが森に入る前に立ち寄った村だな。
「それでこっちが弟のトール」
「お兄ちゃん……」
トールと呼ばれた少年が、ノーシスの服の裾を掴み不安そうにこちらを覗き見ている。歳も近そうだから、そんなに怖がらなくても……。
「それで、ノーシスさんとトールさんはどうしてこの森に?」
「それは……その……。別にお前たちには関係ないだろ!」
うーん。何かやましいことでもしていたのだろうか。めちゃめちゃ警戒されているな。
ドン!
突然、後ろから鈍い音が聞こえたので振り返ってみると、アンリが剣を鞘に納めたまま地面に突き立てていた。
「ウィルが、訊いて、いるでしょう?」
怖い!
顔は一応笑っているが、それを笑顔と呼ぶのには抵抗がある。
警察が取り調べを行う時に、怖い警察と優しい警察の役割分担をして口を割らせる、みたいな技法があるらしいが、図らずともそのような構図になってしまっている。
ですが姉様。それはやめた方がいいです。後ろでシンシアがめっちゃビビってます。
恫喝、もといアンリの優しい問いかけのおかげか、ノーシスが森に入った理由を話してくれた。
*
二人は薬草を採取しに森に入ったらしい。
オオギ村では農業のほかに、この森で採れる薬草を商人に売ることで稼ぎを得ている。ただ、ここ最近の魔物の増加を鑑みて、村長が村への立ち入りを禁止したらしい。判断としては妥当だが、薬草分の売り上げがなくなるのは困る。そういったことを大人たちが話しているのを聞き、それなら俺が採りに行ってやるよ、とまあそんな感じだ。
幸いにも魔物に遭遇することはなかったらしいが、いつもとは違う雰囲気の森に戸惑い迷ってしまったらしい。その際、慌てたトールが足をくじいてしまい、動けなくなったそうだ。
動けなかったのは不幸中の幸いだな。むやみやたらに歩き回ってさらに深いとこに迷い込む可能性もあるし、魔物に見つかる確率も高くなる。
「それじゃあ、僕らと一緒に村まで帰りましょうか。ちょうど僕たちもオオギ村に戻るつもりでしたし。イライザさん、トールさんをおぶってもらっても──」
いいですか。
その言葉は発せなかった。
普段はポーカーフェイスでクール。感情をあまり表に出さないイライザが、深刻そうな顔をしていたからだ。こんなに険しい表情を浮かべている彼女は初めて見る。
「……アンリ様」
「……ええ、わかっているわ。囲まれたわね」
「この感じ、
「そうね。すぐには襲い掛かってこず、こちらの様子をうかがっているもの」
「はい、おそらくそこの二人の子供をわざと襲わず、他の獲物が掛かるのを待っていたのでしょう。こちらが次に行動を起こせば、それを契機に襲いかかってくると思われます」
どうやらDランク以上の魔物に囲まれているようだ。俺は全く気がつかなかったが、アンリとイライザにはわかるらしい。
「全員で逃げる……のは無理そうね。怪我をしている少年を担げるのはイライザだけだし、この人数だとすぐに追いつかれる。ってことは誰かが足止めしなきゃだめね……。イライザ、そこの二人とシンシアとウィル。四人を連れてここから脱出できる?」
「それは…………。アンリ様はどうなさるおつもりですか?」
「やつらを食い止める」
イライザは数秒間
「……私がしんがりを務めますので、アンリ様、ウィルフレッド様、シンシア様は村まで走ってください」
「この二人は?」
「置いていきます」
「──っ、だめよ」
アンリが怒った表情を浮かべている。
「しかし──」
「だめなものはだめ。ここで小さい子供を置いてくなんて、フィアレス家の一員として認められないわ」
二人の意見は平行線をたどっている。
アンリの意見もわかるが、イライザの意見もまたわかる。彼女の立場からすれば、雇い主であるデリックの子息たる俺たちを危険にさらすわけにはいかないのだろう。俺だってアンリを残して逃げるなんて絶対に嫌だ。
「それじゃあ僕もアンリ姉様と一緒に残りますよ。それならどうですか?」
「ウィルフレッド様、それは──」
「いいわ。私とウィルで残る。イライザはシンシアとそこの二人を連れて村まで退避して」
即断即決。さすがはアンリだ。
「……わ、私も残る!」
それまで黙っていたシンシアが、突如声を上げた。
「シンシア、それは──」
「兄さんは黙ってて!」
俺は思わず口をつぐんだ。
シンシアに声を荒げられたことは、ほとんどない。たいていは気のない返事か無視だ。
だから、そんな彼女に静止の言葉をかけようとした俺はフリーズしてしまった。
声は震えている。強く握りこんでいるからか、杖を持つ両手は少し白くなっている。
しかし、眼は違った。今すぐにでも泣き出しそうな眼には、ある種の決意があるように俺は思えた。
「……わかった。シンシアもフィアレスだもんね」
そう言って、アンリがシンシアの頭を撫でる。
「それじゃあ、私とウィルとシンシアで魔物を食い止めるから、イライザはノーシスとトールを村まで避難させて。──これは命令よ」
イライザに向けて、アンリが命令を下す。
「……わかりました。なるべく早く戻ってきます」
本来であれば、イライザはアンリの命令に従う必要はない。彼女の主人はアンリではなく、フィアレス家当主であるデリックだからだ。
だが、イライザはトールを背負うと、ノーシスの手を取り、こちらを振り返った。
「村への道には魔術で跡をつけておきます。退却する際はそれを辿ってください。──アンリ様、ウィルフレッド様、シンシア様。ご武運を」
そう言うと、イライザは村へ向けて出発した。
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