第13話

「……見えないように魔法を施してある」

ほんの少しだが、蜥蜴さんは言い淀んだ。

「なんで隠してたの?」

無言でユーリを見つめる蜥蜴さんの表情は何かを固く閉ざすような面持ちで、出会ってからそんな顔をするのを初めて見る。表情は固いのに、蜥蜴さんの瞳は艶やかに揺れている。もしや怯えている……?

「何か怖いの……?」

蜥蜴さんは、はっとしたように大きく目を見開かせたと思うと、すぐに短く息を吐いて表情を緩ませる。それでも一向に言葉が紡がれることはなかったが、ユーリは蜥蜴さんが話し始めるのを静かに待った。無音の室内には鈴虫の音が小さく響いたり消えたりと繰り返されている。蜥蜴さんの視線は机の上の手元に戻っているが、握られたペン先は一点から動くことはない。

「沼地の翼竜は、確かに俺の事だ。俺の知らないところでユーリがそれをみて気づくのが怖ったし、怯えられるとおもった。だからそのページは隠してきた」

「怖くないよ、蜥蜴さんだもん」

「ああ、今ならそう思える。……永い時を過ごしてきたと思う。いつからかは覚えていないが、自分にも共に歩めるものがいるんじゃないかと探しはじめた。そう簡単に見つかるはずもないから暇つぶしに人間の街を渡り歩いたり、さまざまな種族と交流をとったこともある。ここ100年くらいは、こもって星の動きばかり見ていたがな」

ぽつり、ぽつりと語り始めた蜥蜴さんの声は淡々としており、起こった出来事をただ紡ぐだけで、そこにはなんの感情もないことがユーリには悲しく感じられた。この人ならざる者は、どれだけの時間をその身一つで過ごしてきたのだろう。ユーリには想像もつかなかった。悠久の時を過ごしてきて、これからも孤独の中を過ごすのかと思うと心が締め付けられる。ともに生きられる誰かがいてほしい、そう願うばかりだ。

それがユーリ自身であればいいのに、と思うが、それ以上何か言葉を発しようとすれば蜥蜴さんを傷つけてしまいそうだったため、口をきゅっと閉じた。しかし、いてもたってもいられずにソファーから立ち上がると、足早に蜥蜴さんに近づいて勢いよく抱きしめた。

「どうしたんだ」

「うー……俺がずっとそばにいてあげれたらいいのにって思って」

「ははっ、そうだな、ユーリがそばにいてくれたらそれだけでいい」

結局吐き出してしまったユーリに対し、愉快そうに笑う蜥蜴さんに、まじめに言ってるのにと口を尖らせて拗ねる。そんなユーリの腰を引き寄せた蜥蜴さんは、ユーリに甘えるように抱きついてきた。きゅっと締め付けられるような心臓の痛みをまたしても感じたが、考える間もなく蜥蜴さんの顔がいつの間にか目の前にあって、引き寄せられるように唇が重なる。

驚いたユーリは、その場から動くことも出来ずに固まっていると、顔を離した蜥蜴さんが大事なものに触れるようにユーリの頬を撫でた。


「お前が俺の運命なんだ」


訪問者が訪れてから数日後、ユーリは気まずい思いを抱えていた。あの夜の口づけを思い出すだけで、顔から火が出そうなほど体温があがるのを感じていた。あの夜は、あまりの許容量を越えたような出来事にしどろもどろになりながら、蜥蜴さんの部屋から出たところまでは覚えている。けれど部屋までどうやってたどり着いたのかは覚えていないくらい混乱していた。

それから数日の間は、町に薬を届けたり、早めにベットに潜り込んで寝たふりをして、せっかく一緒に暮らす日々が始まったというのに、蜥蜴さんと顔を合わせないようにしてしまった。だが、そろそろ限界な気がしてきた。明日あたりには商人がやってくるので、頼みたいものを蜥蜴さんに伝えなければならない。しかし、もう少しだけ、もう少しだけ考える時間が欲しかった。

今日も朝早くから森へ出かけて、お気に入りの木の実をみつけては持っていた籠の中に入れていく。鳥のさえずりと風が木々の葉を揺らす中、騒めいていた心が少し落ち着いていくようだった。教会からほど近い森の奥に建つ塔は実際にはさほど距離はないが、蜥蜴さんの施した迷い陣のせいで、招かれざる者は塔に近づくことは出来ない。湖のほとりまで近づいたときに、ふと後ろを振り返るとあの日の出来事が蘇る。好奇心旺盛だった少年の頃のユーリは、無謀にも一人であの塔まで行こうとして野犬に襲われた。間一髪のところで助けられたのが蜥蜴さんだった。その後、幾度となくユーリを助けてくれ、導いてくれた蜥蜴さん。

「大事な人ではある……」

誰に伝えるわけでもなく、口から言葉が漏れる。

蜥蜴さんが言う「運命」という言葉について深く考えたことはなかった。二人が出会うこと、そのものが運命だと思っていたが、ともに生きる人を得ることが運命と言っていたとしたら。この先、あの美しくもどこか脆そうな妖精の傍にいて、幸も不幸もともに出来るならば、俺はそれを嬉しいと思っているんじゃないか。いや、でもそれは一人が嫌だというだけかもしれない。では、他の人でもいいんだろうか。

そんな自問自答をしていると、無意識のうちに足がむいていたのだろう、いつの間にか教会の入口付近にいることに気づく。

ちょうど洗濯物を洗い終えたこども達と、見慣れた人物が洗濯かごを持って教会から出てくるところだった。

「サイモン…」

そうだ、サイモンと少し話そう。今の自分自身に分からないことがサイモンと話せば解決するとも思えなかったが、少なくとももやもやと抱えた気持ちだけでも誰かに聞いてほしい気分だった。ためらうことなくサイモンの方に近づいていき、声をかける。

「サイモン」

「わっ、……ユーリ、驚かせないでよ」

「ごめんごめん、ちょっと木の実とりすぎたからおすそ分けに寄っちゃった」

「そっかそっか、シスターには会っていく?僕は洗濯ものを干したら時間はあるよ」

「シスターにはまた今度にするよ、ちょっと森の方を歩かないか?手伝うよ」

木の実が入ったかごを子ども達に渡して、洗濯ものかごと交換する。庭にちょうどよく根付いている大きな木と木の、太い枝同士にロープを固く結ぶと橋渡しのような干し場を簡易的に作ることができる。これが少年の頃のユーリ達には一苦労の作業だった。まず大きな木の下方の枝と言っても背の高さがないと届かないので、台を持ってきて、そこに乗って手を伸ばしてようやく届くかどうかだ。ロープの結びが甘いとほどけてしまい、地面に洗った服たちが散乱することににもなる。

昔のことを思い出して、苦笑いをしてるところをサイモンに見られていたようで、「昔のこと思い出してたろ」といたずらが成功したような無邪気な笑顔を向けられた。

「なんどか洗い直しして、何枚か服を破ったの思い出した。その辺の庭に埋めたのに、シスターにばれたよな」

「そうそう、あの時のシスター、怖くて泣いたもんな。僕は、洗濯の時はいつもユーリが一番背が低くて、双子たちにいじられてたのを思い出してたよ。今じゃ苦労することなくできちゃうね」

「そうだね、育ったなー」

洗濯ものを干す間、昔の話が盛り上がった。サイモンとは歳が一つしか離れていないこともあって、日常的に一緒にいることが多かったので教会での思い出はたくさんある。

尽きぬ思い出話も、洗濯ものを干し終わったサイモンが、じゃあ少し歩こうかと言っくれたことで終わってしまったが、本来の相談事のことを忘れてしまっていたので、その一言に感謝しながら頷いた。

早朝の森とは打って変わって太陽が真上近くに差し掛かっているのか、木漏れ日が煌めいて反射して目に入る光が賑やかになり、活動的になった動物たちが草や葉を揺らしている音もする。よく知っている森の姿だ。

「それで、何か話したい事でもあった?そんな顔してたよ」

「あー……はは、うん、なんかよくわからなくなってさ、森をふらふらしてたら教会に着いてたんだ」

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