第8話 ウィルフレッドの初陣

 しばらく森を歩いていると、不意にアンリが立ち止まった。


「アンリ姉……?」


 シンシアが不安そうな声を出す。


「魔物……多分小鬼ゴブリンね。全員、構えなさい」


 アンリがそう言って、腰にある得物えものに手を添える。この世界では珍しい打刀うちがたなだ。

 俺も杖を両手で持つ。心を落ち着かせるように深呼吸する。

 ……大丈夫、大丈夫だ。


「……二時の方向、数は五体。姿が見えたら私が突っ込むから、ウィルとシンシアは。イライザは任せるわ、適宜動いてちょうだい」


 撃ち漏らす分?

 どういうことですか? とアンリに問いかけようと思ったが、遅かった。


「──ふっっ」


 息を吐く気配と同時に、アンリが駆けだしていた。

 その先には人影が五つ並んでいる。

 いや、人影ではない。小鬼ゴブリンだ。背格好は俺と同じくらいだろうか。暗いところで見ると、人の子供と見間違えてしまいそうなシルエットをしている。だが、よく見れば耳は少しとがっているし、目は赤く輝いている。アイアンクローのような手は、どう考えたって魔物のそれだ。


「──しっ!」


 鋭く、とがったような呼吸音が聞こえてきたと思ったら、アンリの周りに首がない小鬼ゴブリンが三体も出来上がっていた。

 何も見えなかった。

 俺が目の前の状況にあっけにとられていると、同じように驚いていた小鬼ゴブリンが先に我に返った。二体の小鬼ゴブリンはアンリを危険な相手と認識したのだろう。その本能からか、アンリの横をすり抜け、逃げるように俺たちの方に向かってきた。


「シンシア! ウィル!」


 ……はっ!

 そうだ。ボーっと見ていたが、すでに戦闘は始まっているのだ。

 落ち着け。まだ距離はある。小鬼ゴブリンもこちらに襲い掛かってきているというよりも、アンリから逃げているだけだ。大丈夫、当てられる……。

 意識を身体の中心から手に、そして両手で握っている杖へと張り巡らせる。

 小鬼ゴブリンに有効そうな魔術はたくさんあるが、ここは……。


「『氷柱撃アイシクルショット』!!」


 俺の目の前に魔術で創りだした氷柱が現れ、術名を唱え終えるのと同時にすさまじい速度で小鬼ゴブリンに向かって突進を始める。氷柱は小鬼ゴブリンの胸の真ん中を貫き、そのまま数メートル後ろに吹き飛ばした。小鬼ゴブリンはピクリとも動かない。


「……ふう」


 やってみると、意外にあっけなかったな。これなら──。

 いや、まだだ!

 小鬼ゴブリンはもう一体いる!


「──っシンシア!」


 油断した。

 自分のことばかり気にしていて、シンシアの方まで気が回らなかった!

 ついさっき妹を守るべきだと再認識したばっかりじゃないか!

 いや、今はそんなことどうでもいい。それよりも──。


「……あれ?」


 焦りながら振り向いた俺の視線の先に映ったのは、肩を上下させながら荒い息をしているシンシアと、その正面にある黒くくすぶっている物体だった。


「二人とも怪我はないわね? 初陣にしてはよくやったわ! さすが私の妹と弟ね」


 気がつくとアンリがこちらまで戻ってきていた。すでに剣は鞘に納めており、先ほどまでの剣気は霧散している。


「それにしても、シンシアの魔術はとてもきれいね。あんな火球ファイアボールは初めて見たわ」

「……ありがと、アンリ姉」


 照れくさそうに、だがどこか嬉しそうにシンシアが答える。

 どうやらシンシアは火球ファイアボール小鬼ゴブリンを倒したらしい。焦っていた俺が道化みたいだが、シンシアが無事ならそれでいいか。

 それに、うちの妹は八歳にして小鬼ゴブリンも倒せるんだ! と思うと誇らしくもある。


「ウィルもさすがね! 氷結系統魔術を使えるようになっているなんて知らなかったわ。確か魔術の先生は氷結系統を使えなかったと思うのだけれど、誰に教わったの?」

「先生の持ってきた魔術書に書いてあったので、それを見て独学で練習していました。相手がいる状態で使ったのは初めてですが」

「──へえ。ウィルには魔術の才能があると思っていたけど、私の想像以上ね」

「私から見ても、お二人の魔術は素晴らしいものでした」


 イライザがそう言って俺とシンシアのことを褒めてくれる。

 助かった。アンリが俺を褒め始めた時から、シンシアの機嫌が若干悪くなっていたからな……。


 とはいえ、イライザにそう言われると複雑な気持ちになる。さっきの俺の氷柱撃アイシクルショット。魔術書には、氷結系統魔術『氷柱撃アイシクルショット』は青みがかった透明の氷柱つららで相手を貫く、と記載されていた。

 だが俺の放った氷柱撃アイシクルショットは、透明ではなく黒が混ざりこんだ青のような色をしていた。まあ別にこの魔術に限ったものではなく、俺が使う魔術は大抵黒くくすんでいるが……。

 反省会はこれくらいにして、俺はアンリに気になったことを質問してみた。


「アンリ姉様、小鬼ゴブリンたちと開戦する前に『撃ち漏らす分をお願い』とおっしゃっていましたが、あれはどういう意味です?」


「うん? ああ、あれね。いや、私が全部倒したら二人のためにならないでしょ? だからあえて二匹見逃したってわけ」


 あっけらかんとアンリが放言した。


「……はあ。それはいいのですが、できれば事前に言っておいてほしかったです」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「はい、アンリ様。できれば事前の相談しておいてもらえると、私もフォローしやすいのですが」


 イライザからの援護射撃だ。彼女も俺と同じことを思っていたらしい。


「う……、わかったわ。次からは気を付ける」


 歴戦の冒険者であるイライザにお小言をもらったせいか、いつもより従順にアンリが反省の弁を述べた。



*



 それから何度か戦闘を行った。

 小鬼ゴブリン黒魔犬ブラックドッグといった、低ランクの魔物相手にアンリが先陣を切り、わざと撃ち漏らした個体を俺とシンシアで撃退する。基本的にはその戦術の繰り返しだ。

 アンリから慌てて逃げるだけではなく、俺たちを明確に狙ってくる個体にも何度か遭遇した。最初の頃は明確に向けられた敵意に慌てふためいてしまい、イライザに対処してもらっていたが、さすがに同じことを繰り返すうちに慣れてきた。

 今では一対一であれば、難なく対応できる。


「いやー、さすが私の弟妹ね! 飲み込みはいいし、度胸もある。それに魔術もうまい! ふふふふ」


 じゅるり、とよだれを垂らしながらアンリが不気味に笑っている。どうやらアンリにとって、俺とシンシアがうまく立ち回れているのがよほど嬉しいようだ。

 彼女は大雑把でせっかちで、それなりに短気だが、家族のことが大好きなのだ。


「それにしても、思っていたより魔物が多いですね」


 イライザが唐突に呟いた。


「……確かに、私も気になっていたわ。この森には何度か入ったことはあるけれど、ここまで魔物に出くわすのは初めてよ」


 アンリがよだれを引っ込めて、真剣な表情を浮かべる。


「はい。冒険者協会で聞いていたよりも、魔物の生息域が外縁部に広がっていそうです。──アンリ様、ウィルフレッド様とシンシア様は初めての狩りですし、この辺りで引き返すべきではないでしょうか」


 イライザがアンリに提案する。

 正直ありがたい。ここまでの連戦で魔力もそれなりに消費してしまっていたから、イライザが提案しなければ俺がアンリに言うつもりだった。

 それに、シンシアも結構疲れているみたいだしな。

 シンシアの方を盗み見ると、イライザの言葉にコクコクと頷いていた。


「そうね、今日はもう終わりにしましょう」


 リーダーであるアンリの決定で、俺たちは森から出ることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る