第4話 姉とお誘い

 アンリ・フィアレスは剣の天才である。


 エルフィンの妹にして、フィアレス家長女。そして俺とシンシアの姉でもある。

 ハイハイしながら剣を握っていただの、初めて立ったその日に木剣ぼっけんで素振りを始めただの、その天才ぶりにはいくつもの逸話いつわが付随している。

 まあ、その話を姉にしたところ「覚えていない」と言われたので、本当かどうかは眉唾物まゆつばものだが。

 しかし、このでたらめな噂は屋敷内でも、領内の町中でも意外なほどに信じられている。

 それはなぜか。


 二年前──アンリは十歳にして、毎年王都で開かれている剣術大会で優勝したのだ。

 大会優勝者の最年少記録を大幅に塗り替え、さらにはたまたま参加していたリーリア王国騎士団団長を決勝戦で完膚かんぷなきまでに叩きのめしたらしい。

 騎士団団長については詳しくは知らないが、おそらく相当強いのだろう。騎士団の団長だからな。

 ちなみに、去年行われた大会にはエルフィンも出場し、惜しくもベスト四だった。当時十三歳のエルフィンがベスト四まで進んだことも、アンリの件を除けば数十年ぶりだったらしい。

 すごいな天才兄妹。



*



 数日後、そんな姉が屋敷に帰ってきた。


「ウィル! 聞いたわよ、シンシアを泣かせたそうね!」


 ベッドに寝ころびながら本を読んでいると、どかん、と俺の部屋の扉がノックもされずに開かれる。

 驚いて音の方を振り返る。そこにはひと月ぶりに目にする、長い黒髪を肩あたりで無造作に束ねた姉──アンリの姿があった。


「……姉様、お久しぶりです」

「久しぶり、ウィル! 元気にしてた?」

「はい、特に変わりなく」

「そう、それならよかった。でも私のかわいい妹を泣かせた件については、詳しく教えてもらう必要があるようね」


 アンリが俺の前で腕組みをして仁王立ちをする。


「その話、誰に聞きましたか?」


 一瞬、シンシアがアンリに告げ口でもしたのかと思ったが、すぐさま頭の中で否定する。彼女は俺のことを嫌っているが、そういったことは絶対にしない。


「兄さんに聞いたわ。魔術の模擬戦でウィルがシンシアを泣かせたって」


 なるほど。

 確かにシンシアは泣きそうになっていたが、あれは負けたことに対する悔し涙だ。

 几帳面きちょうめんでどこまでも真面目なあの兄が、そのあたりのことを説明していないはずがない。大方せっかちなアンリが、「俺とシンシア」「模擬戦」「シンシアが泣いた」といったワードだけを拾って早合点はやがてんしたのだろう。


「いえ、あれはですね……」


 かくかくしかじか。

 俺は流れるように模擬戦の時に起こったことを説明した。


「……ふぅん、そういうことだったの。それならウィルは悪くないわね。疑ってごめんなさい」


 俺の説明に納得したのか、アンリはそう言って謝ってきた。

 彼女は大雑把でせっかちであると同時に、とても素直でもあるのだ。


「それにしても、相変わらずウィルとシンシアは仲が悪いわね」


 どうしたものかとアンリが思案顔になる。

 エルフィンもそうだが、我らが姉上は俺とシンシアの仲があまりよくないことをかなり気にかけている。今回彼女が早とちりしたのも、俺たちの関係性について気を揉んでいることが一因だろう。

 心配してもらえるのは嬉しいが、こういったことは一朝一夕ではどうにもならない。俺とシンシアはまだ八歳だ。年月を重ねれば自然と氷解していく可能性だってある。


 焦らずゆっくりと、だな。

 こういう思考をたどることができるのも、俺が転生者だからだろうか。前世の記憶は死ぬ直前のこと以外まったくないのだが、ある程度の経験則は思い出せる。

 転生が絡んでいるからピンと来ていなかったが、端的に言ってしまえば記憶喪失みたいなものなのだろう。


「そういえば姉様、王都はどうでした?」


 ぶつぶつと俺とシンシアの仲直り大作戦を呟いているアンリに声をかける。

 姉よ、多分その作戦は失敗します。それどころか余計こじれそうです。


「え? ああ……。うーんと、その……、まあまあよ!」


 ここ一か月、アンリは父のデリックに連れられて王都に行っていた。

 彼女が王都の剣術大会で優勝して以来、こういったことが多くなった。国王派の上級貴族が剣術の合同演習を定期的に開いており、アンリもそこにお呼ばれされているとのことだった。

 とはいえ、実際に打ち合うのは各家のご子息、ご息女らしい。


「まあ、姉様とまともにやりあえるような人はそうそういないと思いますが」

「…………ん。今回はそうでもなかったわね。一人だけ、かなりの手練てだれがいたわ。多分、ウィルと同い年か、ちょっと上くらいね。お互い本気ではなかったけど、結局決着はつかなくてちょっとイラっとした」


「それは……、姉様にそこまで言わせるなんて、想像もできないですね」


 ちょっと驚きだ。

 アンリの強さは、十二歳という年齢を超越している。大人でも彼女に剣術で勝てる相手なんてそうはいない。というか彼女が負けている姿は、デリックとの模擬戦くらいでしか拝めない。

 そんな姉と互角。それも俺と同じくらいの年齢のやつが、だ。

 才能あるやつって、どこにでもいるな。ちょっと自信がなくなってきた……。


「そんなことよりも! ウィル、あなた立ち合いで兄さんに『神速剣しんそくけん』を使わせたそうね!」


 アンリが嬉しそうな表情を浮かべている。どうやらシンシアとの模擬戦だけでなく、先日のエルフィンとの立ち合いのことも聞いてきたらしい。


「はあ、一応そうですね。一瞬で負けてしまいましたが」

「それはそうよ。兄さんの神速剣は初見じゃ対応は難しいから」


 でも、とアンリが続ける。


「それを使わせるなんてすごいわ! 私との立ち合いでもめったに使ってくれないんだから」


 エルフィンとアンリはよく剣術の立ち合いをしているが、そういえば兄が『神速剣』を使っているのを見たことがない。

 まあそもそも、傍から見ているだけだと、二人の速度が速すぎて何をやっているのか半分しかわからないのだが。


「それにしても兄さんが『神速剣』を見せるってことは……。まだ早い……? いやでもそろそろ……」

「……あの、姉様?」


 アンリが何かをぶつぶつと呟いている。

 俺の直感がアラートを鳴らしている。こういう時のアンリは、大抵ろくでもないことを画策かくさくしていると相場が決まっているのだ。

 ここにいてはいけない。何か口実を見つけてアンリの目から逃れなくては!


「……よし!」


 あ。

 遅かった。すでになたは振り下ろされてしまった。


「魔物狩りに行きましょう!」


 そう言って、アンリはニヤリと笑った。

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