第2話 現状整理

 この異世界に転生して早八年。

 それなりにわかったことがある。


 まずは前世のことだ。

 記憶がないので前世の自分がどんな人生を歩んできたのかはわからない。ただ、推察することはできる。


 例えば年齢。

 俺が持っている知識の中には、化学や数学、歴史といったものがある。これらの学習レベルを鑑みると、少なくとも高校生以上ではあるだろう。

 また、唯一持っているおぼろげな記憶もある。車を運転していて交通事故に遭った記憶だ。これはつまり、運転免許を取得できるような年齢であるということだ。無免許運転の可能性も否定できないが、そこは前世の自分の善性を信じることにする。

 俺個人の体感としても、二十代前半くらいな気がしている。これは完全に直感だから、あまり信用はできないが……。


 次に出身だが、まあこれは日本で間違いないだろう。

 今頭の中で考えている言語も日本語だし。

 英語は喋れなかった。単語くらいならわかるのだが、言語として扱うまでの知識はないらしい。

 ちなみに、この世界では日本語はまったく通じなかった。自動翻訳スキルとかあればいいな、と思っていたのだがそう都合よくできてはいないらしい。

 とはいえ八年も経てばこちらの言語も自由自在に操れるようになった。もしかすると、前世の俺は頭がよかったのかもしれない。英語は無理だったみたいだが。


 そのほか、アニメや漫画、ラノベといったものの知識も豊富だった。これらのおかげで早々に異世界転生に思い当たれた。どうやら前世の俺はかなりインドア派だったらしい。

 ……無職の引きこもりとかじゃないよな?


 次にこの世界だが、これに関しては一言で言い表せられる。

 剣と魔術の世界だ。

 異世界転生物の設定によくあるものだ。この世界もその例にもれず、前の世界とはまったく異なる原理の術が存在している。

 魔力とそれを使用して発動する魔術だ。

 もしかすると、俺の転生もこの魔術が関係しているのかもしれないが、今のところ手掛かりもない。いろんな人にそれとなく訊いたり、書物をあさったりしてみたが、転生というワードに行き当たることはなかった。

 転生の理由について気にならないわけではないが、俺はまだこの世界では八歳だ。ひとまずは精一杯生きて、大人になってからこの辺りのことを調べても問題ないだろう。


 それよりも、記憶を取り戻す方法を先に探したほうがいいのかもしれない。

 知識はあるのに記憶はないというのは、物自体はわかるが名前が出てこないような、そんなもどかしさがある。

 それに、仮に元の世界に戻ることになった場合、記憶が元通りになるなんて保証はない。まあ、そもそも俺は死んで転生したのだから、戻れるかどうかは怪しいが。


 頭の中で現状整理を行っていると、少し上から声が降ってきた。


「お疲れ様、ウィル。さっきの火球ファイアボールは素晴らしかった。先生顔負けじゃないかな」

「いえ、兄様。本当は結界に当たる前に消失させるつもりだったのですが、上手くいきませんでした」


 脳内会議を中断させ、年上の少年──我が兄上、エルフィン・フィアレスに答える。


 俺はリーリア王国ヨルキ領を治めるフィアレス家の次男、ウィルフレッド・フィアレスとして転生を果たした。

 領主──貴族の家系ではあるが、ヨルキ領は王国首都からも遠く、戦略的、政治的にも重要な土地ではない。いわゆる地方貴族だ。

 とはいえ貴族は貴族。礼儀作法や政治、算術等については三歳ごろから家庭教師がつけられているし、魔術に関しても十日に一度ではあるが、元冒険者の魔術師を先生として招いている。

 御年九十歳の魔術の先生は、話していることの半分が聞き取れないというデバフ持ちだったが。


「兄様、シンシアはどこに行ったのでしょう」


 ふと気がつくと、先ほどまで模擬戦を行っていた深紅の髪の少女の姿が見えなくなっていた。


「うん? ……ああ、またあの子は勝手にどこかに行ってしまったか。模擬戦のあとは感想戦をしなさいといつも言っているのに」


 そう言ってエルフィンはため息をつく。


「ウィルに負けたのがよほど悔しかったのだろうね。悔しがるのは悪いことじゃないんだけど……」

「……そうですね」


 シンシア・フィアレス。

 俺──ウィルフレッド・フィアレスの双子の妹にして、フィアレス家次女。

 そして、転生者ではない。

 これはかなり重要なことだ。

 異世界に転生した俺と、その双子の妹。最初の頃は彼女も異世界転生者ではないかと疑っていた。

 何度も日本語で話しかけたり、片言の英語を喋ってみたりしたが、それらしい反応が返ってきたことはなかった。

 一番油断しているであろう寝起きに「ヌルぽ」と言ってみたこともあったが、不思議そうな表情を浮かべて「おはよう」と挨拶してきた。

 ここまでくると認めるしかない。彼女は転生者ではないと。

 世代間ギャップとかは考慮しないものとする。


 そんなわけでシンシアはこの世界に生まれた普通の人間だ。

 とはいえ彼女が転生者であろうとなかろうと、家族として兄として、彼女とはいい関係を築きたいと思っていた。

 思っていた。過去形だ。

 正直、今の彼女との関係はいいとは言えない。


 小さいころ──今でも小さいが──は、俺がどこに行くのにもお兄ちゃん、お兄ちゃんとついてきて、それはもうかわいかった。

 それが変わったのは、日々の習い事が始まったころだったと思う。

 俺は転生者だ。

 記憶はないが知識はある。だから異世界で、慣れないことだらけだったとはいえ、礼儀作法も算術もそれなりにこなすことができた。

 剣術や魔術に関しても、この身体には才能があったのかまずまずの成果を出すことができた。


 そしてシンシアはそんな俺としょっちゅう比べられていた。

 同じカリキュラムを受けているし、双子ということもあって家庭教師たちが俺とシンシアを比較するのはわからなくもない。

 別段、シンシアは俺以外の同年代の子と比べて劣っているわけではない。彼らとしてもシンシアを責めているわけではなく、彼女を発奮はっぷんさせるために言っているのだろう。

 だがそれはシンシアを追い詰めた。

 次第に俺とは口を利かなくなり、模擬戦なんかで負けると露骨ろこつに不機嫌になるようになった。最近では廊下ですれ違っても挨拶すらしてくれない。

 俺もそのあたりを見極めて、手を抜くとかできればこうもこじれなかったと思うのだが、いかんせん異世界ということもあり、加減がわからなかったのだ。


 ……いや、これは言い訳だな。

 それにしても、前世の記憶があればそれを活かして上手く付き合えたのだろうか。たいてい異世界転生物のラノベでは、転生前の経験がピンポイントに刺さるのだが……。


 まあ、ないものねだりをしても仕方ない。

 この世界はゲームではないのだ。攻略法なんてものは存在しない。地道にやっていこう。

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