第18話

宿屋の厩は、馬が所狭しと詰められていた。考えてみれば当たり前の光景だが、普段の郊外の街では多くても数頭の馬がゆるりとくつろいでいる様子を目にするだけだったため、厩に投入れられたユーリを見下ろす逞しい馬達が普段よりも大きく見える。恐怖を感じて固まっている間に、ロープで手足を拘束され、鞄や身に着けていたネックレスをはぎ取られてしまった。担いできた騎士が手際よく仕事をこなしているところへ、他の騎士も駆け付ける。

「何もしていない善良な住民を捕まえるのが、あんたらの仕事なの?」

ひとつの考えに至ったユーリは、嫌味たらしく、つらつらと言葉を続けていく。「俺みたいにか弱い男を拘束しなきゃ抑え込めないなんて、軟弱なんだね」と鼻で笑うと、騎士の自尊心を傷つけたようだ。鉄製の甲手で脳を揺らされるほどの力で顔を払われる。

衝撃で首の筋を持っていかれ、歯と甲手に挟まれた頬の口内は出血し、ボロボロになっている。口の端から血が滴り落ちる。それでもユーリは歯を食いしばり「とんだ騎士様だよ、暴力で黙らせるしか能がないとはな」更に煽り出すと、我慢ならなくなった騎士が、大きく腕を振り上げて拳を向けてくる。そうだ、殴れ、と心の中で呟いたユーリは衝撃に耐えようと体を硬くした。しかし、あとから駆け付けた騎士が止めに入る。

「やめろ、顔を傷つけるな。安い挑発にも乗るな」

くそ、気づいてしまったかと舌打ちをする。顔を変形させてしまえば時間を稼げると考え、わざと相手を挑発していたが、こうなってしまえばどうすることも出来ない。触媒も、ネックレスも奪われ、手足の自由すらない状態で転がるユーリは、喪失感に覆われそうになる。何か他に手はないかと思考を巡らせている間に、冷静さを取り戻した騎士は、その場を託すとどこかへ姿を消してしまった。あとから来た騎士が、ユーリを見下ろして笑う。

「ここまで美しく育っているとは思ってなかったな。…お前は覚えていないだろうが、洗礼式での出来事は昨日のようだよ」

「洗礼…式?」

この男は、あの場にいたのだろうか。

「洗礼の儀を執り行った上役が、滅多な怒りに触れてはならぬと止めに入ったことで、すぐにはお前を探す声は上がらなかったんだ。まあ、その上役が亡くなったことで抑止力がなくなったんだろうな。巡礼と称してお前を探すのは少々骨が折れたな」

お目当てのものが目の前にある安心感からか、男は聞いてもいないのに、ことの経緯を話し出す。他にも幾人か美しいと言われていた者を理由をつけては攫っていたと饒舌に語る。教会は王国と対立するように強い力を保持し、民を救うためにその力を行使していたはずなのに、邪な、それも単に欲しいものを手に入れたいという短絡的で個人的な感情から、美しい者を手に入れるための人さらいとは。人々は思ってもみないだろう。教会が保っている信用の隙をついた悪行だ、とユーリは憤る。

このまま大人しく連れて行かれれば、俺も捕らえられてしまうが、蜥蜴さんが絶対に助けてくれる。どこからともなくそんな自信が沸き上がる。他の囚われた人たちと合流して、なんとか触媒を探し出して助けを呼ぶしかない、そう頭を切り替えてからも悟られないように、態度を軟化させることのないように気をつける。

「イカれてる、あんたら何をしてるのか分かってるのか?人攫いだぞ?」

「誰が俺らを罰することが出来る? 教会の信仰は今や王国の信頼を凌駕している。無駄に足掻いてないで、お前もその綺麗な顔を使って愉しめ」

心根が腐りきっている、汚いものに触れてしまったような気がして吐き気が込み上げる。これ以上この騎士と話したら、侵食されそうな気がしたので、その場は言葉を飲み込むと、数人の騎士が厩に現れ拘束されたままのユーリの脇を抱え、引きずって荷馬車に放り込む。

放り込まれた瞬間、肩に鈍い衝撃が走り、打ち付けられたところから鈍痛が広がる。後から乗ってきた見張りの騎士は、転がるユーリには目もくれず、荷台を叩いて御者に合図をすると、馬の嘶き声とともにどこかへ向けて走り出した。

舗装されていない道を通っているのか、荷馬車は軋むような音を出して弾みながら進んでいく。もう限界だ、と体が悲鳴をあげ始めた頃に、振動が緩やかになり舗装された道に入り始めた。荷馬車の中は終始無言、騎士はずっと外を向いており何かに耽っている。ユーリもこれ以上何も話すことはないと、触媒になりそうなものを考える。服と髪、それにどこかに囚われたら、そこかしこにあるものどれでもいい、蜥蜴さんに知らせるだけの触媒を探し出そう。知らせるだけなら、大きな代価の触媒はいらないはずだか、緊急性の高いことを妖精に悟られると、イジワルなことをしてくる奴もいる。どうにか、全てが思ってる通りに進んでくれと心の中で強く願った。

出発時と同様に、馬の嘶き声が聞こえたと思うと荷馬車が乱暴に止まったことで、前の方にユーリの体は転がり、荷馬車の壁に激突する。くそ、と小さく悪態をつき、そのまま丸まっていると、見張りの騎士ともう一人の騎士にまた引きずられ、荷台を降ろされる。

顔をあげると、数年前に来たあの大教会が目の前に飛び込んできた。少しも変わらないそれは、何も知らなかった頃の自分の恐怖を沸き立たせ、つい身を震わせた。


塔の主は、塔の扉の前をあてもなく何往復も歩いていた。一眠りして、いつもの起きる時間に目が覚めたが、塔の中にユーリのいる気配がない。夕暮れ前には、塔には戻るよう言い聞かせていたはずだ。それなのに、もう陽も暮れて闇が空を覆っていることに、苛立ちを感じていた。

どう考えても何かあったに違いない。ユーリの気配を探ると、街から遠のいてる。すぐさま使い魔を放ち気配を追わせる、自身は街の様子を探りに塔の外に出ると、珍しく妖精がこちらへ近づいてくる。

「ユーリが…!」

妖精のその一言を聞き終える前に、風を纏いその場を発った。

街は、いつものように夜の静けさとどこからともなく酒場の陽気な音楽や声が漏れ聞こえて、何も変わらないように見えた。しかし、宿屋の前を通ると普段なら見かけない軍馬と、頑丈な造りの馬車が止まっているのが見えた。近くに寄って紋章を確認すると、大教会のシンボルが刻まれている。

「フードの男だって?」

近くの酒場から出てきた、体の大きな男が声を張り上げている。その他にも二人ほどその後ろから酒場から出てくる。

「そうさ、夕暮れ時だから顔は見えなかったが、盗人だと言って連れていかれたんだ」

「もっと早く言わないか!ノロマめ!」

「トール、とにかくシスターに知らせよう」

「ああ、そうだな」

なるほど、攫われたか。

使い魔はユーリの薬の匂いをちゃんと辿るだろう。

俺から大事な子を奪うなど、人間も偉くなったものだ。口元に薄ら笑いを浮かべて、男が風を纏って街から姿を消すと、空を雲が厚く覆い始め、遠くから雷鳴が響いた。

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