第16話(第15話はR18のため非公開)

「頼む、もう少し……もう少しだけ」

最後に耳に届いたのは、蜥蜴さんの懇願するような声だった。どうやら抱かれている最中に意識を失ったようで、目覚めると蜥蜴さんのベッドに寝かされていた。

体が微睡みから覚醒すると急激に体のだるさがのしかかるように襲ってきた。繰り返し、繰り返し、好きだ、愛していると耳に絡まってきた、毒のように甘い声音が脳の奥で残響している。

「あんな甘い声はずるいでしょー…」

部屋の窓からの陽射しが、ユーリの瞼を照らし、眩しさに目を細めながら起き上がると、昨晩のことが思い返された。たしかに蜥蜴さんの寝室なのに、隣には当の本人がいない。不思議に思う気持ちはあった。しかし、考えようとする端から痛みが邪魔をして、まともに頭が働かない。

腰の痛さが昨晩のことは夢ではないと語っている。このままにしておけないが、薬は二階の調合室まで行かなければならない。深く息を吸い込み長い息を吐くとベットから動こうと意を決する。

いてて、と呟きながら床に足を下ろしたは良いが、立ち上がることが出来ない。俯いて自身のはだけた姿を目にした瞬間に、昨晩の全てのシーンが脳裏を駆け巡った。気恥しさがこみあげ、両手で顔を覆う。

「そうだった...いや、そうだよな」

腰も尻も痛いはずだ。知識の中では、性行為というものを知っていたが、それを自分がしたのだと体が覚えていた。そして、蜥蜴さんに愛されているのだと知ってしまった今、どんな顔をして会えばいいのかわからなくなっていた。

とにかく痛みを抑えようと、腰に手を当て支え、なんとか調合室の扉を開ける。棚を覗き込んで、お目当ての薬を探ると、1回分の痛み止めの粉を見つけた。その辺にある入れものを引っつかむと、調合のための水を溜めている桶から少し汲み、粉と水を一気に喉に流し込む。時間とともに緩和されるだろうと、調合室の椅子に座り込み、机に腕を伸ばして寝そべる。目を閉じてしまえば、また深い眠りにつけそうだったが、今日は街に薬を届ける用事がいくつかある事を思い出す。

おもむろに立ち上がり、調合室の扉を開け放つと冷たく澄んだ風が吹き抜け、ユーリの髪をさらってゆく。

「きもちー」

まだ、陽は登ったばかりだったので空気は冷えており、寝ぼけた意識をはっきりさせるにはちょうど良かった。

少し動いたことによって、痛みが誤魔化されたのか、薬が効いてきたのか、起きたときよりはいくらか動けるようになった。ゆっくりと歩き出すと、腰に痛みが響いてくるが我慢出来ないこともない。

深く息を吸い込み、出掛ける頃には痛みはほとんどなくなっているだろうと、薬の準備を始める。

「さすが、俺の薬」

陽が真上に差し掛かる頃には、だるさが残る程度で、普段通り動けるようになっていた。革の鞄を肩にかけて下の階に降りると、書斎部屋の扉が開いているのが目に入った。昨晩のことを思い出すと、羞恥がこみ上げてその場に蹲りたくなるので、本当は近づきたくなかったが、珍しくあけ放たれた扉を締めようと部屋に向かう。部屋前に立つと、隙間から一筋の風が通り抜ける。窓が開いてるのだろうか。そっと扉を押すと、いつもと変わらない本に埋もれた部屋だったが、テラスに繋がる大きなガラス窓の一角が開いていた。

使い魔が締め忘れたかもしれないな、と何の気もなしに書斎机を回り込んで窓をしめて振り返ると、気配もなく背後に蜥蜴さんが立っていた。

「び、っくりしたー!…え、寝てないの?」

この時間に鉢合わせるなんて思ってもみなかったユーリは、驚きで心臓が大きく跳ねる。しかし、目の下に隈があるのに気づいてすぐに寝てないのだと分かり、蜥蜴さんの後ろにある書斎机を覗いた。

机にはおびただしい量の紙が散らばって、その一枚一枚にびっしりと計算式と幾何学図形が書き込まれており、夜通し机に向かっていたことが窺えた。今までそんな挙動をしているのを見たことがなかったユーリは困惑しながらも、気遣うように蜥蜴さんを抱きしめる。

「大丈夫?どうしたの…」

「ユーリが足りない」

その言葉に、無意識に蜥蜴さんから体を離そうと一歩後ろに足を引いたが、腰を抱き寄せられ、ぴたりと体を密着させると、服の下に手を滑りこまされ、背中の筋を這うように撫で上げられる。まさか、こんな陽の高いうちから迫られることなど想定していなかったユーリは、必死で蜥蜴さんを押し返す。

「し、仕事、仕事あるから夜にして、足りるまでしていいから」

撫で上げている手を止め、無表情で見つめる瞳はユーリしか映さない。隙をついて、腕の囲いから逃れると、蜥蜴さんを視界にいれたまま、扉の方に素早く退避する。そのまま動かない蜥蜴さんに、行ってくるねと声をかけると風のように塔を出た。塔の扉が閉まる音が耳に届くと、その場に崩れ落ちるようにうずくまる。足りない、とユーリを求める蜥蜴さんの顔が、瞼の裏に焼き付いて離れない。

「なんなの…あの人。そんなの興味ありませんって顔してたじゃん」

蜥蜴さんは、眉間に皺を寄せる何もかもが鬱陶しいというような表情が、顔に張り付いて離れないような人だったが、ユーリを見る目には時に優しさがあった。しかし昨晩の情事の、あんなに雄々しい蜥蜴さんは知らない。そして最後に見た、うつろな目に静かに揺らめく炎を見てしまったことで背筋にぞくりとした感触が這う。いつまでもここで考えていても、仕事も終わらないし、夜は来てしまうと、深く息を吐き、だるさが残る体を引きずって街までの道のりをゆっくりと歩き出した。


街につくと、いつもと変わらず和やかではあるが、宿屋の前には馬や荷車が留まっており、常になく人が多くいることで珍しい賑わいを見せていた。街の住民以外には極力顔を見せないようにしていたユーリは、慌てて出てきてしまった為、迂闊にもフードつきのコートを忘れたことに気づいた。まずいと思い家屋の陰に身を潜ませ、鞄に入れた鉱石を探る。手に固い感触が当たると、それを握りしめ、願いを込める。フードがついたコートをここへと、小さく呟くと、握った手を風が包み込む。

瞬時に目の前にコートが現れる、という便利な魔法は、触媒もある程度のものを用意しなくてはならず、必要なものだけを入れた鞄には、咄嗟に触媒に使えるものが鉱石しかなかった。これくらいでは、風の妖精が運んでくれる程度の魔法しか使えない。コートが届くまでは、そのまま身を潜めることとなる。街の大きな通りを行き交う人々も、宿屋の前の人だかりにつられて立ち止まり、珍しい賑わいの様子を窺い、あることないことを騒いだり、朗らかに笑い合ったりしていた。

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